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春風とシフォンケーキ 前編 #短編小説

洗濯物が家の反対側に飛ばされた。ハンガーにかかったワイシャツが裏庭に落ちている。時おり、びゅーんと突風が来て、庭木や草が激しく揺れている。
 30年前に開発されたこの住宅地は、漁師町から少し離れたところにある。しかし海に近いことには変わりなく、冬から春にかけては毎日強風が吹き荒れている。温暖な地域だが、前に雪国から遊びにきた祖母は、風があってこっちの方が寒いと言っていた。
 3月になっても、まだまだ空気は冷たい。でも佳奈はこの風の中にかすかに春の匂いを感じとる。花の香りなのだろうか。かすかに甘い匂い。庭に反射した光に目を細める。風と一緒にキラキラした光のかけら達も一緒に舞っている。田んぼの向こうの山には、うっすらピンクが見える。
 毎年この時期になると佳奈はワクワクしてくる。何か新しいことが始まる予感。
4月の誕生日がもうすぐだから?進級してクラスや先生が変わるから?
それだけが理由ではない。胸からきゅーっと希望が沸いてくるような感じがする。 
 庭のワイシャツを拾った。他の洗濯物も取り込む。何枚かは地面に落ちて、何枚かはクルクルと竿に巻きついてからまっていた。裏庭の梅にはメジロが2羽遊びに来て花をつついている。

-あ、そういえば。
 家に入り、佳奈はランドセルを開ける。美南(みなみ)ちゃんにCDを貸してもらったんだった。佳奈の知らないバンドのCDだ。かっこいいから聞いてみて、と言っていた。2階の自分の部屋へ行き、CDプレーヤーに入れてみる。うーん、この歌がいいのかどうか佳奈にはよくわからない。でも、美南ちゃんが言うのだからきっとかっこいいのだろう。今度はランドセルから図書館で借りた本を取り出し、壁にもたれかかって座り小説の世界に入りこんだ。

「なあなあ、きのうのテレビ見た?」
 休み時間、美南ちゃんが寄ってきて言った。音楽番組にあのバンドが出てたのだ。
「よしださん、関西弁まるだしだったよね。
 くくく(笑)」
彼女は佳奈の知らないアーティストをたくさん知っている。お姉さんに教えてもらうらしい。洋楽も聞いているようだ。佳奈も南実ちゃんに追いつこうと音楽番組をかじりついて見ていたが、アーティストの派手な衣装や音、司会とのオトナなトークに圧倒されるばかりだった。
「よしださんが好きな納豆の話、
 めっちゃ盛り上がってたやん!
 話に花咲か爺さんだったよ!
 くくく(笑)」
美南ちゃんは「話に花咲か爺さん」って表現が気に入っていて何回も使う。

 次の休日、美南ちゃんの家でシフォンケーキを作ることになった。佳奈達は最近、お菓子作りをすることに夢中になっている。絵理ちゃんと一緒に材料を買い、自転車で向かう。
 美南ちゃんの家は、図書館を通りすぎて国道を渡ったところの新しい住宅地にあった。もちろん美南ちゃんの家も新しい。1本向こうの通りには真っ白なカフェがあり、その手前の角には彼女行きつけの美容室がある。そこへ佳奈と美南ちゃん絵理ちゃんの3人で髪を切りにいったことがある。ちょっとトンガッた格好のお姉さんに切ってもらうのは緊張したけど、待ち時間にファッション雑誌をみるのは楽しかった。

「きょうは電動泡立て器じゃなくて、
 手で泡立ててみよ!」
「えーー?」
「本当はその方がよく泡立つんだって。」
美南ちゃんは何でも知っている。
「できるー?」
「できるよー、ほら!」
「あ、ちょっと泡立った。」
3人で交代して泡立てた。
「うーー、疲れるーー。」
時には歌いながら。
「おいしーケーキをつくろおー♪」
絵理ちゃんが泡立て器を片手にくるくる踊る。
「なにその歌!」
そして出来映えは·····
「あんまり膨らまなかったね。」
「でも、おいしい。」
その後は外国のボードゲームをして遊んだ。

☆☆☆☆☆

 それから20年後、佳奈は、再び美南ちゃんの家の前に来ている。佳奈は故郷を離れ結婚したが、この週末、用事があって実家に帰ってきていた。そして買い物に行く途中、ここを通りかかったのだ。
-まさか、いるわけないよね。
彼女とは中学校に上がってからは、それぞれ友達も変わり、一緒に遊ぶことがなくなった。そのまま、連絡もしなくなり、高校や大学も別、今はどこにいるのかもわからない。
 角の美容室はもうなくなって住宅が建っている。白いカフェはまだある。美南ちゃんの家も、壁がちょっと色あせたけど、あの時のままだ。
 玄関から女の人が出てきた。彼女のお母さんだ。
「こんにちは。」
「··········あれ? かなちゃん!」
「うん、わかりました?」
「雰囲気が昔と一緒。
 懐かしいねえ····」
お母さんがしばらく無言になる。
「美南がいなくなってから、
 もう、3年になるんよ·····」
「いなくなるって、どこか遠くへ
 行ったんですか?」


☆☆☆☆☆


(後編へつづく)