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なぜ、ボーダーも滑走路もいらないのか

世界平和(寺田蘭世/2019年1月11日/乃木坂神社)

2019年1月11日に行われた、二十歳を祝う成人式。この日、寺田蘭世さんが絵馬に書き記した言葉こそ、 "世界平和" の四文字だった

世界平和。蘭世さんらしいと言えば極めて蘭世さんらしい気もするが、その一方「せ、世界平和!?」と度肝を抜かれた想いもある。そうすると、例によって例の如く、私の頭にはある一行が浮かんでいた

なぜ、世界平和なんだろう?

世の中なんであれ、あまりに壮大すぎるとかえってピンと来なかったりもする。元より差別や戦争を好む人ではない。セラミュで共演した山内優花さん曰く『何に対してもちゃんと「戦っていく」ということの覚悟がある人』とのことだが、敵を殲滅する為に戦う人間じゃないのは私にもわかる

なのになにか、わかるようでわかりきれていない。不意にそんな気がしたので、いっぺん言葉を2つに割って1つ1つしっかり考えてみようと思った

①世界

これからの人生も世界中の人に会いたい(寺田蘭世/2019年3月17日/乃木坂46個人ブログ『僕は流されない』)

寺田蘭世さんが口にする "世界" という言葉。そこには熱が籠もっている。常日頃から「全国全世界どこでも愛しています」と豪語する蘭世さん。2017年にSchool of Lockというラジオにゲスト出演したときは、焼き上がったトーストを齧った音をリスナーに聞かせる謎の企画の後、「ありがとう。日本世界を変えるぞ!」と黒板に書き残して去っていった。このように(「壮大になってしまうのですが」と前置きしつつ)ちょくちょく大きいスケールで物事を語る人だった

習い事で英語をしていて 海外留学経験のある先生に習っていたのですが 小学3年生ぐらいの時 あなたは海外の方が向いてる性格だと思うとしっかり私に教えてくれました(寺田蘭世/Instagram Stories)

元をただせば、幼少期に言われた言葉が1つのきっかけのようだ。言うべきことはビシッと言う人なので、そういう性格が評価されたのかもしれない。ただこの言葉がなかったとしても、遅かれ早かれ "世界" を意識していたと思う

なぜか

寺田蘭世さんの言動からは2つの心が伝わってくる。自分を貫く意志。他人を想う気持ち。そして前者は、貪欲に生きる事にも繋がっていく。色んな服を着たい人であり、色んな事をしたい人だ。時には葛藤することも含めて、止まらず歩んでいく精神がそのひとにはある。蘭世さんは「死ぬまで満足しない」人だ

自分に満足、納得するのはきっと私の人生が終わるとき これで良かったんだって最後に笑える生き方を今は日々追い求めていたいです(寺田蘭世/2017年8月5日/乃木坂46個人ブログ)

初期の寺田蘭世さんは、自己肯定感が極めて低い人だった。だがその気持ちは、人生をより良くしようという推進力にもなり得る。道の半ばで心が凹み、座りたくなったとしても、 "気合" で立ってきた人だった。「休まず、1日一歩1ミリでも踏み出せよ」って、前へ前へと進もうとする人だ

どんなに月日は流れても人間には学ぶことが沢山あります 完成が無いので 完成があったら面白くない 生きてる意味がない 何かを吸収したいです(寺田蘭世/2016年8月28日/乃木坂46個人ブログ)

前回、私が何よりも語りたかった『舞台セーラームーン』への挑戦を糧にして、寺田蘭世さんは不器用な己の人生を遂に肯定できた。しかしそれは「不器用だから仕方ない」ということを意味しない。むしろその逆であり、不屈のチャレンジ精神をさらに高めていた。不器用な自分を受け入れた上で、 "未熟者でありたい" と言うようになった。そこに卑屈さは微塵もない。自分を信じて誇りを持って生きる精神と、未熟者であろうとする精神が並び立っていた

未熟な自分を意識して、未熟な世界に身を置けば、自然と世界は広がっていく。逆に、広く物事を考えることは、自分の未熟を知ることに繋がる。鶏が先か卵が先かはさておき、蘭世さんは自分の枠を広げたがっていた。自分らしさにこだわる一方、枠の中に閉じ籠もる気は微塵もない。寺田蘭世式の "自分を貫く"とは、「完成品の自分で在り続ける」ということを意味しない。何があっても決して止まらず、人間・ 寺田蘭世を高めていくという不断の意志だ。私はそう思う

そしてもう1つ。世界を広く捉える理由がある。乃木坂46からの卒業が決まってインタビューを受けたとき、蘭世さんはこう言った

私はどんな人も、どんな考えも平等に見たいんです(寺田蘭世/2021年11月9日/週プレNEWS)

多様性を認められること、それこそが、自分の強さだと蘭世さんは言った。自分の個性も、他人の個性も、十人十色の個性を大事に扱い、このだだっ広い世界の多様性をド真剣に考える人だ。混沌とした世界で真に平等であろうとするなら、世界を知ろうとする意思が不可欠になる。そこに境界線ボーダーはない。寺田蘭世さんが研究生から昇格する時に貰った曲『ボーダー』さながら、人種も、国境も、性別も、年齢も、分け隔てなく、境界線ボーダーを越えていく人だった

1:常に未熟者であろうとする

2:世界の多様性を大事にする

元より、おしゃれに無限大の可能性を見出す人だ。十人十色な世界、その1つ1つを自分の目で見て手で触り、"蘭世" の答えを出していく。未知の何かにぶち当たったとき、蘭世さんの瞳はひときわ輝いていた

テレビの企画で調理師学校に赴いた時、そのはしゃぎっぷりが愛しかった。当時は2ミリぐらいしか料理ができなかったのに、持ち前の美意識1つで立ち向かっていく寺田蘭世さんが私は大好きだ。上手く行かずに質問するとき「怒って」と甘える姿や、しくじった生徒と一緒に買い出しに行くとき「ペン持っても何も変わらん」と大きく構える姿が、あまりにも優しい異種格闘技戦だった

②平和

蘭世と平和。この字面が既にもう美しいのだが、ここで2つほど、私の頭をよぎった言葉がある。 "わかりあう" と "わかちあう" だ

この世界にまったく同じ考えを持った人なんていません。なので、共感を頂けたら嬉しいですが、その逆で反対意見を貰うこともあります(寺田蘭世/2019年12月7日/らんぜのNEWSがとまらんぜ)

寺田蘭世さんの発言を1つ1つ遡っていくと、「唯一無二の個性! 人は誰しもオリジナル! 自分らしさを大事に!」といった思想の反作用なのか、この世に同じ人間はいないのだからそうそう分かり合えるハズもないという、不可避の結論に対する覚悟が伝わってくる。世界の多様化は諸刃の剣でもあった

人と人がわかりあうのは難しい。学校では「相手の立場になって考えましょう」なんてことを言われたりもするが、相手の立場になったらなったで「自分ならこうする!」になってしまい、余計に溝が深まったりするのが世の中だ

そして言葉は届く。好意も、敵意も

上記の『らんぜのNEWSがとまらんぜ』では、「誰でも生きているだけで、小さな身体では耐えられないほどの言葉を貰いますよね」と言っていたのだが、寺田蘭世さんはアイドル業を8年半も続けてきた。その途上で貰ってきた "小さな身体では耐えられないほどの言葉" は、私が人生で貰ってきたそういう言葉より遥かに多いハズだ。しかし蘭世さんは、最後の最後まで正々堂々と言葉を発し続けた

侮辱された方が燃えるタイプだと公言しているが、不思議と、怒りや憎しみから視野狭窄に陥ってはいない。蘭世さん曰く、この世は "正解のない世界" 。みんなそれぞれ、心の中に自分の正解を持って生きている。それをしっかり踏まえた上で、わかちあう喜びを大事にする人だった

1人1人違う人間だから分かり合えないことも多いと思います。その中で共通点を見出だして喜びを分かち合えたとき、他人の為に涙を流すとき、大変だからこそ温かい気持ちになるのだと思います(寺田蘭世/2018年11月18日/らんぜのNEWSがとまらんぜ)

温かい気持ち。蘭世さんらしい言葉だ。そういえば以前、「疲れが吹っ飛ぶ一言をください」とInstagramで頼まれた時、蘭世さんは「みんなどこかでいっしょ」という言葉を贈った。「がんばれ」や「負けるな」とは一線を画した、不思議な励まし方だと思う。考えようによっては、短い一言で2つのことを言っている

1:違うことをわかりあう

2:同じことをわかちあう

そしてその為には、優しい想いを真っ直ぐ伝えることが必要だ。私はそれを寺田蘭世さんから学んだ。蘭世さんの想いは境界線ボーダーを越える。個性への想い。他者への想い。世界への想い。平和への想い。時には違い、時には同じ。その先にある想いこそ、 "世界平和"という四文字の言葉だ。その全てを正直に言い切るからこそ、寺田蘭世さんの言葉には真実の熱気がある!!

……本当にそうだろうか

既に3000字以上も書いておいて難だが、実はここからが今日の本題になる。寺田蘭世さんの言葉は本当に真実の想いからきているのだろうか。そしてそもそも、人が人を "わかる" とは何なのだろうか

寺田蘭世さんの活動を追っていくと、自分の心の中を伝えるのがいかに難しいかを改めて実感する。心の中は目に映らない。自己申告を上回る絶対的な証拠をパパッと提出できない以上、究極的には、言葉を聞く側の私達に信じてもらうしかない。その意味で、何かを発信するという行為は常に不安定だ

不安に駆られるのは聞いている私達も同じだ。人の心の中を覗くカメラはない。直感、論理、経験、実績……様々なアプローチにより発言の信頼性は高められる。しかし、最終的には "信用" という極めてあやふやなものに頼るしかない

人は人を信用することしかできない

そう考えると "わかった" とは軽々しく言い難い。私は今回、何度か "蘭世さんらしい" という言葉を使ったが、実際そうなのかは怪しいものがある

"世界平和" の四文字を眺めたとき、意外と字が小さいなと私は思った。普通、これだけスケールのデカい祈りをぶちあげる人なら、字をデカデカと書きそうなものだ。しかしそれこそが "寺田蘭世さんらしい" 奥ゆかしさだとその時は感じた。しかしそうとも限らない。ホントはデカデカと書くつもりだったがうっかり手が滑り、小さい字に纏めるほかなかった可能性だってある

まあその程度なら読み違いでもかわいいものだが、考えてみれば大元が一番怪しいではないか。そもそも世界平和という言葉自体、徹夜女子会の罰ゲームでイヤイヤ書いた可能性もゼロではない。その気になればいくらでも真意を疑える

寺田蘭世は本当に、本気の想いで世界平和と書いたのか?

今日日そんなアイドルが本当にいたのだろうか。アイドル界では毎度お馴染み、modelpressやRealSoundへ向けてウケを狙っているだけではないのか。その気になればいくらでも真意を疑える。しかし、だからと言って全く信じないというのも考えものだ。それはそれで、嘘だと信じているに過ぎない

なので私は普段、ひとまずは信じておくが絶対そうとは限らないぐらいのゆるやかな構えで日々を送っている。だがこれとて、不完全であることに気が付いた。寺田蘭世さんの生き様を観ている間に、ふと頭をよぎったのだ

本当に信じて欲しかった人の気持ちはどうなるのか

断片的な情報でわかったつもりになるのは危険かもしれない。しかしその一方、究極的にはわからんの一言で及び腰になるのは、小賢しい発想ではないのか

先程挙げた字の大きさのように、1つの行動に対する真意の推測なら可能性は多岐に渡る。本人が「私はこうこうこういう理由でこうしました」と実際に言うまではあまり決めつけずに構えるのが良きと思う。しかし、本人が直に「私はこう思うからやっている」と言った場合、それはもう信じるか否かの問題になる

ならば信じればいい。しかし、それは怖いのだ。ガチのマジで蘭世の魂を信じるとなると、裏目を引いたときが怖いのだ

好きな食べ物はトマト 色も赤色 赤ちゃんの頃から好きだったトマト 他の食べ物は飽きちゃったりしましたが トマトだけは昔から唯一飽きなかった食べ物です トマトの育ち方も好きです あの水を与えないほうが甘くなるこのど根性パワー(寺田蘭世/2015年11月11日/乃木坂個人ブログ)

人間は変わりゆく生き物なので明日嫌いになることがあるかもしれない。それはいい。ただもし、実はトマトなんて元から大嫌いで、アイドルになるにあたってそれっぽいエピソードをでっち上げていましたと言われようものなら、私はきっと哀しくなるだろう。私はトマトが嫌いだ。見るのも嫌だ。だがトマトが好きな寺田蘭世さんのことは好きだ。そういうところまで来てしまった

寺田蘭世を信じるとは。手を変え品を変え今まで何度も語ってきたように、寺田蘭世さんは "中身" で勝負している人だ。自らの本心を赤裸々に語るストロングスタイルで8年半を駆け抜けてきた。だからこそ、私は怖かった

もし蘭世さんが、心にマスクを被ってプロレスするタイプなら、嘘八百も戦略の内と開き直るなら、私も "そういうもの" として接するからさほど気にならない。しかし、蘭世さんはそうじゃない。アイドル云々を飛び越えて、1人の人間としての真善美を貫く人だった。それゆえに、寺田蘭世が "蘭世" であるがゆえに、そのひとを観ている私の側に "信じるか否か" という問題がたびたび発生する

"この世に絶対はない" というのが私のモットーなので、心を預けて信じるという行為を私は恐れていた。寺田蘭世さんがおっかなびっくり恐る恐る何かを発言している一方で、私は私で蘭世さんを信じるのが心のどこかで怖かった。本当の寺田蘭世は酷い悪人であり、道行く老婆のみぞおちにケリを入れ、ツバを吐いて立ち去っていく可能性が0にはならない。だから本気で信じたくはなかった

このテキストを書くのも怖かった。これだけ字数を割いて大がかりに書くと、何やら「ひととおり書きました」感が自然と生まれるが、寺田蘭世さんの全てを書くことなど到底できない。それは断片的な物語であり、ある種の誤解を招くかもしれない。そもそも私は、蘭世さんのことを一体何%知っているのか

もし "寺田蘭世" が、私の見込み違いでも怒りはしない。信じたやつが悪いから。そんな有りさまなので、自分が "寺田蘭世" を推していることを、元々の知り合いにはなるだけ言わないことにしていた。信じきっていたくないから

世界平和という四文字に「なぜか」と問いかける

寺田蘭世さんの1つ1つの言動に「なぜか」と問いかける

その行為自体、なぜなのか。この奥深い人間をもっと知りたいという、ハッキリとした想いもしっかりとある。しかし同時に、そのひとのことをもっと信じたいという、そんなみみっちい想いがきっとあった

私の目の前にはいつであれ、蘭世さんの想いを信じる/信じないという境界線ボーダーがあった。その向こう岸に寺田蘭世が立っていた

皆さんの先入観で何かを作り上げてしまっている。先入観がその物をその人を作ってしまうんです。私はそんなもの壊します。私は私が決めたい(寺田蘭世/2016年10月23日/乃木坂46個人ブログ『2㍉を8mmにする』)

心の中で寺田蘭世さんと向かい合うと「そんな愉快な人間いるわけないだろ」という先入観が頭をもたげる。生まれてこのかたずっとひょろひょろくんと暮らしてるなんて何の冗談だよ。3歳の頃にパーマが云々とか盛ってるだろ。なんだよ1+1を100にするって。信念の人にしては振り幅がデカすぎだろ。何もかもがごちゃごちゃしすぎる……etc. 一抹の先入観が私を引き止める一方、寺田蘭世さんは1つ1つ、真っ直ぐ自分の想いをぶつけてきた

時を遡ること2017年2月22日。その当時行われていた『5th YEAR BIRTHDAY LIVE』の最中、グループ内ユニット "サンクエトワール" の出番を間近に控えて、寺田蘭世さんの脳裏に何かがよぎった

"サンクエトワール" は乃木坂46のグループ内ユニットであり、堀未央奈さん、北野日奈子さん、中田花奈さん、中元日芽香さん、そして寺田蘭世さんの5人組で成り立っていた。しかしその中の1人、中元日芽香さんが体調不良により休業。4人で楽曲を披露する、その直前のことだった

思い立ったがなんとやら。隣の中田花奈さんに頼んで下準備を整えると、"サンクエトワール" の一員として『君に贈る花がない』のステージに立つ。曲が始まり、歌って、踊って、曲が終わると同時に左の手の平を前へとかざす。

そこには「ひめたん大好き」と書かれていた。「頑張れ」でも「待ってる」でもなく、ただただ「大好き」と、花ではなく言葉を贈った

予定にない行動だった。それをどう受け取るかはその人次第。感動した!という人もいれば、あざとい!という人もいるかもしれない。しかし周囲の反応がどうであれ、寺田蘭世さんはひたむきに "蘭世" の答えを出してきた。何度でも、何度でも、人と被ろうが被るまいが、"蘭世" の活動を続けてきた

昔はこんなこと言っても 十代だからさ 若いから言えるんだよってあしらわれることもしばしあったと思います。でも、過去のブログや今までの発言 今成長した私が振り返っても 当時の悩みや考えを素直に真っ直ぐすぎるくらいストレートに感情をぶつけてます。言葉に偽りがない 嘘が無いから恥ずかしくもないです。若いからとか無知だからとかでなく本気でこれが私なんです(寺田蘭世/2019年4月22日/乃木坂46個人ブログ『機密制定の』)

その上で、蘭世さんは「もう言葉なんかいらない 私からは十分なくらい語りかけました」と言葉を綴った。まさしくその通りだ。たびたび怯えながらも、伝える/伝えないの境界線ボーダーを越えて蘭世さんは言うべきことを言った。なら後は、それを観てきた私が信じる/信じないの境界線ボーダーを越えるかどうかだ

私は越えた。蘭世の魂を信じた

この境界線ボーダーを越えたところで劇的に何かが変わるわけじゃない。スイス銀行に1000万振り込むとかそういうこともない。生まれて初めて写真集を複数買い込んだが、人生が壊れるほどの冊数を買った覚えもない。本人が度々言ってきたように、可能な限りで適度に頑張った

その一方、寺田蘭世さんの "本物" の "本気" を信じたことで、自分の心の中で何かが動いた。一度に丸ごとと言うより、様々な段階を踏んでそうなっていった。そして最終的には、こうしてひたすら文章を書き連ねるようになった

私はきっと寺田蘭世を推していた

「これだけ見たら幼稚な発想だなと思う方もいると思いますが、1人1人の方がこういうことを願ったら、世界が変わるんじゃないかなと思う」(寺田蘭世/2019年11月11日/modelpress)

答えは最初から目の前にあった

今回は寺田蘭世の話というより、寺田蘭世を受け止める話だ。人が本音で語ったところで、それを相手が信じなければコミュニケーションは完成しない。本当は寺田蘭世ファン100人ぐらいにインタビューして統計を作りたいところだが、もう時間がないので、私という1人の人間にどう響いたかを書いている

"蘭世" の在り方は人の心を動かす。その実例をたった1つでも、この世のどっかに書いておきたかった。ちっちゃな実例だが、人はバカになれる。向こうが前のめりだと、こっちも前のめり返ししたくなる。私は身をもって学んだ

そして今から一度だけ、この文章群ではなるだけ避けていた話をする。人ひとりが、何かを受け入れるまでの話だ

滑走路という曲がある

2019年5月にリリースされた23rdシングルに収録された曲であり、寺田蘭世さんが2度目のアンダーセンターに就任したときの新たな武器だ

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23rdは蘭世さんの状態も非常に良く、歌の内容も「滑走路なんか必要ない。今すぐに空へ飛び立てるよ」と晴れやかに歌い上げる、格好よくも可愛くもなれる明るい曲だ。蘭世さんもお気に入りの一曲だった

寺田蘭世ファンからの人気も非常に高く、私もこの曲のMVを観たときは "寺田蘭世が戻ってきた" と思った。当時はもう年がら年中追っていたので戻るも何もないのだが、そう思うだけの理由があった。アンダーの活動で全体を支えてみたり、セラミュで苦手分野に挑戦したり、"下" や "外" での活動でレベルアップしてきたからこそ、「この寺田蘭世なら第一線でイケる!」と私の心は昂ぶった

あの当時、全身全霊を注ぎ込んだセラミュが一段落。乃木坂46のアイドルとして心機一転「私に、なれ!」をしてから約半年。満を持して臨んだ23rdの選抜発表こそ残念であったが、道はまだある。『滑走路』を引っ提げたアンダーセンターなら通過儀礼に違いない。乃木坂46という山をもう一度登るれるハズだ。そんな期待を込めて、当時の私はアンダーライブを観に行った

だが、今になってよくよく考えると、23rdの選抜発表の時点で1つの終わりが訪れていた。このたび『機密制定の』を読み返したとき、なんとなくそう思った。ふたまわり強くなって戻ってきた蘭世さんが飛んでいい空など、選抜という世界にはハナからなかった。滑走路がないのはもちろん、通行止めになっていた

誰の為の『滑走路』なのかと考えた。当時の乃木坂46は卒業ラッシュの真っ只中であり、『らんぜのNEWSがとまらんぜ』でもピーク時は月一ペースで卒業者を見送ってきた。↑に挙げた一覧表でも、ぽっかり空いてる時期は主に卒業生を見送ってきた。そういうときに丁度良い曲だった

この『滑走路』という曲のことを考える内に、私の心には小骨が刺さった。この小骨は厄介なもので、一度刺さると自分の意思ではもう抜けない。持ち前の理屈をどれだけ捏ねくり回しても意味はない。これは良い曲だから、蘭世さんも気に入ってるから、そう言い聞かせたところで「いや、今こそ滑走路がいるだろ」という、身も蓋もない思考から離れることができないでいた

しかも当時は、アンダーの番組であるのぎ天も終わり、本格的にアンダーでやることがなかった。私はその時期、OVERTUREの寺田蘭世特集(ランゼペディア)を何度も読み返して心をキープしていた。心の小骨は刺さったままだ

そんな中、2020年9月23日に蘭世さんがInstagramを開設した。その頃にもなると、選抜云々・人気云々はだいぶどうでもよくなっていた。ただ1つ、蘭世さんが目に見えて退屈そうだったから、Instagramが始まったときは私も喜んだ。好きな事を好きな様にやれるなら、滑走路がなくてもいいじゃないかと思った。それでようやく小骨が抜けかけたが、Instagramの開設までに数年かかったと聞いて、小骨がより深く刺さってしまった。去年の誕生日でもイケたじゃないか!

寺田蘭世のような人間が、大手を振って愉快に生きられる時代はまだなのか。そう溜息をつく一方、この時期は、蘭世さんのことをより詳しく知れた。ランゼペディアがあり、Instagramがあり、それまで見え辛かったものがいくつも色濃くなってきた。かつて一瞬垣間見た、私が大好きな "蘭世" だった

寺田蘭世は自分から物語を作りに行けるアイドル、そう誰かが言った。蘭世さんが自分を鼓舞する為に言った「センターを目指します」は、皆の中に物語を生み出した。しかし蘭世さんは、物語の登場人物に収まるような人間ではなかった

いつだってちょっとはみ出す人だ。人の道からはみ出るのは決して許さないが、1つの個性としてちょっとはみ出た部分を大事にする人だった。簡単に収めてんじゃねえぞと言わんばかりに、人間の楽しさと難しさを教えてくれる人だった

頂上の旗を目指して、険しい山を登っていた寺田蘭世さんのことも好きだった。ただ、その頃からたまに垣間見えていた、道なき道を行く寺田蘭世さんに私は惹かれていた。ぶっちゃけ楽しくない時間がだいぶ長かった。小骨もグサグサ刺さって46本ぐらいになっていた。だが、推し変したいとは一向に思わなかった

寺田蘭世さんがずっと "蘭世" だったからだ

そして2021年、最後の年が始まった。2期生でライブを行い、さゆりんご軍団でライブを行い、写真集の発売が決まり、蘭世の蘭世による蘭世のためのTwitterも始まった。そして10月28日18時、ラストライブが始まった

それは愉快なライブだった。開幕プチョヘンザ!で手持ちの小賢しいサイリウムが吹き飛び、謎の儀式で突如召喚されたそのひとが会場を呑み込み、ブランコが大きく揺れて、左胸の勇気が昂ぶり、蘭世の意思がボーダーを越えた。そしてそのとき着ていたドレスには、蘭世さんへの愛が溢れていた

ふと気がつくと、私の小骨が片っ端から消し飛んでいた。蘭世さんがずっと自分を貫いて、だからこそ、このラストライブが成り立った。そう思ったからだ

しかしただ1本、"滑走路" と書かれた小骨だけは抜けなかった。この曲のラストライブでの役回りは、堅実に進塁打を打つ2番バッターだったからだ。しかし、文句はなかった。手持ちの材料を可能な限り活かした最高のセットリストだったので、それはもうしょうがないと思った。これ以上を望んでは他のメンバーのファンに悪いとすら思う。小骨の1本くらいは墓まで持っていこうと思った

それからしばらくして、写真集が発売された。私は東京まで赴き、SHIBUYA TSUTAYAやTOWER RECORDSのパネル展を観に行った。……そこで直感した。この写真集ならあるいは。意を決して漫画喫茶の個室に入り、寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』を開く。1枚1枚ページをめくっていった

私の小骨はきれいさっぱり消え去った

次回は最終回(あとがき) テーマは #自由#未来

寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』


前回⇒なぜ、炎と嫉妬の戦士が誕生したのか

次回⇒なぜ、忘れられないんだろう?


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