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徳川綱吉の領知朱印状

今回紹介するのは江戸幕府5代将軍の徳川綱吉の領知朱印状です。
貞享元年(1684年)9月21日付で全国の各大名に発給しています。この朱印状は浜松藩の青山和泉守に宛てた現物となります。

領知朱印状とは

幕府は大名に対して土地の領有を認めています。承認の証として領知朱印状と領知目録が発給されます。領知朱印状には領知を認める旨と将軍の朱印が押されます。大名の転封や加増によっても発給されることはあると思いますが、主に将軍の代替わりによって発給されるようです。

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遠江国敷智郡之内五拾三箇村
長上郡之内六拾九箇村引佐郡之内
三箇村麁玉郡之内三箇村豊田郡之内
四拾五箇村山名郡之内拾三箇村
武蔵国荏原郡之内四箇村橘樹郡之内
下丸子村相模国大住郡之内六箇村
高五万石(目録在別紙)事充行之訖
全可領知者也仍如件
貞享元年九月廿一日(朱印)
(朱印の位置より下に)青山和泉守とのへ
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高五万石の事、之を充行(あてがい)訖(おわ)んぬ
全く領知すべき者なり、仍って(よって)件の如し
意味としては、
「5万石をあてがいました。記載の通り、すべてを領知する者です。」
みたいな感じでしょうか。

読んだ感じでは、郡の村単位で領有するようです。浜松藩なので浜松周辺の遠江国が大部分と思われます。ただ、武蔵国の荏原郡は現在の東京都品川、目黒、太田区の辺りで橘樹郡の下丸子も太田区です。相模国の大住郡は伊勢原や厚木、平塚、秦野など神奈川中西部になります。大名も飛地を有してたようです。合わせて5万石の大名です。

領知目録

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小さく「目録在別紙」と書かれているのが領知目録のことです。
目録には各群の村名と合計の石高が記載されます。残念ながらこの朱印状に紐付く領知目録は所持していません。領知目録は別のものを所持しておりますので別記事で紹介します

朱印

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徳川綱吉の朱印ですが「綱」の字が何か植物の葉のような印象を受けます。
また宛名ですが、人物の石高、家格によって敬称や位置が変わります。
この大名は5万石のため、敬称は「とのへ」ですが、10万石以上では「殿」となるようです。また家格によって宛名の位置が変わるようです。この朱印状では朱印の位置よりも宛名は下にありますが、中段に位置するものもあるようです。

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