インターネットと僕らの今後について~メディアリテラシーと陰謀論~

「俺が若い頃は…」とか「俺が子どもの頃は…」とか言い出すのは「自分の世代が下の世代より優れている」と思ってしまっている痛い大人にありがちなイントロなのであんまり好きじゃないですが、僕が子どもの頃に社会を知るために触れていたメディアと言えば、学校の授業・教科書・テレビ・漫画・本・CD…くらいなものでした。
パソコンは小学校高学年くらいの時に親父がWindows98(あの目ざわりな蜂が飛んでるやつ)の入ったのを買ってきたのですが、インターネットは遅すぎてほとんど使わず、なんかメモ帳に冒険小説のマネみたいなのを書いたり、ソリティアとかマインスイーパやって遊ぶのにしか使ってなかった気がします。
ケータイを初めて持ったのは高校生になってからで、ガラケーからスマホに変えたのはつい最近(3年前くらい)です。
今の子どもや若者に比べたらかなりのメディア弱者(新しいコンテンツに無知という意味で)でしょう。
今年小学生になった甥は、すでに物心付く前からiPadやスマホで遊んでました。まだ話すこともできないのにYouTubeの関連動画を自分で選んで再生する様子には度肝を抜かれたものです。(それだけ直感的に操作できるデザインなんでしょうね)
僕らと違って今の若い世代は、幼い頃からインターネットにあふれる多様なコンテンツ、情報の濁流の中で育っています。LINEやYouTubeを始め、Twitter、Instagram、TikTokなど…24時間いつでもどこでも、自分が見たい情報に触れられる、誰かと繋がっていられる、僕らからしたら夢のような時代です。
完全に私見ですが、僕らの世代より彼らははるかに速いスピードで膨大な情報に触れ、吸収する事で、早熟で知能が高くなるものと思われます。その知能が良い方向に使われるかどうかは別として。
彼らが触れるメディアと僕らが触れていたメディアとで決定的に違うのは、情報が発信者以外の組織(または人)によって発信前に確かめられているかどうか、だと思います。テレビの放送や本の出版は必ず発信者以外の複数人による確認や手直しが入ってから世に出されます。一方で現在のメディアは発信者が直接、いきなり世界全体に発信できてしまう。その情報は「正しいかどうか、信頼できるかどうか、有用かどうか」でなく、「人々が求めるかどうか、面白いかどうか、注目されるかどうか」だけで際限なく拡散されます。拡散された情報には「多く拡散されている」という事そのものが信頼性じみたものを付与していき、更に拡散される…という、ウイルスのような振る舞いをしているように感じます。
僕が危惧しているのは、真偽不明で何の根拠もない情報に触れる子ども達のこれからです。彼らはどうやって情報を取捨選択していくのか?
身近で、フラットアースを信じている若い女の子がいます。地球は丸いのではなく、平らで、空は透明な天蓋で覆われている…とか、そんな事を真顔で言ってて、度肝を抜かれました。どうやらその子は他にもQアノン系の陰謀論を信じているようです。なんだか、人の皮を被った爬虫類系の超文明のやつらに世界は裏で操られてるとか、金持ちは子どもの生き血を吸って長生きしてるとか…もはや漫画です。
上記のようなのはまだ可愛いものですが、特に昨今のワクチンについての陰謀論は実際に人の生死に関わるので非常に危険です。
最近、神真都(ヤマト)QとかいうQアノンの日本支部を自称する連中がワクチン接種会場に乱入した事件がありました。今回は幸い死傷者は出ませんでしたが、彼らが凶器を持っていて、現場で何かしら偶発的な接触があったらどうなっていたことか。神真都QはYouTubeの再生数を稼ぐために元俳優が立ち上げた組織だそうですが、彼らがいつオウム真理教のような危険なカルトに変貌してもおかしくありません。
こういう陰謀論を語る連中に共通しているスタンスは科学的な知識、および方法論を認めないということ、つまり査読を受けた学術論文を情報ソースにしようとしないということです。
自分達に都合の良い情報だけをあげつらって何の科学的根拠も無い理論を作りあげ、社会に実害を与える…なんだか、危惧していたこれからの世代の間違った未来=バッドエンドを見せられているようで、不安で仕方がありません。
制限された情報にしか触れてこなかった僕らの世代が正しいという気は毛頭ありませんが、何にしても「知ろうとしない事は罪」だと思います。科学は自分と違う意見と真っ向から向き合って、是々非々で自分の意見を修正し、異論を取り入れる事で真実へと向かっていきます。その真摯な科学的姿勢を失わない事が、最も大事かと思うのです。


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