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①総合失調症の母

こんにちは!!!
昆布です。

私の投稿の”昆布の一生”というお題の記事にも記載させて頂きましたが、
 ・元ヤングケアラー(精神疾患の母)
 ・帰宅部
 ・元大阪府警刑事
 ・元脳卒中患者
 ・現パーソナルトレーナー
  (大手パーソナルジム最優秀店舗賞、同店舗最多売上)
 ・SSAプロ選手(ボディメイクの団体)
が私の経歴となります。

今回の投稿では、私のヤングケアラー(精神疾患の母)時代の内容を記載させて頂きます。

まず初めに家族構成です。

母(総合失調症)

の3人家族でした。

まず総合失調症について軽く記載しておきます。
お医者様じゃないのでネット調べですが、簡単に言えば
 幻覚、幻聴
がすごい病気ですね。

実際私の母とは18歳の高校卒業までの生活となりますが、今でも怖いです。
正直私の場合母とのいい思い出が一つもないので母と認識していません。

【小学生時代】
私の小学生入る前はかなり内気な少年で常にぬいぐるみを持ち、初めて会った人には女の子に間違えられる程だったことを記憶しています。
そこから成長し、小学生時代の私は比較的社交性な性格をしていたと思います。
当時は少年野球をしていましたが、その時もキャプテンを任されていました。
日夜バットを振り、ボールを投げていました。
この時から筋トレを始めました。
筋トレの動機はドラゴンボールのブロリーになりたかったからですw

上記内容は表向きの私の一面です。

家庭内では、
 ・小学生低学年の時錯乱した母に笑顔で刃物を首に突きつけられ、泣いている。
 ・家の物が勝手に全て捨てられる。
 ・母が常に架空の誰かと会話をしている。
 ・その状態なので私が家庭内では自室から出なくなる。
 ・私の自室を母が無理やりこじ開けようとしてくる。
 ・父もストレスが溜まり怒っている。
 ・母が私に一緒に死のうと持ちかけてくる。
 ・家庭内で走って追いかけられる。
と箇条書きで書くとこのような出来事がありました。

29歳になった今でも刃物を突きつけられた映像がフラッシュバックする時があります。

治したいと思い、家庭から距離をとり生活しているのですが、過去の自分の生活欠落している部分が多々あります。

小学生の私はまだ力も知識もなくどうすることもできませんでした。

そして授業参観や運動会に親を呼んだこともありません。
(確かプリントを捨ててた)

自分が世の中で一番不幸だ。
この社会が悪い。
誰も助けてくれないんだ。

とこの頃は強く思っていました。

その母を隠したい。
できれば死んでほしいと強く願っていました。

【中学生時代】
この頃あたりで起こった出来事で父が祖母に母の入院費用を貸してほしいと懇願しているのを覚えています。

入院するのも費用がかかり、家庭内でその面倒を見るのはできないという判断だったのでしょうか。

当時その話題を盗み聞きした私は、
 部活みたいなお金をかかることはしてはいけない。
と思うようになり、野球も続けませんでした。

中学校時代の私は一言で言えば”陰キャ”
家庭内の状況が悪すぎて、勉強にも興味はないし、無気力状態に陥っていました。

中1の頃短期間ですがいじめを受けていました。
学校に行きたくないという考えもありましたが、家にも居たくないので渋々行っていたのを覚えています。
お金がかかると思うと、食欲もなくなり3日に1回ご飯を食べる生活をしていました。(お陰で今の減量が余裕です。)

そういう状態だったこともあり、かなり追いついめられていました。

当時の心理状況は
 ・今の現状は全て母のせいだ。
 ・母を殺してやる
 ・何も失うものがない。

この心理状況だったのは今でもはっきり覚えています。

先ほど記載した母の状態は勿論中学生になっても変わってはいませんでした。
そして追い込まれた私は、家にある包丁を持ち、幻聴と話す母の背中に包丁を突き立てました。
ここで手が震え、すごい勢いで泣いたことを覚えています。
母へ対する情ではないとは思うのですが、シンプルに人を殺すことへの恐怖心でしょうか・・・

そして母を殺害できなった私はそのまま自室に戻り、総合失調症は遺伝性が強いとネットで見ていた私は自分の首に包丁を突き立てました。

ただそこも出来なくて、自分は結局何も出来ないんだ。と感じていました。

この出来事があった後に
 秋葉原連続殺傷事件
をニュースで見ました。

車と刃物を用いて秋葉原で通り魔をした事件ですね。
最終的に制服の警察官が銃を構え制圧しているのを見ました。
それを見て、
 どうせ死ぬなら人の為に死のう。
と警察官を目指しました。

それが元ヤングケアラー(総合失調症の母)の私が警察官になるまでのエピソードです。

正直中学生までの時代が一番きつかったと思います。
自分のことが客観的に見ているような状態だったのを今でも覚えています。
殻にこもって、ただ誰かが助けてくれるのを待っていました。
私自身当時ずっと母の声の幻聴が聞こえてきていて、かなり危険な心理状態だったと思います。

【過去を振り返り】

今noteにこちらを書いてみると、過去が思い出されてとてもモヤモヤいちゃいますね。
実際言葉にしてみると、上手く伝わるかわかりませんが、かなり追い込まれていました。

当時現在みたいな支援制度があったのかもわかりませんが、ヤングケアラーの少年少女はこんな生活をしてきているのではないでしょうか。

次回は警察官になるまでの話で
 目標と筋トレ
が私を成長させてくれた話を書こうと思っています。

過去の自分に今言いたいのは、
 ・筋トレしろ
 ・自分自身に矢印を向けろ
 ・目標を決めろ
 ・時には逃げることも大切
ですね。

私のような人を救うには、
 ・生徒を発見すること
 ・他責人間から自責人間に
 ・筋トレ
 ・家族のような存在
が必要だと思います。

今苦しんでいる方待っててね。
自分が力をつけて、本当の意味で救ってみせるから。
フィットネスが届いていない層にフィットネスを広げる為に。
もし宜しければコメント頂けると幸いです。

現在は孤児院や若者支援センター(不登校等)の方へボランティアしています。
ヤングケアラーの方とも繋がりたいのでご連絡お待ちしております。
                        昆布

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