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私について。

18歳まで暮らしていた地元は本当に何もないところでした。
マクドナルドもガストも途中から無くなった。
車で隣町まで行かないと、どのチェーンにもありつけないほどでした。

友達とオシャレをして、お小遣いで電車に乗って遊びに行くなんて気軽に出来ることではなかった。長期休暇以外バイト禁止の高校だったから、自分でお金を用意することもできなかった。


18歳までの人生で数えきれないほどお金がない事で惨めな思いをしてきた。
父は毎日のようにタバコを吸って、酒を飲んで暇さえあればギャンブルをする人だった。それが無ければ私は塾に通うことができて大学に行けたかもしれないし、実家は綺麗な家に住めたかもしれない。

お金に詳しい人になろう。そう思ったのは高校1年生の頃。父と話していて大学へ進学することは難しいと判断しました。私の学歴よりもいくらお金がかかるかを気にしているようでした。

私の高校の卒業生の就職先一覧から県外でなおかつ、金融系の企業を調べました。
私は高校1年生の時に将来、就職したい企業を決めていました。そして本当に3年生の時にその東京の金融機関に就職することができました。私にとって自分の力で夢を掴むことが出来た1つ目の成功体験といえます。


就職してからは、ジェネレーションギャップと世間知らずを痛感する日々でした。
ろくにアルバイトもせずに働き始めた事もあって、こんな事も知らないの?とバカにされたりもしました。

お金がない事も惨めでしたが学歴がなくて女性で若いことが、こんなにも社会的地位が低くぞんざいに扱われることを知りました。

私はアナログな事務作業をデジタル化するまでの
代替でしかないことをよく理解しました。低賃金で雇われていることも追い討ちをかけるように無能である事を自覚させました。

私は心のどこかで私はバカじゃないし私は私なりの修羅を潜り抜けて東京にやってきたのに、なぜ辛い思いをしなければならないのだろう。惨めで悔しくて堪りませんでした。そうして転職することにしました。


私は父と母を反面教師にして、正反対に生きています。18歳で東京に1人で上京し毎日コツコツ真面目に働き、ギャンブルもタバコも宗教も何もせずにしっかりとたくましく生きてきました。私は自分が生きたいと思っていた人生を歩めています。

また若いうちに金融知識を培った経験は私の人生を極めてイージーにしました。
私が若くて学歴がなくて女性であることで人的資本を低く見られようとも、コツコツ節約し投資して若いながらもある程度の資産を築くことが出来たのは人生で2つ目の成功体験と言えるでしょう。


一方で私は他人の前で素でいることが出来ない人になりました。私は人前では、よく嘘をつきます。

人がとても怖いです。父と母からたくさんの傷を貰いました。それは暴力だったり、暴言だったりしました。

嘘をつくのは私なりの防衛本能なのかも知れません。正直に言って他人のノンフィクションに興味がある人はそんなに居ないように思います。職場であれば尚更、仕事がやりづらくなるだけです。

言いたくない事は言わなくて良くて、そのためのフィクションは周りの人への気遣いと捉えています。

でも時に、それが辛かったり悲しかったりします。私はずっと孤独に生きてきたので人と関わって生きていく事が難しいのに孤独を感じて存在を肯定できない時があります。

どう、生きていったら良いのだろうか。今もわからなくなります。でも、子供の頃とは比べられないほど幸せな暮らしができているので◯にたいとは思いません。ただ、ぼぉーっと生きているように思います。

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