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人生

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人生について徒然なることを徒然なるままに書いています。
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2019年7月の記事一覧

【イベントレポート】ハフポスト主催・ニュースが速すぎる時代に、じっくり考える「視点」を手に入れる。大人と学生30人が夜にお酒を飲みながら…。

出会いは偶然に  ハフポスト主催の「ニュースが速すぎる時代に、じっくり考える『視点』を手に入れる。大人と学生30人が夜にお酒を飲みながら…。」というイベントに参加してきた。折角なので私なりのイベントレポートを書こうと思う。  このイベントを知ったきっかけは、大学時代の後輩のFacebook上のポスト。同じ文化人類学専攻の後輩だ。たまたまFacebookを眺めていて流れてきたそのポスト。「これは!」と思って即応募。それがこのイベントとの出会いだった。  結論から言

「自分」を駆使して壁と向き合う。

 先日、友人たちとボルダリングに行ってきた。ボルダリングは実に数年ぶり。経験上、ボルダリングでは、普段使わないような筋肉を使ったり動きをしたりすることが多いため、事前に念入りに体をほぐす。  ボルダリングの楽しみ方はそれぞれだが、どこのボルダリング施設も基本は同じだと思う。壁一面に色とりどりのストーンが配置され、各ストーンには決められた色や数字が割り当てられている。同じ色や数字のついたストーンが1セット。1セットのストーンには「スタート」と「ゴール」がある。「スタート」のス

「感動」消費の先にあるもの

 夏といえば、高校野球。高校野球といえば、甲子園。甲子園といえば青春ドラマ。そんな風になったのはいつからだったのだろう。全国高等学校野球選手権大会は今年で101回目を数えるそうだから、戦時中の中断を加味してもこの100年ほどを通じて日本社会に根付いてきたことになる。  そんな中、最速163キロの投球記録を誇る佐々木朗希投手が、岩手県大会決勝戦に出場せずに敗退したことを受け、学校側に苦情が殺到したというニュースがあった。  このニュースを見たとき、正直、私は唖然とした。「何

「善意」という名の暴力について

 今日は、「善意」が暴力になりうる、善意「だからこそ」暴力になることに相手も自分も気づかないことがある、ということについて書こうと思う。  とある飲み会の席。私がそれなりに面識のあるAさんと、今まであまり接点のなかったBさん、そして私の3人での会話になった。最初は雑談だったものの、会話が進むうちになんだか風向きが変わってきた。Aさんは私についてBさんに紹介しようと思ったのか、やたら私のことをBさんに語り始めた。 「季世ちゃんって、XX出身で、こんなことやってて」 「こうい

自主練→交流試合→自主練→・・・

 ここ最近、将来のことだとか、今何をするか・できるか・するべきかだとか、もろもろについてずーっと自問自答していた。  そして、「あー、もう限界!」というところまで来たので、会う人会う人にいろいろと話を聞いてもらったり、意見をもらうことにした。  「ほほう!そういう風な考えもあるか!」という新鮮な意見もあれば、「あぁ〜、だよねえ」と、再認識させられるような意見もあり。そしてまた、「あー、もう十分!」というところまで来たので、またちょっと自分で咀嚼して考えてみることにした。

ボーダーの上で生きる

 白か黒か、YESかNOか、マルかバツか。  選択肢を2つに絞って、どちらかを選ぶのは勇気がいる。けれど、一旦どちらかに属してしまえば、あとはもう楽かもしれない。どちらか片方の目線だけで考えればよくなるから。  じゃあ、どちらでもないとき、もしくは、どちらも選びたい・選ばざるをえないときは?例えば、「日本人か日本人でないか」。この2択を国籍を持っているかいないかだけで考えれば、物事は至極簡単だ。でも、現実はそうじゃない。国籍は違うけどずっと日本で生まれ育ったとか、日本国籍

治らない傷はありますか?

 私の右手には20年以上経っても消えない傷跡がある。幼い頃、犬に噛まれて大出血し、2針縫った傷跡。たった2針だけど、傷跡は今でもうっすらと残っている。  正直、この傷を負ったこと自体、最近はすっかり忘れていた。当時は大泣きしながら病院へ行き、治療の最中も泣きわめいていたというのに。  その傷のことを思い出したのは、最近、心の古傷がかすかに疼くことがあったから。それは新幹線に乗った時。私は昔、新幹線で片道3時間以上かかる遠距離恋愛をしていた。相手は異性としてというより、まず

なんでもないような今を

 ここ最近、いくつかの同窓会的イベントの企画・開催側に関わっている。それにあたり、いろいろな人に久々に連絡を取っているのだが、数年のあいだに進学・転職・結婚・出産・引っ越しなど、それぞれの人生に変化が起きていることにいちいち驚く。時間は確実に流れている。  連絡を取る際に、当時の名簿や写真など記録を見返していると、「ああ、こんなことあったなあ」、「そうそう、この時はああだったんだっけ」と、記憶が次々と蘇ってくる。記録のチカラはすごい。特に写真や直筆の文字には、当時の空気がそ

心の鎮痛剤の処方箋

 数日前から喉が痛くて、思うように声を出したり、ものを食べたりすることができなかった。これが予想以上に心身を消耗する。いろいろとおしゃべりしたいのにできずにフラストレーションがたまるわ、炭酸飲料や酸味の効いた食べ物を摂取したくてもできないわ…。  加えて今日は空腹だったこともあって、夕方過ぎの私は手負いの動物のように神経がささくれだっていた。ここのところずっと曇天が続いているせいもあるかもしれない。病院で漢方を処方してもらい、帰宅してごはんを食べ、薬を飲んで、やっと少し気持

道の先に

 自転車に乗るのは久しぶりだった。毎日電車に揺られながら家と会社の往復。休日も電車移動が基本。そんな日々をずっと送っていた。  南国、竹富島。貸し自転車屋さんで自転車を借り、私はあてもなくペダルを漕ぎ始めた。鼓動が早まり、呼吸が荒くなる。「超」がつくインドア派の私にとって、それは久々に自分の体全体を駆使する運動だった。 ああ、自分は生きているんだな。  そんな当たり前のことを、自転車を漕いで思い出すなんて。なんだかおかしくなって、自然と微笑んでしまう。  赤瓦の家々の

あま、てらす。

 初日の出、というものを見たことがない。  私は、高い山々に囲まれた雪国で生まれ育った。新年の朝、凍てつく寒さの中、日の出を待つだけの辛抱強さは持ち合わせていなかったし、昇る太陽は、いつものように山々の間から遠慮がちに顔を出すようなそんな太陽だろうと思っていた。  だから、暗闇の中、広がる水平線の下から、まばゆい光を放ちながら威風堂々と昇ってくる太陽を人生で初めて目にしたとき、私は思わず息を飲んだ。  社会人1年目、一泊二日で訪ねた横浜。そこでの朝のことだった。その日、

人生は万華鏡のように

 久々に切り絵をした。紙の材質、デザイン選びから始まって、どんな切り絵を作りたいかを選んでいく。切り絵は紙を幾重にも折った上で切り込みを入れていくので、なかなか力がいる。慎重に慎重に、切り落としてしまわないように。  出来上がって紙を広げるまでは、どんな出来かはわからない。少し複雑なデザインに挑戦し、広げてみたときのあのわくわく感。 万華鏡をのぞきこむときと似ている。  そう思った。万華鏡も、同じ素材の集まりでも、見方によってまるで違ったデザインになる。  人生は万華

星に願いを

 今週末は7月7日の七夕。街中でも笹や短冊を見かけることが多くなった。七夕というと私は、仙台の七夕を思い出す。仙台の七夕は旧暦で祝うので8月が七夕祭りの本番という感じだ。  2011年の夏、私は仙台にいた。仙台の市街地だけ見れば、数ヶ月前の大震災の爪痕は影を潜めているように見えた。けれど、美しく飾られ風にたなびく短冊に込められたメッセージには、たくさんの人の切実な願いや思いが込められていた。  今日のトップ画にあるような援助へのお礼の言葉もあれば、「お父さんが早く見つかり