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とことん選択を迫られる

 人生を一番良く表すのは、ゲームだろう。
 つまり、演算である。
 あの分岐の塊。

 昨日、録画を見終わってそのまま放置していたら、NHKの子供番組に変わっていた。ふと見ると、コンピュータのプログラムをやっている。分かりやすいように、コマンドは日本語だった。なるほど。今の子供は、ならば、人生が選択の連続、いや、選択しかないことに、割とすぐに気付くだろう。

 例えとしての「人生は選択の連続だ」というのは、若いときから聞くこともある、ありふれた物言いだが、その文言で普通にイメージするのは、人生における割と大きな選択だ。どの職業を選択するか、どの大学に進学するか、結婚相手、タイミング、といったような、あるいは、もっとネガティブな決断である。

 いや、学校の信頼できる先生などは、割と、真実を教えてくれていた人もいたと思う。一挙手一投足、すべて選択だと。でも、子供だった私たちは、面白がって笑うばかりだった。
 今なら、本当のそうだな、と痛感するばかりだ。
 様々な選択を繰り返した結果、今の状態がある。
 人生というのは、ああ本当に、思うほど我に返っている時間などない。
 今、こうやって、前頭葉を働かせ、しかも、自身の事を時間的俯瞰で考えているにもかかわらず、全く、状況的には、客観的ではない。

 選択をする主体は、自分である。
 他者の存在は、もちろん不可避である。相手が拳を突き出せば、こちらにダメージが出るがごとく、当たり前に因果関係はある。でも、その結果を取捨選択しているのは自分である。相手など関係ないのだ。あるいは、選択の結果、人がどう思うかも関係ない。
 とことん、選択し尽くす。
 つまり、とことん、自分の人生を生きる。

 ああ、そういうことだなあ。
 若いときは、もう一つ、タイムラグのことも理解していない人生だったwww
 自分を生かすには、何度も試行錯誤が必要で、間違ったと思ったら、何度でも修正するんだ。そう心がけ続けて、はじめて、形になるんだと。

 終わり

現在、「自分事典」を作成中です。生きるのに役立つ本にしたいと思っています。サポートはそのための費用に充てたいと思います。よろしくお願いいたします。