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領知宛行状関連の書状

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主に江戸幕府が大名に発行した領知を認める書状を紹介しています。
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2021年3月の記事一覧

青山忠成宛 徳川家康の領知判物(天正20年 相模国東郡)

青山忠成宛 徳川家康の領知判物(天正20年 相模国東郡)

今回紹介するのは天正20年(1592)の徳川家康による領知判物とその領知目録です。家康の花押が付いています。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐によって関東を治めていた北条氏は戦国大名としては滅亡しました。
その後、秀吉に命じられ、家康は関東へ移封となりました。その2年後の書状となります。

領知判物相模国東郡の5千石を宛行う判物です。
当時の東郡は高座郡に属するようです。東郡全域を有したわけではない

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徳川綱吉の領知朱印状

徳川綱吉の領知朱印状

今回紹介するのは江戸幕府5代将軍の徳川綱吉の領知朱印状です。
貞享元年(1684年)9月21日付で全国の各大名に発給しています。この朱印状は浜松藩の青山和泉守に宛てた現物となります。

領知朱印状とは幕府は大名に対して土地の領有を認めています。承認の証として領知朱印状と領知目録が発給されます。領知朱印状には領知を認める旨と将軍の朱印が押されます。大名の転封や加増によっても発給されることはあると思い

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徳川吉宗の領知朱印状

徳川吉宗の領知朱印状

今回紹介するのは江戸幕府8代将軍の徳川吉宗の領知朱印状です。
享保2年(1717年)8月11日付で全国の各大名に発給しています。この朱印状は丹波亀山藩の青山因幡守に宛てたものとなります。

吉宗は、この朱印状の発給の前年に将軍に就任しています。代替わりによる朱印状発給と思われます。
以前紹介した、徳川綱吉の時代に発給された朱印状から33年後、江戸幕府が始まってから100年以上経過しています。

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幕末の大名の領知目録(安政年間)

幕末の大名の領知目録(安政年間)

今回紹介するのは江戸幕府14代将軍の徳川家茂の時代に発給された領知目録です。15代将軍の徳川慶喜の時代には領知朱印状と領知目録の発給はない認識ですので、家茂のものが江戸時代の最後の発給と思われます。

以前違う時代で2度紹介した領知朱印状にあった「目録在別紙」の別紙に該当します。安政7年(1855年)3月5日に発給された篠山藩の領地目録です。

領知目録国名、群村が記載されて群単位で石高の合計が記

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