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[エッセイ]~今日もあの人を想って~バランスが大事

                     

 私が初めて人間関係に挫折したのは大学生の時だった。大学時代は大学祭実行本部に所属していた。

中学時代はブラスバンド部に所属したものの、練習が嫌いで二年生の途中で辞めた。高校時代は、何か部には入らなくてはいけないという決まりだったので、英会話部に所属した。でも、参加したのは入部手続きと卒業アルバムの集合写真を入れて三回だけだった。

このまま、まともな集団生活を送らないまま、社会に出るのはまずいとずっと思っていた。入学してすぐのオリエンテーションで知り合った女の子が入りたいと言うからついでに、というポーズをとりつつ、大学祭実行本部に少し意味を持って入部した。
 イベントに限らず、ひとつの仕事を仕上げるにはたくさんの人の協力が必要であり、自分自身、常に考え、行動し、周りの考えを吸収し、気を配らなければならない。私はそのことを何一つ知らなかった。細かく書けばきりがないが、私はそれができなかったし、やろうとしても、下手だった。自分勝手で融通がきかないくせに、文句は多く、周りに甘えてばかりの人間だった。

人生初の孤立も経験した。自分で選んで孤立するのと、気がつけば孤立しているのとではわけが違う。皮膚の下から内臓に向かっていつもひりひりしているような状態だった。最終的に表向きは大団円で終わったが。


 ここでの挫折はその後役に立った。社会人になってからは昔に比べてうまく立ち回れるようになった。しかし、例外があった。女の世界である。私は共学育ちで、大学、会社員時代は、周りはほとんど男性ばかりだった。結婚してからは、仕事、習い事、ボランティア活動など、周りはほぼ女性だった。そのすべてではないが、配慮の無い発言や、かたよった意見が飛び交い、迎合、暴走する様を見た。何でこんなにこんがらがりやすいのだろうと嫌気がさした時、この場に男性がいたら、こんなに醜い争いはしないのではないかと思ってしまった。


 女性ばかりだと物事が進みにくいと私は言っているのではない。お互いの「目亅があったほうが、景色や内包しているものがよりよくなるのではないかと言いたいのだ。異性の「目亅があれば、無様に振る舞うことは少ないように思える。最近、女性同士のトラブルに巻き込まれると、大学時代や会社員時代に出会った男性たちに心の中で感謝してしまう私がいる。
「ありがとう。君たちがいるといないじゃ大違いだよ」
バランスのとれた人間関係を望む。

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