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大好きなあなたへ。

TVのない生活を10年以上している私にとって、音楽を聴いたり、新しい曲を知ったりする手段はもっぱらYouTubeかAmazon Musicだ。瑛人の『香水』もKing Gnuの『白日』もNiziUの『Make You Happy』も。

本家を知る前に、「歌ってみた」「カバー」で曲を知ることもよくある。もしかしたらそのケースの方が多いかもしれない。

一度ハマると延々と同じ曲を聴き続けるタイプの私は、最近、島津亜矢の『アイノカタチ』をよく聴いている。この曲は元々MISIAが歌っている曲。ドラマ『義母と娘のブルース』の主題歌だ。

私自身はこのドラマを観ていないけれど、MISIAが大好きという理由でよくこの曲を聴いていた。

大好きなあなたが
そばにいないとき ほら 胸が痛くなって
あなたのカタチ 見える 気がしたんだ

島津亜矢バージョンの『アイノカタチ』を見つけたのは、本当に偶然だった。だけど、その力強く優しい歌声でこの歌詞を聴いたとき、わけも分からず泣きそうになった。というか、泣いた。子どもみたいに。

ここ最近、ずっと忙しなく過ごしていた。日々は目まぐるしく過ぎて、いつの間にか秋になっていた。「大好きなあなた」のことをじっくり想う余裕もないまま。

* * *

去年の暮れ、愛猫が息を引き取った。13歳の時から16年間ずっとそばにいてくれた、私がこの世で一番大好きな猫が。

16年前。幼なじみのおばあちゃんの家で仔猫が生まれたというので、遊びに行ったその日、私はすっかり「彼女」に魅了されてしまった。やや渋る両親を説得し、数日たって「彼女」は我が家に来ることになった。13歳の私の両手にすっぽりとおさまるくらい小さな小さな「彼女」。初めて飼う猫におそるおそるだった家族もみんなすぐに「彼女」に夢中になった。小さな前足を目一杯広げている様子が、もみじの葉っぱに見えて、私は「彼女」に「もみじ」と名前をつけた。

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それからもみじはいつも私のそばにいた。遊びの傍ら引っかいてきたり、勉強している私の膝の上に乗ってきたり、家族とケンカして号泣している私の部屋に何をするでもなくするりと入ってきて毛繕いをしたり。

その後、我が家は何匹か猫を迎え入れ、どの猫も本当に可愛かったけれど、やっぱりもみじは私にとってどんな猫よりも特別な猫だった。実家を離れたあとも、私はもみじに会いにしょっちゅう帰省していた。(こんなことをいうと家族にがっかりされるかもしれないが…。)

* * *

「もみじ、もう長くないかもしれない」

去年の春ごろから、実家からそんな連絡が入るようになった。16歳といえば、猫にしてはだいぶ長生きだ。昔みたいにカーテンをバリバリとよじ登る元気もなく、ソファーの上にゆっくり時間をかけて上がるのがやっとなくらい足腰が弱っているらしかった。食欲も減ったと聞いた。抱っこしても何やら痛がるとのことだったので、内臓もやられていたのかもしれない。

病院通いをしてもよかったのだけれど、もみじの次に我が家にやってきた猫は病弱で、本当に痛々しい治療続きで苦しい思いをさせたまま見送ってしまった。車に乗るのを嫌がるあの仔を、片道1時間以上かけて何度も病院に連れていった私たち家族は、さいごの時間をあんな風に使ったのが良かったのかどうかきっとずっと後悔していたのだと思う。だからせめて、もみじが快適に過ごせるようにさいごまで一緒に過ごすというのが暗黙のうちに家族の中で決まっていた。

それでも去年お盆に帰省したときは、もみじは相変わらずもみじで、女王さまとして我が家に君臨していた。夏場、家の中でどこが一番涼しいかわかっているのはもみじだ。ふと気づけば、もみじは和室の窓辺で風を受けながらまどろんでいた。

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「長生きしてね」

勝手なお願いとわかりつつ、祈るように私は実家をあとにした。

* * *

そして去年の暮れ。姉から「もみじ、もう峠かも」という連絡が入った。LINEのビデオ通話越しに、息も絶え絶えでお気に入りの毛布の上に横たわっているもみじの姿があった。私が名前を呼んでも聞こえているのかどうかも分からない。「もみじ」と私が名前を呼べば、画面越しだろうと尻尾を振ったり姉のスマホのカメラに近づいてきて反応してくれる猫だったのに。

いても立ってもいられず、私は新幹線に飛び乗った。実家に着く頃には、きっともみじはこの世にいない。けれど、それでも会いたかった。駅まで迎えに来た家族の顔を見たとき、私は知った。もみじがもう息を引き取ったことを。

リビングの毛布の上に横たわったもみじの体は、まだ温かった。ふわふわで滑らかな毛の手触りも、肉球の柔らかさも、ご自慢の長い尻尾も、生きている時とほぼ変わらないように見えた。それでも時間が経つうちに、もみじの身体は少しずつ冷たく、そして固くなっていった。

「こんなに泣いても涙は枯れないものなのか」

そうあきれそうになるくらい、涙はあとからあとから溢れてきた。それでももみじをこのままにしておくわけには行かない。家族は私がどれだけもみじを好きか知っているので、見送り方をすべて私に任せてくれた。泣きながら人生で初めて葬儀の手配をした。何件か葬儀屋さんに電話をし、火葬の手筈を整えたあと、冷たくなっていくもみじの体を撫でながら私はまた泣いた。

明日にはもみじは骨になってしまう。16年間そばにあった温もりは、もうなくなってしまう。泣きながらいつ寝てしまったのかは覚えていない。

翌朝、化粧をする気力もなく、私は母と一緒にもみじを箱に入れ、火葬場に運んで行った。数時間後、もみじは白い骨の塊になって戻ってきた。木箱に一つずつ骨を入れ、納める。

私が世界で一番大好きな猫はこうしてこの世を旅立った。

* * *

ずっと ずっと 大好きだよ
あなたが心の中で 広がっていくたび
愛が 溢れ 涙こぼれるんだ

もみじのことをここ最近あまり思い出さなくなっていたのは、コロナの影響で帰省を控えることにしたからでもあると思う。帰省すれば、もみじの不在を意識せざるをえない。

また、さいごに間に合わなかったとはいえ、もみじをきちんと看取れたからこそ気持ちに区切りがついていたのかもしれない。冷たくなっていくもみじの身体。火葬のあと、小さな木箱に納まるくらいになったもみじの骨。もみじのいないリビングのソファー。それらを目の当たりにしたからこそ、もみじがもうこの世にいないことを私は認めざるをえなかったし、認めることもできた。

星の数ほどの中 ただ一人のあなたが 心にいるんだ
あのね あのね ずっと 大好きだよ
大好きだよ ああ ありがとう

もし、なかなか帰省ができない今の状況で、もみじの訃報を聞いたら、信じられなかったし、受け入れられなかったと思う。

とはいえ。16年間一緒にいた大好きな存在がいなくなって、まだ1年も経っていない。今でも私はもみじの不在に慣れない。帰省すればどこかからすっと出てくるんじゃないか。そんなことを思ったりする。

* * *

きっと今度の帰省はしばらく先だろう。帰省しても、もうもみじはいないけれど、もみじがそばにいてくれた16年間のことを、帰省できなくても思い出そうと思う。

大好きなあなたが
そばにいないとき ほら 胸が痛くなって
あなたのカタチ 見える 気がしたんだ

あのね あのね ずっと 大好きだよ
大好きだよ ああ ありがとう

大好きなあなたへ。大好きなもみじへ。ありがとう。大好きだよ。

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