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2022年12月5日 小松庵銀座 ≡ 森の時間 ≡講師 テニスコーチ白井寿(しらい・ひさし)さん

白井コーチ「自分のフォームは自分でクリエイトする」


小松孝至社長(以下、小松社長)
本日は僕のテニスの大先生である白井寿(しらい・ひさし)コーチのお話です。どんなお話になるのか、楽しみましょう。

白井寿コーチ(以下、白井コーチ)
まずは、僕と小松社長の出会いのお話をしたいと思います。
当初は僕のテニスの師匠が小松さんのコーチをしておりました。その人は中国の代表の選手で、いわゆる「プロ」でした。その人が病気になって手術をすることになり、その間だけ僕が代わりのコーチとしてレッスンを受け持つことになりました。

結局、そのコーチは病気で亡くなり、小松さんには今も僕のレッスンを受けていただいています。その理由を、小松さんに一度聞いてみたいと思っていました。

白井コーチ(左側)と小松社長(右側)

小松社長
今ここにいる人たちもそうなのですが、僕の周りにいるのは自分の波長に合う人たちです。
その亡くなったコーチは陳さんといいますがプロの人でした。私は何も知らなくて、ただ波長が合うなと思っていました。
これまでに小松庵で働いた人たちや、いま働いている人たちもそうですが、波長が合う人を集めていたら、その人たちが全部一流の人たちでした。

ちなみに、何か縁があった人たちは、それには白井さんも含まれますが、その人たちは全員「変人」。変人つながりです。
白井さんは、失礼だけど不器用で、しかも遅咲きです。
白井コーチの前に習っていた陳さんは僕には何も教えてくれなかった。その陳さんが病気になって、白井コーチが代わりに教えてくれるようになったときに、陳さんがやろうとしていたことをワード化してくれたのです。

僕も白井さんに似ていて、物事をワード化します。
これは一流の人にはできないことです。彼らは考えなくてもできてしまう。でも僕らはすぐにできないから、できないことをしみじみと味わい、悩み、考えて、言語化します。

蕎麦も同じ。すぐにできて分かってしまう人もいる。
でも、できないで悩んで、続ける人たちもいます。

だから陳さんが亡くなって白井コーチに変わってから、やっとテニスが分かるようになりました。
僕は蕎麦もやったけど自分でもダメだと思っていました。
でもダメな人はダメなりの世の中の役割があると思います。

僕が蕎麦の世界でやれていたら、人にもそのやり方の通りにやれと言うだけだったと思います。でも自分ではできないから、悩んでいろいろな人に相談をして、そのおかげで人との繋がりが作れたと思います。
白井コーチもそうだと思います。

ただ、本当にいいものは伝わりにくいです。

白井コーチ
テニスの場合、初心者向けの体験会では最初にどうやって打つのか聞いてくる人が多いのです。
でも、僕は教えないで「とりあえず打ってみてください」と言います。そして「どうでしたか。気持ちよかったですか? 気持ちよかったらOKです」と言います。それから、さらにどうなりたいのかを聞きます。
それぞれになりたい姿の理想があると思いますので、その姿に近づく手伝いをしたいと思っています。僕の理想を押しつけるのは違うと思っています。

<フォームを直されて1日で挫折>

白井コーチ
今回は、なぜ僕がテニスを始めたかの話をしたいと思います。
最初は中学生のときの部活でした。中学生になったときに、親から何でもいいから運動部に入れと言われました。僕は小学生のときにゲーマーで、ずっと家にいて太っていました。

入った中学の運動部はどれも厳しそうで土日も部活があります。唯一、土日の練習は休みと書いてあったのがテニス部でした。それで入りましたが、実は土日は毎週のように試合がありました。
イヤイヤやっているうちに、ハマりました。

というのは、運動神経は全くないのですが、努力ができる方なので筋トレに励んでいました。その努力が実って、運動神経は良くないけれど、部活の中では一番になれたのです。当時は、腕立て伏せや腹筋を1日300回、ランニングを2時間くらいやっていました。

もっと上手くなりたいと、テニススクールの「選手育成コース」に入ろうとしました。入る前には入会テストがありましたが、受かっちゃいました。

これで一流の仲間入りだと思ったのですが、その日の練習ではコーチにフォームを直されて、そのフォームだといいショットが打てません。だから、元の自分のフォームで打つとコーチに怒られる。それが嫌で、入会テストにせっかく合格したのに、その日にやめちゃいました。

白井寿コーチ

<次のテニススクールも3か月でやめちゃう>

白井コーチ
それで中学では部活を一生懸命にやって、高校に入っても部活でテニスをやっていましたが、高校のコートの改修工事のためにテニスをできない時期がありました。それで、仕方なく別のテニススクールの育成コースに通うことにしました。

今回は多少辛くてもがんばろうという覚悟で行きます。僕はテニスが好きだから打てれば何でもいいのですが、コーチから「サーブ&ボレーヤー」になれと言われます。

「サーブ&ボレー」というのは分かりますか?
テニスは基本的にワンバウンドしたボールを打つのですが、バウンドする前にネット近くで打つこともあります。それが「ボレー」です。コーチからそれをやれと言われて、自分的にはイヤだったけどがんばってやりました。がんばっていましたが、テニス自体が嫌いになりそうになって、結局3か月くらいでやめちゃいます。

<3度目のテニススクールはコーチ見習いとして>

白井コーチ
そこで、書店にあるテニススクールのコーチたちが書いた本をたくさん読み漁って、直接に教えてくれるコーチはいないけれど、練習メニューは本に書かれていることをやろうとがんばったら、東京都の体育連盟の「優秀選手賞」をいただけるくらいになりました。

それから高校3年生になってから、もう勉強をしたくないからテニスコーチになろうと、そのための修行をしに、知り合いの紹介で有名なテニススクールでコーチ見習いをすることにしました。

これまでに僕はテニススクールではやらかしているので、嫌だろうがなんだろうが仕事だからと割り切って覚悟して始めました。
そこはフォームを大切にするスクールで、僕はそういうのは好きではなかったのですが、知人の紹介でもあったので、死んでも続けようとがんばりました。

そしたら、ある日、起きあがろうとしても体が鉛のように重くなって動かなくなってしまったのです。食欲もなくなり、眠れもせず、全ての欲を失ったような感じになってしまいました。結局、コーチも続けられなくなりました。
しばらくは、テニスも怖くてやれませんでした。

そんなときに高校時代の友達と会って、テニスをしていないと僕らしくないと言われて、少し無理をして中高年の人たちと普通の遊びのテニスをやるようになりました。それをやっているうちに、ようやく再びテニスが楽しくなって、毎日のように楽しくテニスをやっていたら、コーチをやらないかと誘われるようになりました。結局は、別の初心者のコーチをやり始めて、さらに楽しくなって大会に出るようになりました。そして声がかかったテニススクールに行ったら、そこで陳さんと出会いました。

<楽しくないと続けられないから、楽しくやる努力をする>

白井コーチ
陳さんは、教え方は厳しかったのですが、愛情があって、気遣ってくれました。

あるとき、もっと上手くなりたいから厳しい練習に耐えるためにはどうしたらいいのか、と聞きました。
そしたら「苦しいのは耐えられない、楽しくやらないと続けられない、楽しくなる努力をしなさい」とはっきり言われたのです。
苦しい練習があったらどうやって楽しくやるか、苦しい練習はどれだけ短時間で済ませるか、などのアドバイスをいただいて、それなら耐えられそうだとホッと安心しました。

そんな陳さんの教えを受けて、本当に強くなれている実感がありました。
僕自身は、陳さんが亡くなったらテニスを辞めようと思っていたのですが、コーチとして求めてくれる人がいて続けることになりました。

陳さんが亡くなられたので、僕のテニスはこれ以上は上手くならないと思っていましたが、陳さんの教えてくれたことを続けたら、さらに上手くなりました。
そのことを自分なりに解釈すると、陳さんがいたときには言われたことをやればいいと依存していたけど、いなくなってしまったので自分で考え自分の感覚に問いかけるようになったので、上手くなることができたと思います。

そのことから考えると、素晴らしい人に教えを請うのは大事なことですが、その上で自分自身に向き合うのがより大切なのだろうと考えます。

<蕎麦とテニスの共通点>

白井コーチ
銀座店料理長の小池さんからご覧になって、テニスはどうですか。

銀座店の小池料理長
昔、軟式テニスを一度やったことがあって、サーブはイメージ通りにできましたが、レシーブは難しくて思ってもいない方に飛んで行ってしまいました。

銀座店の小池料理長

蕎麦との共通点は、先ほど言われていた「コーチが教えるときに必要以上に言わない」というのは自分の中で共感できます。自分は小松庵で教えてもらった通りに打っています。でも、人によっては基本を他店で習った人もいます。だから、理屈はきちんと説明して理解してもらい、基本的な体の動かし方というのはそれぞれに任せています。

自分が教わった人は見れば分かるだろうというタイプの人だったので、自分も必要以上に口を出さないでいます。

白井コーチ
テニスはメンタルは非常に関わるスポーツですけれど、蕎麦にはメンタルは影響しますか?

本店の杉本料理長
そうですね、影響すると思います。
心と体が連動して、最適な状態を作ります。

毎朝、蕎麦を打っていますが、自分がイライラしていると、イライラした蕎麦になります。調子良く乗っているときは、仕上がりが良くなります。

長くやっているので体は同じ動きができますが、メンタルは日々動きます。それが一致したときに、いい蕎麦になります。

本店の杉本料理長

白井コーチ
テニスもメンタルが関わります。

次はメンタルの話をしたいと思いますが、その前に、基本的なテニスの説明をすると、学生のテニスは、地区大会、都大会、関東大会、全国大会と4段階に分かれていて、地区大会の決勝に出ると都大会に出られます。僕は、中学生のときにテニスクラブの選手育成コースに合格するくらいテニスができていましたので、僕は地区大会では何回も、都大会に出られるくらいのシードもらっていました。

でも、その度に緊張で震えていました。
僕はテニスが強いはずなのに、大事なときには負けていました。いつもの感覚になれなくて、まるで勝てない。

それで中学生のときにメンタルの本を読みました。
それで分かったのは、格好よくないとダメだと囚われていた部分があったことです。だから、格好よくなくてもいい、ダサくてもいいんだと思いながら試合をすることにしました。
できるのなら格好よく打ちたいのですが、誰でも打てるような球でいいんだと思っていると、たまにはいい球も入るようになりました。
最後の大会でそれを覚えて、小さな大会で3位になりました。

高校に上がる頃にはダサい自分でいいところまでクリアしたのですが、次のゾーンの課題は、いかにリスクを背負って攻めるかということでした。もちろんリスクを背負いすぎてもダメ、リスクが少なくすぎてもダメ。いい日もあれば悪い日もある。
だから、その都度で自分に問いかけなければならないことになります。
調子の悪いときには耐えて耐えて、ダサくてもいい。魂を動かさずに耐えます。それで負けてもいいのです。負けてもいいと思うのが大事。

耐えた上で心を見ようとすると、相手が下がるときや自分が上がるときを感じられるようになりました。そのときにベストなパフォーマンスをすれば、それでいいんだと気づくようになりました。

どれだけ僕が調子がよくても、世界一位のフェデラーには勝てません。
それと同時に、普段なら絶対に勝つのに、メンタルの微妙な流れのせいで負けることもあります。でも、負けてもいいと思いながら、その流れに沿うのです。自分の外の空気や観客、相手や自分、その流れのベストの状態に合わせても、格下の相手にも負けるような日は勝つ日ではなかったということなのです。
それを受け入れられるようになってから、一歩上のステージに上がることができました。

先ほど、杉本料理長が自分がイライラするとイライラ蕎麦になると言いましたが、自分の状態だけでなく蕎麦やつゆの中にも波があるのではないかと思いました。

小松社長
こういうコーチです。おもしろいでしょう?
僕はテニスをやっていても、蕎麦をやっていても考え方が同期されています。
コーチの中には、世の中に正しいフォームがあってそこを求めたり、蕎麦で言えば正しい打ち方があると教える人もいます。教わる方も、正しいフォームをを求めて、教えてもらう階段を登っていったらそこに至れると思いがち。

ところがやっていたら分かるけれど、テニスでは正しい打ち方、正しい足の運び方なんてないのです。100人いたら100人違います。
僕が白井コーチに習ったのは、正しい打ち方を自分で作らずに誰がやるのかということでした。

人生も同じ。
蕎麦も一緒。

僕らがやめてしまったら、本物の無添加のおいしい蕎麦を担う人がいなくなってしまう。
それくらいの気持ちでやっています。

「自分のフォームは自分でクリエイトする」

この一言だけでも、価値のある言葉だと思いました。

(終)

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