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なぜ、炎と嫉妬の戦士が誕生したのか

私に、なれ!(寺田蘭世/2018年10月11日/ブログタイトル)

前回は、寺田蘭世さんが最も好きなことの話をした。そのひとが何を好きかを知れれば、様々なことがわかるからだ。しかし今回は全くの逆。寺田蘭世さんが大の苦手としていた、そんな世界に "挑戦" したときの話をしようと思う

なぜか

寺田蘭世さんは「何歳になっても自分を持ってイケてると思う事をやって生きていきたい」と言っていた。「勝手にらんぜはこういう子だと思うからこういう事したほうが良いとか勝手に決められたくない」とも言っていた。自分で自分をひらいていく人だった。だからこそ、世の中の先入観と戦ってきた寺田蘭世さんが、自分の "できない" と向き合う話を今一度考えたいと思った

寺田蘭世さんは今まで、自分ができるかどうか確証のないことに挑戦してきた。オーディションに挑んだ。センターに挑んだ。プリンシパルに挑んだ。自転車に挑んだ。武道館に挑んだ。氷瀑に挑んだ……etc、できたこともあれば、できなかったこともあるが、それぞれがかけがえのない思い出だと思う。ただここで今、この文章群も終盤になってきた今、何よりも話したい "挑戦" が1つある

それはある種のきっかけだった。寺田蘭世という小さな挑戦者を、さらに上の次元に引き上げる上で重要なきっかけだったと思う。それこそが、

寺田蘭世、セーラーマーズになる

事の起こりは2018年。本人が未知数な年と言っていた2018年上半期に遡る。その "舞台" への挑戦を聞かされた時、寺田蘭世さんの反応はかんばしくなかった

私は舞台を観劇するのは大好きなのですが 大好きなものだからこそ遠くに感じていたくて 夢の世界だと思っていたくて(寺田蘭世/2018年7月2日/乃木坂46個人ブログ)

寺田蘭世さんはアニメや宝塚を好んで観る人だが、そこには「非現実の世界」という、一線を引いた意識がたびたび垣間見えていた。それはそれ、これはこれ、という価値判断があり、生身の自分とは完全に切り離されていた

この時点でもう "意欲" が欠けていたのだが、それだけではない。実際上の問題として、寺田蘭世さんは演技というものを大の苦手としていた。それも単なる技術上の問題を越えて、人格レベルで相反する道だった

演技に対しても自分が自分でない人間になる事 それを私は楽しめないだろうと 自分が舞台に立つことをずっと拒絶してきました(寺田蘭世/2018年7月2日/乃木坂46個人ブログ)

なぜ、嘘っぽい言葉はいらないのか』でも述べたが、生身の自分を剥き出しにしたストロングスタイルで生きるがゆえに、自分でない何かになりきる演技が鬼門だった。かつて『16人のプリンシパル』に参戦したときも全戦全敗。本人曰く「プラスに取れば唯一2幕に出れなかったメンバー」でもある

斬新なつよがり方はしたもののトラウマは根深い。その当時のブログを読み返しては心がざわっとなり、その後の舞台オーディションでも敗れ去っている。自分にはできないと思っていて、実際やってもできない

不器用

それが当時の結論だった。演技中の自分を鏡で見ても違和感を拭いきれず、自分でない人間を演じるのは「嘘」と考えてしまう。あまりにも融通の効かない性格の持ち主、それが寺田蘭世という人だった

人格面は元より、単純な能力値の高さで自分を守れる人間でもない。その点においても、寺田蘭世さんは筋金入りの不器用だ。かつて乃木坂工事中の企画で自転車に挑戦したときも、皆はもっと凄いことをやっているのに、自分はこんなことすらできないのかと、根深い自己嫌悪に陥っていた。自分が "できない" という現実を前にして、たびたび押し潰されそうになっていた人だった

この時点では "意欲" に加えて "勝算" もない。加えて時期も悪かった。年度を遡ること2017年1月。17枚目のシングルで初めて選抜に上がった寺田蘭世さんは、初選抜としては上々の活躍を見せたもののなぜか選抜落ち。再び坂を登り直すことになり、アンダーアルバムの握手会で全完売を成し遂げ2018年3月の20枚目でようやく2度目の選抜に返り咲いた。ぶっちゃけ舞台やってる場合ではない

そもそもの話として、舞台経験に乏しいアイドルがいっぺん舞台に出演したところで言うほど人気に繋がらない。寺田蘭世推しでない乃木坂ファンがそこまで観ないからだ。その稽古期間の間、テレビで毎週無料で観られる乃木坂工事中などに出演した方が十中八九、人気は伸びる。わざわざお金を払って舞台を観に行くのは、ホントに舞台が好きな人と、もう既にがっつりファンになっている人だ。このプロジェクトには、現状での "旨味" がさほどないようにも思える

これでは三重苦だ。しかしただ1つ、寺田蘭世さんの認識を変える大きな事実があった。この舞台の企画名が『乃木坂46版ミュージカル美少女戦士セーラームーン』であったこと、それが何よりも重要だった。なぜなら寺田蘭世さんの幼少期において、セーラームーンはかけがえのない存在だったからだ

ひょろひょろくんの回でも述べたが、寺田蘭世さんは幼稚園に通うのが好きではなかった。型に嵌まった注文通りの園児服を着るのがイヤで、クラスメイトにもあまり馴染めないでいた。だが、実写セーラームーンの放送が始まってからは、毎週それを楽しみにして生きてきた

私もこんな力強くて可愛い女の子になりたいって思えて グッズを身につけて幼稚園に通ったら皆が話しかけてくれて初めて友達ができて 運動会の練習で転けて膝を擦りむいたときもセーラームーンの変身アイテムを握りしめて私も強くなるんだって セーラームーンという作品に私は沢山、救われてました(寺田蘭世/2018年4月17日/乃木坂46個人ブログ)

3歳の頃おしゃれに目覚め、自ら美容院に行って2時間微動だにせずパーマをかけて、セーラームーンの変身アイテムを握りしめて強くなることを誓ったのが寺田蘭世という人だった。字が読めないのに漫画版を読み、バンダイ版のミュージカルを観て、カラオケでムーンライト伝説を歌う子供だったという

そんな寺田蘭世ならば、あるいは!

この乃木坂46版 ミュージカル美少女戦士セーラームーンをやると聞いたとき自分がセーラーマーズ、火野レイちゃんだよって高山さんから聞かされたときは逃げ出したいほど怖かったです(寺田蘭世/2018年7月2日/乃木坂46個人ブログ)

無事、四重苦になった。当然と言えば当然の反応だ。もしこれが、舞台セーラームーンの演者にインタビューを行う企画か何かなら喜んで参加したハズだ。しかし、自分自身が舞台に立つとなったら話は別だ。全くの別だ。自分が本当に好きなものに対して、自らの手で泥を塗りたいファンはいない

そもそもこの舞台、主役のセーラームーン役を務める座長・井上小百合さんですら無理!無茶!無謀!と首を左右に振りまくる案件だった。それは相当なことである。舞台に力を入れている乃木坂46に在籍していたアイドルの中でも、井上小百合さんは指折りの舞台ガチ勢であり、卒業後はシス・カンパニーに移籍して日々舞台に立ち続ける超ウルトラスーパー本気のガチ勢だ。その井上小百合さんをもってしても、長い時間説得されてようやく腰を上げるミッションだった

彼女達にとって、セーラームーンという看板はとてもとても重いのだ

舞台経験に乏しい寺田蘭世さんからすると青天の霹靂もいいところ。本当はやりたくなかった。共演者の山内優花さんにも正直にそう話している。しかし、寺田蘭世さんは泣いても退かない人だった。かつて一晩泣いてから氷瀑に登ったときのように、蘭世さんの辞書に "逃げる" という三文字は(あるけど)なかった

物理的に怖かった氷瀑の時ともまた違う。それはそれは怖かったハズだ。だがそんな時いつもそうしてきたように、寺田蘭世さんは "気合" を振り絞る。まだ見ぬ新しい道へと、銀河劇場へと足を踏み入れた

その時どうにか蘭世がお芝居を好きになるという終着点でこのセラミュが終わればいいなと心から思った(山内優花/2018年10月2日/かなりゆかなり)

そんな寺田蘭世さんへの転機は開幕1ターン目に訪れた。むしろ開幕1ターン目でなければ、間に合わなかったかもしれない。演出のウォーリー木下さんと初めて会ったとき、寺田蘭世さんはさらりとこう言われた

演技は嘘ではない

ズバッとした一言だが、逆にそうでなければダメだったようにも思える。机上の理屈云々ではない。歴戦の舞台人が飾らぬ言葉を発するのでなければ、そこには説得力が生じない。そして銀河劇場には、この言葉を裏付ける程のがあった。当時の記録を読んでいると、私にはそう感じられるのだ

自分が初めて舞台に立つ側になって 裏側を見て 改めてアンサンブルさんの凄さを感じました(..)(寺田蘭世/2018年7月2日/乃木坂46個人ブログ)

アンサンブルというのは、主役の人達以外の色々な役目を果たす人だ。時には単なる一般人であり、時には敵の御一行様であったりする。そして舞台セーラームーンはミュージカルであり、セーラームーンである。超常現象がいっぱい起きるタイプの、虚構の世界フィクションを前面に出していく作品だ

元より舞台というのは、ドラマやアニメと比べても嘘が丸わかりなスタートラインに立っている。その上で、嘘を真にしていく力が必要となる媒体だ。例えば冒頭のシーンで、アンサンブルの方々は昔のテレビやコーヒーカップの被り物をして登場する。コント番組でも今時やらないぐらいの嘘っぷりだが、敢えてそこから始めるのが舞台役者の凄味だ。有り得ないことが有り得る、そう示す

主要登場人物の中にも豪速球の嘘つきがいる。その名はルナ。猫のルナ。何が嘘なのかというと、この猫は人語を喋る。そしてどこをどう見ても、本物の猫ではなく単なる人形だ。そればかりか、猫の後ろには黒子の人がいる

一行にまとめると、猫の人形を持った黒子の人が舞台を行ったり来たりしてたくさん喋っている。これはもうあからさまに嘘なわけだが、それを全力でずっとやり通すことにより、いつしか当たり前になっている。嘘ではない。本物がそこにいる。その気概がなければ、こんなことはやれないハズだ

本当に生きてるルナが居るみたいで凄くテンションが上がりました(..)(寺田蘭世/2018年7月2日/乃木坂46個人ブログ)

嘘を真にするを持った人達の中で、寺田蘭世さんは稽古に励んだ。心が楽になり、楽しみたいと思えるようにもなった。だが、それだけではない

信じられる力があり、信じられる人がいた

積極的に声をかけてくれる人がいた。何度も話し合って手紙をくれる人がいた。暖かく包み込んでくれる人がいた。頭を鷲掴みしてくれる人がいた。皆には優しいのに自分にはツンツンツンツンしていてお仕置きしたくなる人がいた。もっと沢山お話ししたい人がいた。期間中、毎日欠かさず連絡を取っていた人がいた。自分のことを理解してくれる人達がいた。真っ直ぐな言葉で1つ1つ書き綴っていく寺田蘭世さんは、この上なく嬉しそうだった

私、幼少期から無愛想だとかどこか冷めてるって誤解されることの多いタイプで こんな短期間で私のことなんて誰も理解してくれないだろうって悩んでいたのですが りなさんもそうですし、ここのキャストの皆さんは凄く理解してくれてだから、リラックスして安心して心の底から楽しく出来ました(寺田蘭世/2018年7月2日/乃木坂46個人ブログ『私 は teamSTAR!』)

そしてその中でも、山内優花さんは「私の取り扱い方わかってる(^^;」と言わしめる程の理解者になってくれた。寺田蘭世さん曰く「本当に本当に本当に本当に本当にみてほしい」ブログを書いてくれた人だ。寺田蘭世さんの生まれもった不器用さについて、それだけ素直ならむしろ器用だと言いもした

「口下手で不器用な人生」を送っていても、本気で本物の全力なら皆に伝わる。寺田蘭世さんの活動意欲はMAXになっていた。キャストの方々に会うことがモチベーションとなるほどに。キャストが自分以外の人間とイチャついてると嫉妬するほどに。今まであまり書いてなかったが、そのひとは意外と嫉妬深い。自分は自分、他人は他人だが、根っこで "人が好き" に見えて仕方ない人だ

本当にこんなに魅力的な人間 この世にこんなに存在するのかって毎日のお稽古も皆さんのお陰で頑張れたと思いますし本番も無事楽しく終えられました! 大好きな人達です!(寺田蘭世/2018年10月11日/乃木坂46個人ブログ)

そしてメンバー。寺田蘭世さんはTeam Star(井上小百合、渡辺みり愛、寺田蘭世、梅澤美波、中田花奈)が大好きだった。蘭世さんは個人主義者だが、チームでの逸話が意外と多い。青春を駆け抜けたサンクエトワールであったり、会話が合う者同士で集まったさゆりんご軍団であったり、それぞれに大事な思い出があると思う。ただ、それらとも少し毛色が違うのだ

"舞台セーラームーン" という1つの大きなミッションの為に集まり、しばらくずっと同じ釜の飯を食って稽古して、本番の舞台に連日連夜立ち続ける。それゆえTeam Starには、"戦友" という側面が色濃く見える

心を許せる戦友達と一緒にいたからか。Team Starでの蘭世さんは自らの心を開放しきっていた。座長の井上小百合さんに対しては、一緒にいるとバカになれると言っていた。渡辺みり愛さんに対しては恥も外聞もなく脚に抱きつき好き好き言って鬱陶しがられ、中田花奈さんには眉毛がちゃんと成ってるかひたすら聞き続けて面倒くさいと言われ、梅澤美波さんには梅ぴよピーナッツという謎のあだ名を付けて呼んでいて、全員で家に集まったり、謎の遊びに興じたり、何やらとても充実した日々を送っていた、というのがうかがえる

頼れる舞台人や気を許せるメンバーと共に歩んだことで、寺田蘭世さんの稽古は日に日に進んでいた。しかしそれだけでは、まだ足りなかったのかもしれない。もう一つ、寺田蘭世さんの舞台には不可欠な要素があった。それこそが、

火野レイ

という、寺田蘭世さんが演じるキャラクターそのものだった。それというのも、寺田蘭世と火野レイの間には符合する点があった。火野レイのパーソナルカラーは赤である。合ってる。それでいて赤一色ではない。合ってる。強気な性格だ。合ってる。誤解されやすい性格だ。合ってる。人情深い一面がある。合ってる。孤独を知っている。合ってる。"内に秘めた熱くて燃えるような大きく強い想い" がある。合ってる。1人だけなんか服装やら世界観やらが浮いてる。合ってる。変な名前のペットっぽいやつとずっと一緒にいる。合ってる……etc

井上小百合さんの場合、ぱっと見の段階では月野うさぎと噛み合うかどうか本人視点では見え辛いところもあり、それもあって出演に二の足を踏んでいた。しかし寺田蘭世さんの場合は、目に見えて火野レイとの間に親和性がある。むしろそうでなかったら、流石に出演依頼はしていないと思う。そうなると後は、寺田蘭世さん自身がどれだけそれを信じられるか、だったのかもしれない

寺田蘭世さんにとって、火野レイは当時の推しではなかった。幼稚園での "ごっこ遊び" では周囲から火野レイ役を求められたが、本人は水野亜美(セーラーマーキュリー)に憧れていた。しかし火野レイを演じて、火野レイについて考えれば考えるほど、改めて気づくことが多かったのだと思う。後輩の梅澤美波さん曰く、「蘭世さんはセーラームーン愛が強いからこそ、舞台の上でレイちゃんで在り続けることを1番に考えていた人だった」そうだ

火野レイについて、セーラーマーズについてひたすら考え続けた末に、そのひとはきっと腹を括ったのだ。今までの人生を火野レイに重ねてぶつけることを。蘭世さんにできる、唯一最大の戦い方がそれだった

私も乃木坂46に出会うまで只の少し変わった子でしかなかったと思います。でも、変わりたくて こんな人と違う私だからこそ 絶対に大きな事を 他の人では出来ない何かを成し遂げたいって 思っていた丁度、レイちゃんと同じ中学2年生の頃の自分と重ねていました(寺田蘭世/2018年10月11日/乃木坂46個人ブログ『私に、なれ!』)

自分ではない違う誰かに変わるとは。それまで約20年間、変わらず生きてきたと豪語する寺田蘭世さんの中で、"変わりたい" という想いがいつになく高まった瞬間があるとすれば。14歳の頃、アイドルをこころざしたあの瞬間に違いない。「レイちゃんとして 私として 心から変わってやるんだ」という想いと共に、

寺田蘭世はメイクアップと叫んだ

内面、自分の中の元から持っている特徴や個性がキャラクターとシンクロしていく これがteamSTARの良さだったと思います だから、演技に嘘がなかった(寺田蘭世/2018年10月11日/乃木坂46個人ブログ)

そこにはセーラーマーズがいた。凛として気高い声を解き放ち、毅然とした態度の中にも優しい心が垣間見え、"私にとって大切な場所" も、 "誰かにとって大切な人達" も、熱い正義で守り抜く。そんなセーラーマーズが立っていた。たぶんそんなには上手くないハズだが、ここ一番での異様なまでの迫力や、一瞬垣間見える揺らぎの美しさが、私の感情をぐわんぐわんと揺さぶっていた

寺田蘭世は火野レイに、セーラーマーズになったのだ

銀河劇場が熱く赤々と燃え上がる。「ステージでの蘭世さんはどこを切り取ってもレイちゃんだった。女性らしく時にかっこいい!」と、共に戦った梅澤美波さんも言うほどに。このたび今一度見返して、私はその晴れ姿に涙を流していた。あの瞬間の寺田蘭世さんは、 "できない" の境界ボーダーを高々と越えていったから

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千秋楽を間近に控えた2018年9月23日。天王洲銀河劇場に設置されたプロジェクトマッピング(=様々な演出を映し出す横長の大きなスクリーン)が稼動した。画面いっぱいになるまで、赤にふち取られた大きな文字が映し出される

"ハッピーバースデー蘭世"

二十歳の誕生日は大勢の人達と共にあった。そこにあったのは重い苦しみではなく、1つの素晴らしい思い出だった

この舞台を通じて何だか明るくなった。そう寺田蘭世さんは語っている。宝物が増えたと、人生の自慢が増えたと、そこにいた皆さんが私の誇りだと、皆さんのお陰で人間として成長できたと、胸を張って言えるようになった

かつて自転車に挑戦した時、湧き上がる自己嫌悪から謝罪を繰り返した寺田蘭世さんとも、武道館でのライブに挑戦したとき、剥き出しの魂を叩き付けた寺田蘭世さんとも、氷瀑に挑戦したとき、負けん気1つで登り続けた寺田蘭世さんとも何かが違う。大事なものを掴んだ、そんな気がしてならない

レイちゃんでよかった 初めて、自分らしさを大切に生きててよかったって思えました この性格、個性じゃなかったら レイちゃんに会えなかったと思うから! 新しい感情を教えてくれてありがとうございます!(寺田蘭世/2018年6月12日/乃木坂46個人ブログ)

自分の個性を信じて生き抜く意思と、何事も上手く行かない自分への嫌悪感がせめぎ合っている人だった。そんな人がようやく掴んだ喜びがある。自分じゃない何かになる経験の中で、自分が自分であることの意義を掴み、唯一無二の自分として生きていく意思を新たにする。変わった。そして変わらなかった

流されるもの 変わりゆくもの それらが大半だと思います それでも私は 寺田蘭世として生まれたから その人生を自分らしさを1番に楽しみたいのです。だから、今までは不器用でごめんなさいってネガティブでしたが 不器用って最高じゃない この生きざま 歩んできた道を誇りに思い 出会ってくれた 私を作ってくれた全てのかたに 感謝して生きていきます!!(寺田蘭世/2018年9月23日/乃木坂46個人ブログ)

変わることができるのは、変わらない自分がいたからだ。寺田蘭世としてこの世に生まれ落ち、その個性と共に生きていく。そんな寺田蘭世さんのことが私は大好きだ。そのひとは、誇り高き寺田蘭世だった

そして寺田蘭世さんは舞台の外へ

レイちゃんを最初で最後のいい思い出にしたいと思うぐらいレイちゃんが大好きでした!(寺田蘭世/2018年10月11日/乃木坂46個人ブログ)

二十歳の誕生日から数日後。無事、寺田蘭世の舞台は千秋楽を終えた。それまで20年間生きてきた中でも指折りの経験であり、かけがえのない思い出になった。そう寺田蘭世さんは熱く語っていた。リスペクトの気持ちからか髪に紫を入れてみると、画面越しには赤く映った。寺田蘭世さんの心を映し出すかのように

山内優花さんが最初に願っていたように、"お芝居を好きになる" という終着点へ寺田蘭世さんは辿り着いた。「この舞台に出れて本当に良かった」と言葉を漏らしたとき、後輩の梅澤美波さんは堪らなく嬉しかったそうだ

しかしそれでも、むしろだからこそ、寺田蘭世が進む道は舞台の上に続いていない。その考えは揺らがなかった。全身全霊で立ち向かい、やりきったからこそ、自分の道が今まで以上にハッキリ見えたのではないか。そしてこの先の寺田蘭世さんは、道なき道を歩き続けることとなる。自らが愛したおしゃれと共に

次回のテーマは #世界 と #個人

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寄り道だったのか。回り道だったのか。選抜という山を、センターという頂点を目指す上では、あるいはそうなるのかもしれない。しかし今、私は心から思う。本物の想いで、本気の歩みで、拓かれた道の足跡は、きっといつまでも忘れない

寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』


前回⇒なぜ、言葉なんか何もいらないのか

次回⇒なぜ、ボーダーも滑走路もいらないのか


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