リズムエッセイ【小松甘雨】
小松雨暗が描いたオリジナルイラストや、自分で撮った写真を加工したものです。 「みんなのギャラリー」に置いてある分につきましては、note内でご自由にお使いください。 ★有料素材は、note以外のSNSでもご利用いただけます。よろしくお願いします★
・自分用の世界観事典を作っています。 ・考える時や、何かを書く際の軸にするためです。
自分の知らなかった情報や、興味のある記事を集めています。 クリエイターさん、ありがとうございます。
書きたいテーマでリズムエッセイを書いています。 【リズムエッセイとは、小松雨暗の造語。構成を気にせず、勢いで書く書き方】
みじかい気持ち、たち
周囲の人間に、自分は怪異な体験を好物とし、それを収集していると公言しているが、それに応えるような、そんな逸材は、まあ、いない。 怪異に寛大な私でも、それは気のせいでは?と思ってしまう失礼な毎日だ。 そんな自分だが、それでも、いくつか、「それは珍しいタイプの怪異では?」と思ったものがある。 一つは、某飲食店のマスターの話だ。 珍しいことに、このマスターは、私にとっての怪異のデパートだった。ダメもとで、お聞きしたのだが、なんと色々、体験談をお持ちという。 観光地方都市の飲食
守護霊的存在が警告してくれたので助かった、とか、ある偶然のせいで助かった、といような話は、それを見聞きした周囲の人の、羨ましいです、とか、ご先祖の徳で守られているんですね、という大合唱とセットであることが多い。 でも、それはどうなんだろうと思う派。 みんな、自分の凄まじい運の良さを棚に上げて、かろうじて地獄に仏状態で生きている人の慎ましいラッキーを持ち上げるなんて、ある意味、悪趣味、嫌味。 内臓が健康である人が、内臓の存在をいちいち認知しないように、ほとんどの人には、先祖
もう、みんなわかってることだと思うけど、マジで比較には意味がないです。 自分の足りないと思うところについては、他の人の中に見つけやすいけど、自分が充分満足するだけ持っているものについては、意識に引っかからないだけですよ。 こんなことを言っても、どうしても自分の心配事について比較して苦しんでしまいますよね。それは、私も人間だから、すごくよくわかるんだけど、やっぱり何の解決にもならないんですよ。 比較で悩むということは、つまり変えようのない家族や職場の人といった自分の周囲の人
自分は、結婚もしていないし、子供もいない。 もとから、そういうことに対する思いは、他の女性より低かったことは認めるが、驚くべきことに、30代後半の頃は、こんな私でも苦しんだ。 結婚できない相手と付き合っており、身体的理由で子供もできないことはわかっていた。その状況を理解しているのに、焦るのである。 結構、苦しかった。 人と違う幸福感を持っていても、自分の子孫を作れないということには、心が激しく翻弄された。我ながらびっくり。 まあ、それも、完全に産めない年齢になれば、落ち着きま
1.抗えないエネルギーの方向 2.人間社会では「善」とレッテル貼りされている事柄。あえて言えば、悪い存在の善は悪。
1.オーダーメイド世界観
近所の奥さんであるAさんが来てくれたことは、初めてのことで嬉しい。 私が茶器を用意しようとしていると、留守の間のことを話してくれる。 「なんか変な音がするんだよね」 ああ、と私は頷きながら、茶器を探す。この家の変な音やらラップ音やらはもう慣れっこだ。 来客用の茶器はここのハズだけど。 あった。それを取り出す。 「それで、なんだろうと思って寝てみたら、窓に手形が沢山あるの」 え?手形?にしても寝るって・・・ああ、和室か。 「どこにあるんです?」 「消えた」 「消えた?」 「そう
人生を一番良く表すのは、ゲームだろう。 つまり、演算である。 あの分岐の塊。 昨日、録画を見終わってそのまま放置していたら、NHKの子供番組に変わっていた。ふと見ると、コンピュータのプログラムをやっている。分かりやすいように、コマンドは日本語だった。なるほど。今の子供は、ならば、人生が選択の連続、いや、選択しかないことに、割とすぐに気付くだろう。 例えとしての「人生は選択の連続だ」というのは、若いときから聞くこともある、ありふれた物言いだが、その文言で普通にイメ
1.肉体無くして言葉あり
1.それはどこにあるか、あえて言うなら頭部前面斜め上の空間 2.対話 3.有機と無機が反応する、時間を無視した状態
1.その意義を説明出来ない衝動 2.創造主のエネルギーが人間に及んでいるもの 3.知性
1.現世 2.時系列的にも位置的にも、天国(と称される彼岸)とは並列である。上にも下にも後にも先にもない。等価。
1.存在 2.その内部においては全てが相対
もう、20年くらい前のこと、H市の老舗料亭を利用した時のイヤな話をします。 その料亭は、過去に家族と利用したことがあり、料理はとても美味しく、素晴らしいものでした。その後、毎年お正月に利用するくらい、皆、気に入っていたのです。 ある日、遠くから知人を迎えることになり、私は、その料亭に知人を招くことにしました。早速二週間後の予約を電話でしました。知人がH市に到着する兼ね合いで、午後6時半に予約したかったのですが、その日は7時からしか承れないということだったので、それで
自分はよく人に、ちょっと変わっていると言われてきた。 それを自分は「面白い人」「ユニークな人」という肯定的な語感で受け止めてきた。女友達は本当に優しくて、笑顔でそう言って、本当にバカな私を慈しんでくれた。今でも感謝している。 ここ数年で、ようやくそれは、本当に変わっているということなのだと気づいた。初めてそれを認識した時、人間って自分の事はわからないって本当だと心底驚いた。こんな自分ですら、「あの人は変わっている」と思うような人はいたからだ。自分もその属性でありながら。