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君がいただけで03

中央線

高校卒業を間近にした頃、教習所通いをしていた。お世辞にも、センスがいいともいえない私は、3月の終わりの入社式には間に合うように、焦り気味。いつもは、友達の陽子ちゃんと来てたけど、この頃は1人が多かった。
そんな時、同じように教習所に来てた、君に遭遇。出会ったのは中学生、その後、数年の間に時々は会っていたけど、タイミングが合わなかったというか、なにかすれ違っていた。中学生の時は、それこそ、可愛らしいおつきあいしか出来なかったから。

でも、今回は違った。中型バイクに乗っていた君が、なんだか以前より、男っぽくみえたりして。長い間、こんな私を遠くから、見守るように思っていてくれた気持ちに、初めて応えられるような気がしていた。だから、迷いなく、気持ちを伝えられた。そうやって、初めてデートしたのが、3月28日。
「頑張っておいで!」って、
言ってくれた、陽子ちゃんの入社式の日だった。
多分、その日はドライブして、湖に行ったような気がする。別の日だったかもしれないけれど、君は、お気に入りの、夜景が綺麗に見える公園も教えてくれた。ここは、今でも通る度に君を思い出すくらい、リピしたね。もう大丈夫だけど、しばらくは、ここへ来ると、苦しくなったんだから。

彼も、都内の専門学校への進学が決まっていたから、その限られた時間を出来るだけ会っていたような気がする。私は、入社後の研修なども始まった。彼は御両親の車を借りて、迎えに来てくれたりもした。新しい生活に、彼との時間、くたくただったけど、楽しかった。東京に行った後も、よく帰ってきてくれた。私に会うだけが、目的ではなかったと思うけど、彼も地元が好きだった。中高の友達、たくさんいた。バイクや車が好きな友達。いつしか、私も時々、その輪に混ぜてもらうことも。とは言っても、車でも電車でも、2時間くらい。時間もお金も、軽い負担ではなかったはず。当時、直接は聞いていないけど、もしかしたら、お金に関しては、そうでもなかったかもしれない。彼のお家は、御両親が自分で事業をしていた。それぞれが、一般的に高級車といわれる車に乗っていたし、会社と一緒とは言っても、なかなかの敷地と豪邸だった。だから、というわけではないかもしれないけれど、彼には育ちの良さがあった。良くも悪くも、意図的に人を騙したり、傷つけたりすることはないし、一緒にいて、その穏やかさだったり、優しさを感じる。反面、甘いと思うことも。
こうやって、大体は彼が地元へ帰って来て会うことが多かったけど、私が行くことも。思い起こすと、ほんとに数える程…いや、つきあっている時は、1回だけ?まず、わりと頻繁に帰って来てくれたということ。私が、すっとこどっこいで、電車に乗れなかったことが原因。その1回さえ、
「新宿に着いて降りたら、そこから動かなくていいから。」って言われたの。
彼も、この間までちょっと田舎の高校生だったのに、私をお世話しないといけないという使命感、半端なかったんだね。こんなことも、今なら彼なりに、一生懸命、心配して大切にしてくれていたんだって思う。

今になっても、彼のことを思い出すことは、時々ある。そして、たまに、中央線を利用することもある。

初めて自分で特急チケットを買って、ドキドキしながら、中央線に乗った田舎の19歳。その頃のことを思い出しながら、1人で「ふふ」とにやけるアラフィフ。

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