見出し画像

掌編小説 「ユタのあとがき」

「あとがきのつもりで書いてたら、いつの間にか新しい物語が始まってたんだ」
「いやそれキモいけど・・・ちょっと深いな」
「お前も本読みだな」
 にやりと笑うユタを俺は複雑な思いでみつめる。

本文より


 小説のあとがきは不要派だとユタは言う。

「俺が夢中で読んできたストーリーについて、実はこういう気持ちで書いていたとか、こんなきっかけで書き始めたとか、あれが最後へ繋がる伏線だったとか、そんなこと終わってから言われても、俺がずっと感じて考えてたことと全然違ったらどうなるんだよ。えーそんな意味だったの?とか知りたくないんだよ。百歩譲って作者の近況とか内容に関係ない話だったらいいけど、でもそれはそれで本の雰囲気とか世界観とか浸ってたのに急に現実に戻されるっていうか。作者の魅力と作品の魅力とまた別だろ」

 ユタの熱い語りに、おう、そうだなと気のない返事をしながら俺は三杯目のジョッキを空にして四杯目を注文する。
「だけどな、今回ばかりは俺にはあとがきが必要だ」
 急にしんみりと言い出すユタ。
「とりあえず飲んで忘れろよ」
 俺の言葉も届かず自分の世界に入っている。
「だってそうだろ、急に終わりにしましょうって言われたって終われないだろ。The Endじゃねーよ。俺の中ではTo be continuedだろーが。むしろI will be backとか」
「それ映画だし、古いし」
 卵焼きをつつく俺の前でユタは半分くらい残っていたジョッキを飲み干して宣言した。
「決めた!俺はあとがきを書く!」
 いやいや意味わかんないから。あなた本読みだけど作家じゃないし、どっちかというと体育会系だし。彼女に突然フラれてショックでパニクってるのもわかるけど、あとがき書くって何だ。
「俺は彼女との出会いから別れまでの物語の、そこにある意味を知らなきゃならない。なぜ俺たちは出会い、大学に入ってからの一年を共に過ごしたのに今別れなくてはならなかったのか。どこに伏線があったのか」
「何の伏線?」
「別れのに決まってるだろ!ちゃんと終わらせるためにも、俺はあとがきを書く」
 
 酔っ払いの戯言だと思っていたら、ユタはあれから本当に何やら書いている。
「例え話じゃなくてホントに書くんだ?あとがきだけ?本編なしで?」
「本編はもう終わったんだ」
 大学の学食のテーブルでノートパソコンを開き何やら打ち込みながらユタは言う。図書館でも中庭のベンチでも授業中の大講堂の後ろの席でもずっとパソコンに向かっている。スマホじゃなくてわざわざパソコンてところに本気度が伺える。
「ずいぶん壮大なあとがきになりそうだな」
「ああ、今、五十頁を超えた」
「…」
 書いているうちにユタは生気を取り戻していくようだった。顔色もよくなり、イキイキとした表情を見せるようになり、話す声にも張りがある。別れてしばらく飲んだくれていたのが嘘のように元気になっていく。たまに見かける元カノの隣には別の男がいるけど、そんなことも気にならないようだ。
 
 二ヶ月後、俺はあとがきを書く宣言を聞いたのと同じ居酒屋で、プリントアウトされ綴じられたあとがきを読まされていた。その分厚い原稿を読む間、ユタはひたすら飲んで食べていた。これ全部読ませる気かよ、と思って読み始めたのに、俺はいつの間にか引き込まれていた。何度も推敲して、最初に書いた半分は消した、などと作家のようなことを言っていただけのことはあった。それが実際に起きたとおりのことかどうかは関係なく、ユタの中で彼女との一年が一つの物語に再構築されていた。なぜ別れなければならなかったのか、その伏線はどこにあったのか、それは結局はっきりしなかったけれど。それでもユタの気持ちが整理され切り替えられたことが伝わってきた。二人の恋愛は、ユタという作家によって描かれた物語に変わっていた。もうユタ自身の失恋話ではない。何より原稿の後半は、彼女との話ですらなくなっていた。書くという喜びをみつけたユタの興奮が伝わってくる。

「もはやあとがきじゃねーな」
 俺の感想にユタは酔っ払った隙だらけの顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに頷いた。
「あとがきのつもりで書いてたら、いつの間にか新しい物語が始まってたんだ」
「いやそれキモいけど・・・ちょっと深いな」
「お前も本読みだな」
 にやりと笑うユタを俺は複雑な思いでみつめる。だってずっと俺は書いてきたんだからな。お前が彼女と仲良くやってるその間俺はずっと一人で書いてたんだ。報われない思いをどうにか昇華させるために必死で。

「俺はやっぱりあとがきは不要派だ」とユタが言う。
「そうだな」と俺が言う。
 お前は本編を生きろよ。ユタのあとがきは俺が書く。ユタがどんな風に考え、感じ、恋をして、どんなふうに生きたのか、しっかり見届ける。お前がそれを読むことはないんだから余計なあとがきを書いたっていいだろ?
 
 ユタは嬉しそうにあとがきの後半を占めていたバイト先の女の子の話を始めている。無邪気なユタのくしゃくしゃ笑顔を見たら俺も笑っちまう。本当は泣きたいはずなのにユタの笑顔は最強で、俺を今日も幸せに苦しめる。

 ああ、やっぱり俺が書くのはユタのあとがきなんかじゃなく、俺自身の本編なのかもしれないな。ハッピーエンドにはなりそうもないけど。むしろ全米が涙しそうだけど。いや、でも書き方によっては、結構切なくて、笑えるのに胸がぎゅっとするような大傑作になると思うんだ。

 幸せそうに笑うユタの顔を見ながら、俺はジョッキに手を伸ばす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?