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残像に口紅を(ネタバレ解釈感想文)

どうも、こむぎです。
実はnoteの投稿は初めてなのですが、初めましての投稿の前に「これだったら1note書けるのでは…?」という議題を見つけてしまったので、自己紹介はさておき、こちらの本について語らせてください…。

本日は「残像に口紅を」についての私の解釈を書き連ねていこうかと思います。
こちらの小説、SNSで流行ったみたいですね。
流行っているうちに宣伝に何回も触れたからでしょう。ついに唐突に読みたくなってKindleで買ってしまいました…。

そしてこの本を読み終わった後、ひどくやりきれない気分になって気持ちもぐちゃぐちゃだし他人の考察でもを読んで気を紛らわそうかと思ったのですが…

誰も自分の解釈を書いてねぇ…!


なんでだよ…。TikTokで流行ったんだろ…?
バズったんだろ…?「みんな」読んだんじゃないの?
それなら、読んでいる人口も多いはずだし鋭い考察に溢れているはずなのに…。
探しても探しても、「この本は「あ」から音と単語が減っていきます」
というような説明ばかり…。みんなこの説明文をコピペしてんじゃないか??と勘繰っています(この本のあらすじに関しては山ほどわかりやすい紹介投稿があるのでそちらをご参照ください)
私より賢い人がたくさん読んでくれているはずなのに…。

同時に、この本に関して感想を書けない気持ちもわかります。
私もかなり混乱しながら読みましたし、読み終えた直後は何から考え始めればいいのかわかりませんでした。「ここの部分は作者が「語る」より「実験」に意識が向いてるな」と感じたところはすっ飛ばして読んだところもあります。
普段は、自己満足の感想を書き殴っておしまいなのですが、今回は世の中で流行ってる割にあまりに自己解釈感想文が少ないので発信してみた次第です。

というわけで、私も100%の理解ではないのですが、ひとまず私なりの解釈を綴っていこうと思います。この文章はすでに本を読んだ方向けですので、読んでない方には伝わらない表現も含んでしまっているかもしれません。
他のネタバレ記事を読んでからの閲覧を推奨いたします。
※文章のプロではないので、読みづらいところがあったらごめんなさい!
※思い出しながら書いているので引用ではありません。ニュアンスが異なっていたらすみません。
※ここから、私の読書メモをベースにしているので敬語が消えます。そして、本を読んだ直後に書いたので文体が文豪チックになっています。ご了承ください

1.冒頭から失われる「あ」と、消滅が決定した世界、虚構と現実

まず、冒頭から「あ」が消えており、この時点で事が起こり始めてしまっているということがもう辛いことにお気づきだろうか。
主人公(佐治)とその友人(津田)が「あ」のない世界で喋り始めてしまったからには、言葉のない世界への「収束」へ向かっている。それは、始まった時点で全て消えることが確定した蟻地獄か死刑宣告された世界みたいだった。

途中の登場人物も、「いつもわからず消えてしまうのは死と同じようなもの」だと言っていた。こんなにも明らかに虚構だとわかる虚構なのに、なぜこうも現実とぴったりと隠喩のように重なるのだろうか。本の世界がメタフィクション(登場人物もフィクションだと自覚している世界)として、こちら側(現実世界)と交流を図ってこようとしてるからこそ、現実側(こちら側)にその虚構性が流れ出してきていると感じた。体の芯に響く恐ろしさがある。

2.失われていく概念たち/ なくなったものに気づかなければ同じと言えるか

音と共に概念が消えた瞬間、主人公はそれを自覚して残像を探るのだがそれがまた辛かった。直前までは、寧ろうざったいもののように綴られているのだけれどそれが消えた瞬間、今まで当たり前にあったものが消えてしまう追体験をしていた。
例えば、序盤で「犬」が消える。
すると、主人公は毎朝犬の吠える声で起きていたことを思い出さなくなる。主人公の変化は読者だけが知ることができ、私はこれが結構辛かった。(最初に津田さんもこの辛さについては語っていた)

この感覚は、「アルジャーノンに花束を」を読んだ時に似た感覚だった。アルジャーノンでは主人公が知的障害を克服し、その後の衰退を描いているのだがここでも同じ思考や思い出の喪失感を味わった。
概念消えた直後、佐治はそれまでそこにあった、失われたかもしれないものを慈しめる心があるのだが、しばらくすると何事もなかったかのように振る舞い始める。
娘が消えた後も、最初は父親として娘の消失を悲しみ残像に口紅をさしてやる想像をしていたのに、後半ではなぜ自分がこんなに大きなマンションに住んでいるのか不思議でしょうがなく思っているのだ。

少し話が飛ぶが私は、「パラレルワールドで起こってる惨劇なら見逃していいか問題」については、「知るわけないから起こっていないのと変わらない」と考える方なので「何かが失われたことを知覚していない世界=不変」と考えていた。し
かし、この小説の思考実験を見てしまったあとは失われた後の世界が同じはずがないと感じるようになった。
それは、特に主人公の人格にも表れていた。それを次の章に綴る。

3.人格変化は言葉の喪失によるものか

よく見る感想として、「言葉が減ると性格まで変わってしまうんだな」というものがある。
確かに、本人も「言葉が減ったから厭う(嫌な)言い方しかできない」と言っていたのでそれは事実なんだろう。だけれどそれだけが原因ではないのではないか。
後半、主人公が自分の生い立ちの回想をするのだが、主人公の両親はえげつない毒親であることがわかる。回想途中で「ま」が失われて、佐治は「妻」のことも思い出せなくなる。ここから更に主人公が壊れた気がした。

というのも、わざわざ言葉が足りない人たちを困らせようと意地悪な質問をするのだ。最初は妻と娘たちの嫌味ったらしい会話も聞き流せるような温厚な人物だったのに…。
そして、「これじゃ(毒親の)母とかわらないじゃないか」と心の中で笑うのだが、この時主人公の中には「大人になってから培った思いやりを構成するきっかけになった人たち」が消えてしまっていたからではないかと思った。そして、この意地悪な母の影響が大きい状態だから自然と母親の特性が表に出てしまったのではないか。
この、「他者の存在の喪失」による「自己の喪失」はこの作品の一つのテーマなんじゃないかと思う。

4.「つま」の消失

個人的にこの作品で独特だと感じたのが名前が消えてしまって妻でしかなくなった妻が主人公の前から消えてしまうところ。主人公はやりきれなくなってしまっていなくなってしまったのだと考察していたが、概念が逃げてしまうなんて、
そんなつかみどころのないところがこの作品の面白さだなぁと思った。

5.言葉の喪失と思考の停止

喫茶店の店員の女の子が「りがとう、ざいました…。」言うシーンがある。
そもそも、ありがとうも、感謝も失われたのではないのか。この世界にありがとうはないのに「りがとう」はいえるんだろうか。(ここら辺はそもそもルールに矛盾してるんだろうが…)
言葉が失われた事で、感情が失われてしまった少女。きっと、自身でも何を考えたらいいのかわからないはずだ。語彙が少ないほど思考能力が剥がされていくわけだし、気分がいいはずがない。私だって、こんな世界にいたらどう考えたらいいかわからないだろうしだからこそ行動力も奪われてしまうかもしれない。

この時点において、主人公は言葉が達者でよかったという認識を繰り返すが現実世界も似たようなものだと思う。言葉遣いがうまい人はいろんな場面で助かることがある。同時に、主人公は言葉で表現できない女の子を「感情のないロボットみたい」と捉えていたけれど、追いかけてきてお礼を言う描写からは言葉が不自由だからと言って何も感じないわけじゃないんだぞ、ということを言いたかったのかなと感じた

6.おかしくなっていく世界

普通が消えていく世界。
私にとって、これが適切なのかわからないが大災害後の映像が脳裏に浮かんだ。
あの、いつものものが急に消えてしまった世界。
街の密度がなくなってしまった世界。

そして私の勝手なイメージではあるが、言葉の消失とともに描かれる世界はキュビズムの絵のように見えた。全部が歪んでいて、くっつくはずがないところがくっついていてなんだか気持ち悪い。
そして、だんだんと形と形がくっつきながら最後にはまっさらなキャンバスになってしまう、そんな感覚だった。特に、終盤主人公は酒に酔っており、筆者も故意におかしな言葉を選び始める。混沌に混沌を重ね人も簡単に死ぬ。常軌を逸した世界だ。

3部になると畳み掛けるように次々と音が失われていき、宇宙の消滅を見ているようだった。
この感じ、どことなくバイオハザードの感染者の書記に雰囲気が似ている…。(趣味が漏れてしまってすみません)まともに思考ができず、難しい言葉とひどく簡単な言葉が混在し、同じ音を繰り返し、痛みに苦しむ。辛さと、興奮で駆け読んだ感があった。

7.何もなくなった世界

最後のページでは、「ん」もなくなって
真っ白なキャンバスになった時、私はとっても怖かった。見てはいけないものを見たような気もするし、やっぱり読んで良かった気もする。

8.言葉への愛着は感じたか?

当初の、この実験の目的は「概念としての言葉への愛着は感じられるか」というものだった。これは、主人公が「あなた」ではなく「もしもし」と妻から呼ばれることで表現しようとしていたが、正直言葉への愛着かと言われればそうとも言い切れないかも…。と思ってしまった。なんというか、言葉よりもその結果消えた「個体」の方に感情移入してしまうし、筆者が言葉を使うのが上手なせいで、正直言葉の消失をあまり感じずに済んだからだ。この目的よりも遥か遠くのどこかに行き着いてしまった気がする。だからこそ、一言で表すのが難しい作品だったのではないか。

最後に

というわけで、一通り私の思うところを書き終えました。
正直言うと、なんでこの本がTikTokというイケイケの若者で溢れている界隈で流行ったのかはわかりません。ですがそのおかげで出会えたのでラッキーともいえるでしょう。正直、こういう鬱々とした本って心への打撃が大きくあまり人にお勧めできるものではないのですが私はこれがきっかけでnoteを書くほど惹きつけられたし、思考するきっかけになりました。(でも、終わった後一人きりの部屋が怖いし、Kindleの画面が自動スリープするのにもビクビクしていました。しかも表紙の絵もなんか怖いしさ…。)

流行ってるから読みたくないという方々。これはそういう捻くれ者(いい意味で?)こそ読む本だよ!!
そういうタイプの人って考察とかちゃんとしてくれるし、おそらく今までの読者の中には挫折してしまった人もかなりいると思うし…。(読み返していて、ネタバレ投稿なのになぜ読んでない人に呼びかけているんだと気づきましたがこれは言っておきたかったので残しました。)

この本のラストで、何もなくなって、
最後のページをめくったとき
一瞬はこの本を読む前と何も変わらない今があるようにも感じられたのですが
喪失を体験した後の「振り出しに戻る」は、絶対に同じ振り出しではないというマルチバース的新しい体験もできたので、そう言う点ではかなり自分に影響を与えた作品だったと思います。

さて、3400字も読んでくださってありがとうございました。お疲れ様です。
もっとわかりやすく書きたかったのですが推敲もあまり時間をとりたくないので…。そこでチャットGPTに頼もうとしたらGPT文体にされるしかなりニュアンスが変わってしまったので、このまま特攻することにしました。(ちゃんと伝わってたといいな…)

皆さんも、面白い考察をしたら発信してみてください!!私が読みたいので!

それではまたー。(次回があれば…)

文章、イラスト:こむぎ

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