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2度目の退職を決めた日

再就職してから、noteを中断していました。
忙しくはないのですが仕事に時間を取られ、ネタもなかったからです。

実は、12月に再就職した後の翌月にはもう転職活動を始めていました。

就職とは、”できること”、”やりたいこと”、”組織文化”の3つにおいて、自分と会社のマッチングです。

私の場合は完全にミスマッチで、すぐに気付きました。

現職から去りたいので、転職活動を開始したのですが、その結果も出る前に
「もう、やってられない」という気持ちが頂点に達し、5月中旬に退職を申し伝えました。

6月末日をもって、現職から退きます。

今は早めの夏休みを取っています。
永久に続く夏休みかもしれません。

就職、退職、無職、再就職を経験したので、あとは今月中に転職さえ実現できれば、就職がらみの体験を一通りしたことになります。

しかしながら、既に3社の面接を経験し、不採用となりました。
50歳代の転職はやはり容易ではありません。

さて、人生における2つ目の職場が、たった7ヶ月で終了せざるを得なかった点について、書き留めておこうと思います。

もちろん、職場が楽しく仕事にも満足していれば退職することはないので、
去る身の人間から見た一方的かつネガティブな視点になってしまいますが、ご了承ください。

職場にあるべきはずなのに、私がいた職場に”全く”存在しなかったものが、次の3点です。

・思いやり
・マネジメント
・コミュニケーション

シャトルバスの乗客に配布するパンフレットやジュース、その他ノベルティの袋詰め作業は私の担当になっていました。
当初予定していた配布数は、10,000個という膨大な数です。

私が組織の責任者でこの数を捌こうと思うなら、毎日、例えば14:00〜14:30といった具合にある一定の時間を決めて、4人で30分だけ一緒に作業する時間を作ります。
そこでの雑談は、良いコミュニケーションの場にもなります。

現実は、誰一人、一切、手伝ってはくれませんでした。
私の作業を見ていながら「ご苦労様」とか「手伝いましょうか」の、ねぎらいの一声も皆無でした。

半年間、食事会なり飲み会の場も、一度もありませんでした。
一人退職しましたが送別会もなければ、当然私の歓迎会もありません。

事務局長は、高知県からの出向者です。
なぜか毎年、責任者が変わります。
よく漫画に出てくる、おじさんヒラメ社員のような一人の女性職員は、事務局長補佐を気取っています。

この二人の女性の自己満足仕事に無条件に追従することが、求められた役割です。
ツーリズムにおいてキャリアも実績もある年上の私に対して、あまりに無礼で、リスペクトに欠ける要求です。

反対にこの二人から見て他の職員は、助手にしか見えていないようです。
そんな雑用であれば、高校生のバイトでも雇えば良いのです。

年明けすぐに、マネジメント、業務分掌、ビジョン、戦略といった点について事務局長に上申しましたが、残念ながら聞く耳は持たれませんでした。

顧客満足や創造的な仕事に労力を振り分けるために、効率や生産性を意識することより、上長の機嫌を取ることの方が、優先順位が高いのです。
高知県の公務員には、常識のようです。

今年54歳になる私には、自分の時間や労力を、無駄や無意味に費やされることに対して、我慢がなりません。
我慢をしているヒマなど、一切ないのです。

それでも、この半年は我慢の日々でした。
職場の滞在時間を最小化したくて、業務開始の8時30分までは休憩スペースで時間を潰し、就業の17時15分になったら、汽車の時間まで時間はあっても即、退社していました。

5月中の退職願は、我ながら好判断だったと思います。

転職先は、同じ業態の仕事場で、私自身がマネジメントに関われることを、条件にしています。

もし転職が実現できたなら、半年間働いた意味もあったでしょう。


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