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時間の使い方は、その人の生き方そのもの。

当たり前だけれど、私たちの時間は有限です。
1日24時間、1年365日。
無限ではなく限りがある。

まして、明日生きている保証だってない。
明日突然この世から自分がいなくなることだってあるかもしれない。

なので私は、極端かもしれないけれど、たとえ明日死んでも悔いのないように、と思って日々暮らしています。それは、家族に対して、友達に対して、仕事に対して、そして自分に対しても。

限られた時間の中で自分がどうあるべきか。
何を選択して、どう生きるか。
自分のため、愛する人たちのため、自分を必要としてくれる誰かのため、世の中のため。
どこに重きを置いて、どう時間を使うか

そのために私がいつも意識しているのは、例えば次のようなことだったりします。


仕事は時間内に終わらせる。

いませんか?ずっと自分の仕事が終わらず、遅くまでダラダラ仕事してる人や自分の時間を犠牲にしてまで残業自体が常習化している人。

かくいう私も昔はそうでした。特に独身時代と子供が生まれる前の夫婦だけの時期。あの頃は体力もあったし、そもそも時間というものをあまりきちんと意識していなくて、どこまでもがんばれる自分に少し酔っていたようなところもあったかも知れない。今思えば、気持ち悪いけど。

そんな私も今やほぼ定時退社。
ターニングポイントは産後の職場復帰でした。
その時のことはこちらのnoteにも。
私には「保育園へ定刻に息子を迎えに行く」という重大なミッションがあります。
人間、切羽詰まると、どうにかやりくりしようとします、工夫しようと考え始めます。
今までの仕事の仕方だと絶対に迎えに行けないですから。

それがよかった。同じ仕事でも昨日と違うやり方を試してみたり、視点を変えてみたり。そう毎日が試行錯誤。お陰で働くスタンスや時間の使い方、考え方がそれまでと随分変わりました。今までいかにダラダラ仕事していたんだろうと恥ずかしくなるくらい…。

あとは定時に帰ることが習慣化できてくると、周りの人も「定時に帰る人」、「飲み会は出られない人」というイメージを持ってくれる。
これが結構ありがたい。お付き合いだけの飲み会には行かなくて済むようになりました。


要件はまず結論から。

結局、何をしたいのか、何をお願いされているのか。メールや電話、会話を最後まで聞かないと分からない人がたまにいます。
申し訳ないけれど、あれは本当に互いに時間の無駄。

シンプルに「○○の件、こうしたいです。何故なら…」で、よいものをダラダラと話したり書いたり。これは相手の聞く時間、読む時間を奪うし、無駄に長い電話、長文メールは作文する自分の時間もロスします。

なので私は、何か要件がある時は結論から伝えるようにしています。メールでも件名でパッと何の件で何を聞きたいのかが分かるようにするとか、電話も不在時には何の件で簡単にどんな用事なのかを伝えたり、メモを取ってもらうようにしたり(返電するにもお互い資料を用意したり、ある程度予測できたりするから)、その辺はビジネスマナーとしても、最低限いつも気にしているところです。自分は勿論のこと、相手の時間も有限です。


自分の直感を磨き続ける。

SNSをはじめ、私たちの身の回りには日々たくさんの情報が溢れています。まさに洪水のように。神や仏でもあるまいし、それら全てを把握し理解することは到底不可能です。
なので当然、どれを取り入れ、どれを流すのか、常に選択する必要があります。特にSNSなら大事にすべきコミュニケーション相手が誰なのかも。

私の選択基準はいたってシンプル、「直感」です。自分のセンスと合うか合わないか、好きか嫌いか、美しいか、面白いか、心地よいか、役立つか。論理的に説明できない嗅覚に近い感覚。(ちなみに記憶や経験から意識的に導かれる「直観力」も大事だと思います)出来るだけ、今の自分がその時いいと思ったものを選ぶ癖をつけます。それは直感力を磨く鍛錬のようなもの。

今はとにかく時流が激しくて、どんどん情報も流れていくのでスピード感も大事。もたもたしている時間、迷っている時間があったら1つでも多く選択し決断したい。

あとは、いいな!と思いストックした情報なども、少し時間をおいて見返してふるいにかけるようにしています。直感力とスピード力を保つには、気持ちの余白も必要だから、常に身軽でいられるように無駄なものはどんどん削ぎ落とし手放していきます

また、私はほぼテレビを見ません。
特に芸能人の不倫とかゴシップネタには、全く興味がありません。そもそも一生関わることのない他人の情報に対して、時間や感情を割くこと自体が無意味だと感じているからです。
全ては自分の心が感じるままに。


自分の好きなこと、やりたいことを追求する。

心惹かれぬことに時間を割くのはナンセンス
情熱を傾けられる、自分が夢中になれる大好きなモノコトに時間を割きたい。
短所や嫌いなことを無理にやって伸ばす時間が勿体無い。それらが、好きなこと・得意なことと同レベルになるまでには一体どれくらいの時間と労力がかかるのかすら分からない。
それなら好きなこと・得意なことに時間を使って、それらをどんどん伸ばしたいと思っています。そこに時間を割くのは、きっと楽しいし、何よりとても幸せな生き方だと思うからです。自分の得意は誰かの苦手かもしれないし、またその逆も。世の中はそうして成り立っているのだと思うと、割り切れます。

私の究極の理想は、仕事の時間と好きなことをしている時間との境界がなくなること。
「仕事の時間」、「◯◯する時間」というふうに時間を区切ること自体が無駄だと感じるからです。サラリーマンをしていたら、嫌なことも苦手なこともしなければいけない場面が少なからずあるので、境界を全く無くすことは今の私には難しいけれど、それでもここ数年はその境目がグラデーションのように少しずつ曖昧になってきている実感があって毎日が楽しいです。



無理に誰かの時間を生きようとしない。

自分自身がその人と共にありたいと願うなら、またそれが自分や相手の幸せに繋がるなら良いと思うけれど、無理に誰かの時間に合わせ交わらせ生きなくていいと思っています。

嫌われたくないから、良く思われたいから、
色んな人に合わせて生きようとすると疲れます。そして、取り繕うといつかボロが出ます。
無理をしないのがいちばん。

現に私は友達が少ない方だと自分でも思います。あまり器用じゃないし、嫌だとすぐに顔や態度に出てしまうので(正直なんです)、たくさんの人たちに合わせることも、その人たちと交わる時間をつくることもできないから。
それでも、指で数えられるくらいだけれど、そんな私にも自分らしくいさせてくれる人たちが確実にいる。それだけで幸せです。



最後に

とはいえ、そうやって意識していても当然毎日思い通りになんていきません。
「今日は、なんて余計なことに心と時間を割いてしまったんだろう…」と、悔やむことも。

昔よりはだいぶ流せるようになったけれど、時折、仕事のミスや嫌だなぁと思ったことを家にお持ち帰りしてしまうことも。
もう、これはだめです。くよくよする時間が本当に勿体無い…!まして、家に持ち込むなんて。負の感情は、一旦受け止めてすぐに流すに限ります。持っていてもいいことがないから。

人生は選択の連続です。
そのために日々、自分の直感や感性を磨くしかありません。
そして、その選択自体が自分らしさだったり、時間の使い方自体が、その人の生き方そのものなんだろうなと思っています。