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「本と食と私」今月のテーマ:別れたくないもの

ライターの田中佳祐さんと双子のライオン堂書店の店主・竹田信弥さん2人による連載「本と食と私」。毎回テーマを決め、そのテーマに沿ったエッセイをそれぞれに書いていただく企画ですが、今月は竹田さんのご事情のため、田中さんの記事のみの更新となります。テーマは、「別れたくないもの」です。

別れたくないもの


文:田中 佳祐

 死ぬほど美味いものと聞いて、何を思い浮かべるだろうか?
 私は甘いお菓子だ。
 美味いものはたくさんある。寿司もBBQもカニも美味い。しかし、それらは「また食べたいなあ」と思わせ、生きがいを与える食べ物なのだ。
 一方で、甘いお菓子を食べると「もう死んでもいい」と口にしてしまいそうになる。最後の晩餐を選べるのだとしたら、スイーツビュッフェでお願いしたい。
 
 アガサ・クリスティーの『予告殺人(原題:A murder is announced)』(新訳版 羽田詩津子訳 早川書房 2020年)には「甘美なる死(Delicious Death)」という名前の料理が登場する。誕生日のお祝いに作られた、いかにも甘そうなチョコレートたっぷりのケーキだ。死ぬほど美味しいケーキを、いつの日か食べてみたい。
 『予告殺人』はチャーミングな老婦人探偵ミス・マープルが活躍するシリーズの一作で、彼女が登場する小説には多くのお菓子が登場する。ミス・マープルはお茶をするのが大好きなのだ。
 
 『パディントン発4時50分(原題:4.50 from Paddington)』(松下祥子訳 早川書房 2003年)という小説では、ミス・マープルがスコーンを食べながらアフタヌーンティーを楽しむ場面がある。
 小学生の頃にこの作品に憧れた私は、大人になってからスコーンを買った。見つけたのは近所のパン屋で、300円くらいだったような気がする。これがめっぽう美味い。プレーンなものからイチジク入り、チョコレートチップ入りなど、種類も豊富だった。友人にプレゼントすると喜んでもらえるので、よく手土産に買うようになった。
 
 贈り物に使うようになってから気が付いたのだが、どうやらそのパン屋の商品はめちゃくちゃ美味いらしい。”らしい”と言ったのは、私は子どもの頃から食べているので客観的に感想を述べることができないからだ。
 よく考えてみると今まで、行列のできるメロンパンや有名なクッキーを食べても「なるほど、まあまあ美味しい」としか思わなかった。菓子パンや焼き菓子に対する私の中の基準値が、そのパン屋によって自然と高く設定されていたのかもしれない。
 
 そのパン屋では、新作もよく販売していて、流行のスイーツや聞いたことのないお菓子も売っている。
 先日「カンノーリ(cannoli)」が店頭にあって、嬉しくなって買った。カンノーリというのはイタリアのお菓子で、サックサクの生地の中にリコッタチーズがたっぷり入っている。
 映画『ゴッドファーザー』にカンノーリが登場する有名なシーンがある。
 マフィアが裏切者を銃で撃った後に言うセリフだ。

”Leave the gun. Take the cannoli.”
銃は置いていけ、カンノーリは持っていくぞ

『ゴッドファーザー』
フランシス・フォード・コッポラ監督 1972年

 『ゴッドファーザー』には、もう一度カンノーリが登場するシーンがある。オペラ鑑賞をするマフィアのドンに、毒入りのカンノーリを食べさせるシーンだ。
 幸いなことに、私はカンノーリを食べてもまだ生きている。毒は入っていなかったが、そのカンノーリを食べてからとらわれていることがある。
 
 いつの日か、そのパン屋が「甘美なる死」を販売してくれるのではないかという妄想だ。小説にはレシピが載っていないので、作れるはずがない。しかし、あの変わったパン屋ならいつか出会えるかもしれない。憧れのスコーンもカンノーリも売ってくれたのだから、もしかしたらと期待しているのだ。
 
 私が死んでお菓子を食べられなくなるその日まで、つまり死が2人を分かつまで、私の「甘美なる死」への気持ちは消えないだろう。


著者プロフィール:
田中 佳祐(たなか・ けいすけ)

東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。

竹田 信弥(たけだ・しんや)
東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。

『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』
竹田信弥、田中佳祐 共著 晶文社 2021年

双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。

店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
営業時間 水・木・金・土:15:00~20:00 /日・不定期
webサイト https://liondo.jp/
Twitter @lionbookstore
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