「野菜を作る」という言葉に思う、違和感と矛盾
普段は何気なく使っている言葉だけど、よくよく考えてみると
「あれ?おかしくないかな?」って思う日本語。
このnoteを読んでくださっている貴方にもありませんか?
実はこれって今まで自分が経験してきたことによって変わるものだと気がつきました。
最近になり、わたしが気づいた違和感を覚える言葉、それは。
「野菜を作る」
何がおかしいの?
そう思う人も多いと思います。
わたし自身も昔は普通に使っていましたし、違和感なんてこれっぽっちもありませんでした。
ただ、3年くらい前から「なんか嫌だな」と感じ始めたんですね。
昨年の出来事です。
ある日、趣味の菜園で畑の手入れをしていた時のこと。
通りかかったある人に話しかけられました。
こんなごく普通の会話だったのですが、この時の野菜作る予定なの?に反応してしまいました。
私は野菜を手がけるとき、必ずタネから育苗しています。
理由はシンプルで、タネを巻いてから発芽するまでの時間がワクワクするからです。
毎日、土の状態を見ながら「今日は気温が高そうだから多めに水を上げようかな」とか。
その日の状況に合わせて調整してみる。
数日後、朝起きてみたらチョコんと土の上に芽を出しているのを発見!
この時の感動がたまらなく好きなんですね。
こうして毎日のように観察していると、自然と愛着が湧いてくる。
いつの間にか家族の一員にでもなったみたいな感覚なんですよね。
こういう経験をしてしまうと、もう「野菜=食材」ということを忘れてしまいます。
なので、野菜を作るという言葉を聞いたときに、ある感情が湧いてくるんです。
「この子はモノじゃないいんだよ」って。
いずれ食材として食べることに変わりはないんですけど。
この時ばかりは、「物扱いしないで」という気持ちになってしまうんですよね。
なんだか矛盾しているけれど、そう感じてしまうんだから仕方ない(笑)
言う方には決して悪気はないはず。
何故そんなふうに感じてしまったのだろう。
今にして思えば、きっと自分が大事にしていることを少しだけ理解して欲しかっただけなんでしょうね。
こんな自分を振り返ってみて思うのは、やっぱり人間って勝手なんだなぁ〜と思いました(自己嫌悪です)
言葉のやりとりって難しいですね。
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料理への想い。食材への感謝の気持ち。 楽しく緩く、真剣に食べ物と向き合いたい。 そんな思いで執筆しています。 「いただきます」から明るい未来を創造する。その活動を模索して行きます。