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#34 必ず「言葉」にしてみる

考える作業とは、物を作ったりするように、他人から見て、それと分かる作業ではありません。ですから、ややもすると頭の中で、「ただ何となく考え」、「ただ何となる表現する」ということになりかねません。「ただ何となく」だけでは、考える作業は前に進まない気がします。やはり「考える」ということの分かりやすい作業は「言葉にする」ことでしょうか。

例えば「しゃべる」という作業を行う際、                  ①最初は何か頭の中にあるモヤモヤしたものを言い表したいという欲求が生まれ ②そのモヤモヤにふさわしい言葉を探し出します               ③その結果、モヤモヤが整理され、考えるという作業が始まります

自分の言葉を持たないということは、自分の考えを持たないということに繋がりかねないです。

会社の中での会議などの仲間と会話する空間では、言い難いことも、極力言葉に置き換えるよう、お互いに心がけております。

自分だけが考えていて他の人には無いこと、あるいは、多くの人が感じていながら言葉に置き換えにくいこと、言葉にしようと思っていなかったもの。こんな領域を突いていくことが大切だと思っています。

私たちに何らかの役割があるとすれば、組織の多くの人が考えていて、うまく言葉に変換できないでいる概念を「言葉にする」ことではないか。そんな言葉を探すことも大事な役割だと、考えております。

我々は、理性的で理知的な情報の共有も大事ですが、さらには、感性・感情・感覚によるエモーショナルな繋がりも大事になっている気がします。


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