親としての責任

最近見たアメリカの医療系テレビドラマで気になるセリフがありました。
10代の娘がドラッグをやり家出、妊娠という全部盛りのような状況で、
生まれた赤ちゃんを里子に出すという理由でその病院に来ました。
そこへ実の両親が駆けつけて、生まれた子、つまり孫にあたるわけですが、
孫を引き取ると言い始め話が始まります。
 
担当医師と二人きりになった娘の母親は、
「私の事、ひどい母親だと思っているでしょう?
私はいい母親だったのに、なんでこんなことになってしまったのかしら…」
と泣き始めます。これは、なかなか日本では聞きませんね。
「親としてのしつけが不十分でした」と言ったり、
「親の顔が見てみたい」と言われたり。
心の中では、これ以上できることはなかったと思ったとしても、
実際そうであったとしても他人に打ち明けにくい事だと思います。
 
この違いは、幼少期からの子供との接し方に関わると思います。
北米では、小さいころから色々な事を子供に選択させることが多く見受けられます。
着る服の色、習い事、遊び方、課題…
個人的には、そんな幼い子にどっちがいいかなんて聞くから
またそこでややこしくなる…
はい、これ着てさっさと準備して、と言う方が早くない?と思う事が多々あります。
 
職場でも良くこの方法使う人がいます。
これは「選ばせる側」にとっては都合が良いのです。
選ばせると、「選んだ責任」が生まれます。
後々気に入らなかった、思ったのと違った、と言う話になっても
それを選んだのは自分なので、責任は自分にあるということになります。
これと同じよう、我が子が非行に走っても、
それは親としての自分とは切り離して考えるのでしょう。
 
日本では特に幼い頃は、
着る服の色、習い事、遊び方、課題など周囲の大人が決めることが多いと思います。
親である自分が決めてこれをやらせた、と言う事の積み重ねから、
子供の行動の責任は大きく親に乗ってくるのでしょう。
もちろん、親として良かれと思い、決めて子供にやらせているのですが、
そのような育て方をする人が多いが故、よその子が何か問題を起こすと、
「親の顔が見たい」となるのでしょう。
 
どちらもの考えにも、結果的には残念な道を進んでしまう子供が出てきます。
自分で考える力が養えない、親の言いなりの人生に不満を抱く。
自由に伴う責任を正しく理解できない、周囲のことを考えられない。
 
個人的には、人間は環境によって育てられるものだと思うので、
子供が育つ環境において存在の大きい親や、かかわる大人の責任は大きいと思います。
 
今の子育て世代にとって
自分の育った時代と色々考え方が違うし、
自分たちの20代から30代の間にも世の中が大きく変わりました。
今後も目まぐるしく変わるでしょう。
 
情報に惑わされず、色々な人の話を聞いて、子育てすることを私は心がけています。
親として大事にしたいもの、曲げられないもの、
暮らしている土地や時代に合わせて変えるべきもの、
子供の性格や反応よって調整すべきもの…
 
本当に人間を育てるって難しい仕事ですね。

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