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"推し"がいないオタク

私は自分のことを「オタク」だと思っている。

アニメ・漫画・ゲームの話を振られたとき、嬉々として話についてこられるのだから、まぁ一般人からしてみたら立派なオタクなのでしょう。

しかし、アニメとかゲームが好き!とふとした瞬間に人に話すとき、実は一番困る質問がある。それが、

「誰が推しなの?」

というものだ。


"推し"というのは、グループの中で一推しのメンバーを意味する略語である"推しメン"をさらに略したもので、昔はアイドルグループのファンの間などで使われていた言葉でしたが、最近ではアイドルに関わらず、アニメやゲーム等のキャラクターについても同様の意味で使われることが多い言葉です。(ちょっと古くさい言い方をするなら「〇〇は俺の嫁」といったところだろうか。)


私にはそういった”推し”がいない。なのでその場では

「私は箱推しなんだー、えへへ」

と適当に言ってごまかしています。(グループ全体を推すことを“箱推し”と言う)


しかしそれは正確な答えではないのです。
なぜなら私は「キャラや中の人推しにはあまり興味なく、純粋にストーリーを楽しんだり、かわいいキャラをみて楽しんだり、背景の考察やネタを楽しんだりする人」だからです。

…が、別に好きなキャラや中の人がいないわけではなく、なんとなく作品ごとに好きなキャラが2,3人いて、中の人も好きな人が何人かいる。そんなスタンスで私はずっとオタクを名乗ってきました。


この時点で、特定のキャラや中の人を真に推してるファンからは「ファンを騙るな」と言われそうだ。そりゃあそうだと思う。”推し”がいるオタクの情熱は本当にすごい。部屋中を推しのグッズで埋め尽くし、県外のライブやツアーへ欠かさず参加し、必要となれば海外へも行く。そんな人たちと比べれば私の情熱なんて微々たるものなのかもしれない。


しかし昨今のオタクたちには「推しがいないオタクはただの"にわか"」といった風潮があるような気がしてならない。
オタクの中で「推しがいない」ことに対して一種の居心地の悪さを感じざるを得ないような環境になってしまったような気がする
私と同じように取り残されてる人、いるんじゃないでしょうか?


これは日本のサブカルチャーの市場規模が急速に拡大したため、特定の範囲に収まらない「広く浅いオタク」より、星の数ある作品の中の、ある特定の作品の誰かを強烈に”推す”「狭く深いオタク」の方が尊重されるようになっちゃったのかなぁ、と。(勝手に考察)


じゃあ私のような「広く浅いオタク」はオタクじゃないのかと思われるかもしれないが、そうではない。オタクです。同世代の一般人から見たら「特定の好きな人はいないけど、気に入ったグッズやサントラは買ってるし、誘われたらライブにも行く」なんてキモオタ以外の何者でもないでしょう。

(こういう「広く浅いオタク」って今だと何て呼ぶのでしょうね?マニア、フェチ、物好き…うーんしっくりこない。)

まぁ要するに、推しがいようがいなかろうがみんなオタクなんですよ。同じ穴の狢なんです。
「"推し"がいないのにその作品を"好き"と言ってもいいのか」と悩む方もいるかと思いますが、ただ尊重しているところが違うだけであって、オタクの本質は何も変わっちゃいないんです。


私は正直、”推し”がいるということは少しうらやましいです。あれだけの情熱、あれだけの愛を捧げることができる存在があることは、人生においてこれ以上のない喜びなのでしょう。実際、”推し活”をしてるオタクのツイッターとかを見ると非常にイキイキとしていますし。
しかし、昨今の「推し至上主義」的な風潮には少し異を唱えたいと思い、今回このような記事を書きました。



昔はアニメを見るだけで「オタク」と後ろ指を指されてきましたが、最近では自己紹介をする場で「自分はオタクです」と自ら言う人も増えてきました。いい時代になったな、と思います。

しかしそんな時代だからこそ、もっと気軽にオタクを名乗っていいんじゃないのかな、と私は思うのです。







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