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なぜ、忘れられないんだろう?

何が正しいとか正解がないからこそ、それを表現する言葉や行動には無限の可能性があります(寺田蘭世/2020年5月25日/乃木坂46個人ブログ『白い薔薇』

私は全力で語ってきた。この期に及んで恥ずかしがって、中途半端な言葉で日和るのが一番ダメだと考え、なりふり構わず、語って、語って、寺田蘭世さんを語り続けた。だが、"蘭世" を語り尽くす文章としてはまるで不完全だった。あのふにゃっとした笑顔の魅力を、私は言語化できていない

書き手である私の眼と頭が不完全であり、文章の質と量が不完全であり、記憶と記録が不完全であり、我々の眼に映る寺田蘭世そのものがきっと不完全だ。本人がどれだけ赤裸々に語ったとしても、知らんことなどいくらでもある。そして何よりこの文章には、この先の "蘭世" が一文字たりとも載っていない

乃木坂46でのアイドル活動に悔いはない。寺田蘭世さんはそう言った。実は私もない。選抜に何回なったとか、誰某だれそれがセンターになったとか、今の私にはもうどうでもいい。私が本当に観たいものがあるとするなら、それは未練の中にない。未知の世界と交わっていく、愉快な蘭世さんを観たいのだ。ライブ会場を飛び越え、世界と交わり、変わらず変わっていく "蘭世" が観たいのだ

私は好きだった。そのひとのライブが好きだった。しかし寺田蘭世という人間は、閉じた世界の中で完結するような人間ではない。満足することは死ぬまでなく、不器用な人生は最高であり、未熟者でありたいと心に刻み、何一つとして当たり前なことはなく、いつになっても童心を持ち続け、人間に完成はない

寺田蘭世さんが、ずっと "蘭世" の魂を持ち続ける以上、どれだけ語っても不完全になり続ける。そんなもの捉えられるわけがない。だからこそ、

私は蘭世が好きなのだ

人が人を好きになるのに理由は要らないというのは眉唾物まゆつばもので、実際は、無数の好きな理由がごちゃごちゃしている。1つしか挙げられないならそれは部分的にしか好きじゃない。それでも敢えて1つなら、"人間として好き" と言うほかない

一口にファンと言っても色々あるが、私はいわゆるガチ恋勢とはたぶん違うし、かといって信仰したいわけでもないし、可愛がるとか考察するとかも一部であって全部じゃなくて、なんなのか自分でもよくわからない。だが、蘭世が良き!と思ったのは、寺田蘭世が大好きなみんなと何ら変わらないと思う

私は "真のファン" みたいな言い回しが昔から好きじゃない。スタンスに違いはあれど、みんな同じちっぽけなファンだ。私には私の正解があるが、みんなにはみんなの正解がある。言葉遣いや公序良俗の類いに気をつけつつ、みんなそれぞれ好きにやればいいと思っていた。そしてだからこそ、ファンとしてのスタンスが違うからといって、他人を嘲笑する人間のことは好きじゃなかった。そんな風に思えるようになったのも、きっと蘭世さんがいたからだ

前回、私は小骨の話をした。心に刺さった小骨がまだ抜けない人もいると思う。敢えて口を出すなら、それはきっと正しい。その感情に至る前の事実認定を間違うことや、その感情に至った後の言動で「そこまで言うこたねーだろ」的な過ちを犯すことはあっても、生まれた感情そのものは1人1人の正解だ。そこに小骨があるなら仕方がない。無理に引き抜こうとしても心が歪む

だが1つ、私の経験則を述べておくと、蘭世の言葉や行動は後から効いてくる。蘭世さんは自由な心を持っていて、ファンの一歩先を行くからだ。いつか何かの拍子に、ひょっとしたらあなたの小骨が抜けるかもしれない。あるいはそれが、大骨だったとしてもきっとどうにかなると思いたい。なにもかもを不器用に呑み込んだ上で、自由な魂で歩んできた蘭世さんのように

筋金入りの堅物なのに自由な人、それが蘭世だった

蘭世さんは自由な在り方を教えてくれた。私のように、何事も小難しく考えることしかできない理屈屋の中にも、それはそれで1つの自由が生まれ得る。そう思えるようになってきた。私はまあまあキツい持病を患っていてフットワークが重いので、入念に準備しないとイベントの参加すら一苦労だ。しかしそれでも、蘭世さんの強く優しい在り方を観ている内に、前向きに生きていこうと思えた

"弱い女の子が輝きを求めて懸命に頑張る" という、注文通りのアイドル物語ではちょっと説明しきれない魅力が蘭世さんにはあった。その説明でも合ってるっちゃ合ってるのだが、その奥には極太の芯が埋まっていた

蘭世さんは愛情と理解のある家族の元で育った。そう聞いている。かつて乃木坂工事中で行われた "結婚しなさそうなやつランキング" 堂々1位の人とはいえ、いつか結婚して性が変わるかもしれない。もしそうであっても、蘭世が蘭世でなくなることはない(それはそれとして、寺田という苗字も今や大好きだ)

私は蘭世さんに選抜のセンターになって欲しかった。だがそれは、夢を達成して欲しかったからじゃない。1つのアイドルグループのセンター云々に寄りかかるよりも、その先の領域に踏み込む姿を観てみたかったからだ。しかし、寺田蘭世という人間のことを知れば知るほど、そのひとは最初から愉快でたくましかった。私は1ターン目の段階で既に、観たいものを観ていたことになる

何もできないからアイドルになった少女は、何もない人ではなかった。何ができようが、何ができまいが、この世に生まれ落ちた唯一無二の自分と向き合って生きていく。その生き様はアイドルになるずっと前から始まっていた。今にして思うと、そこに辿り着いてからが本当の推し活だった。私は手を変え品を変え角度を変えて、その "蘭世" なるものを書きつづろうとしていたのだ

自分の個性を大事にするとは、1人1人が異なり、正解のない世界の中で、自分に正直に、他人に誠実に、自分の正解を信じて、他人の正解をあざけらず、いつまでも変わらず変わっていくことだ。そう私は蘭世さんから学んだ

ありがとう。人として大好きです

蘭世さんには、これから先も幸せになってほしいと願っている。哀しいかな、私はもう追うことができない。本当は、この広い世界を自由に歩き回る蘭世さんを観てみたかった。だが蘭世さんはここに、写真集を残していってくれた

テーマは "大切な人との旅" だった

出会ってくれてありがとう(寺田蘭世/NHKらじらー/2021年10月17日)

寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』


前回⇒なぜ、ボーダーも滑走路も必要ないのか

次回⇒らんぜの勢い止まらんぜ!(新たなる挑戦)


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