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400年前の勉強法

 今、岩波文庫の「哲学原理」という本を読んでいる。
 内扉に鉛筆で、1996年3月3日と書いてある。購入日だ。
 25年前!!
 我ながら向学心は立派だが、ご想像通り、歯が立たなくて、放置である。

 ところが、最近、この手の本が読めるようになってきている。
 このような本を読むために私に必要だったのは、経験だったのか?
 にしてはずいぶんな遠回りだ。
 他の人たちは、初読は何歳くらいで、理解の程度はどのくらいだったのだろうか?
 なんとなく気になる。

 で、21ページに来た時、「おお」と思った。
 デカルト自身が、「哲学原理」の読み方について、書いているのである。
 要約すると、

❶最初は、小説を読むように、全体に目を通すことで、扱っている主題をざっと知る
❷調べる必要や興味を感じたら、その意図を持って、二度目の読書をする。わからなくてもいい、恐れずに、線を引いたりして、中断することなく読む。
❸三度目に読むときは、❷の線を引いたところが理解できるだろう。難解であっても、何度も読み返すことで、解決が見いだせるだろう 

 というかんじだ。
 しかし、この読み方、どっかで聞いたことがある。
 というか、普通に、最もオーソドックスに語られる勉強法そのものだ。
 もしかしたらその原点は、「哲学原論」だったのか?
 びっくり。

 しかもこのあとにデカルトは、長年の人間観察によって、どんな人であっても、高い学識を得られない人などいない、と、言っている。
 彼がこの本を著したのも、人々が哲学という灯明を持って、人生を楽に生きられるようにという思いのためだ。
 そのことを丁寧に、仏訳者への書簡で、書いている。
 なんと、親切で愛に満ちた人なんだろう。

 本、そして読書というのは素晴らしい。
 率直にそう思う。
 400年前に生きた人の、優しさや、人となりに触れることができるのだ。

 さあ、今、41ページまで来た。
 秋の夜長、急ぐことなく、じっくり味わいながら読み進めようと思う。

現在、「自分事典」を作成中です。生きるのに役立つ本にしたいと思っています。サポートはそのための費用に充てたいと思います。よろしくお願いいたします。