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千利休がお好み焼きを作った…

織田信長や豊臣秀吉に仕えていた千利休は当時は時代の最先端をいっていた。
新しいものが好きだった織田信長は千利休を特に気に入っていたようで、武士達に茶道を教え教養をつけさせていたという。

千利休自身も新しいものを発明し、茶道文化を大いに発展させてそれまでの煌びやかで高価な道具を用いる茶道ではなく、質素な侘び茶の世界観を完成させ、草案の小さな茶室に似合う素朴で手捻りでつくる楽茶碗を考えお茶そのものを楽しもうとした。

一休庵 三帖台目の小間 (施工事例)
黒の楽茶碗 無料写真素材より

茶菓子においては小麦粉を水で溶いてケシの実などを混ぜ、丸く薄く焼いて味噌を塗ったふの焼きを考えたとされている。

味噌を塗っただけのふの焼きは江戸時代になると餡を巻いて食べる助惣焼き(すけそうやき)となり、明治に入るともんじゃ焼きに発展して大流行したそうだ。そして昭和初期には洋食文化が一般大衆にも広がり、ソースをつけて食べるお好み焼きが生まれたとされています。

他にも宇治抹茶と茶葉を氷に閉じ込めてかき氷にした千利氷(せんりびょう)も考案したとされてます。

千利氷 https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/20888/ より

千利休は切腹を命じにきた役人に「お茶の支度ができております」と言ったそうだ。お茶にその生涯をかけた利休のように私も何かひとつのことで後世に名が残るような人間になってみたいと思ってしまいます。

*もんじゃ焼きやお好み焼きは諸説あります。

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