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泣くなの愛情と、泣けばいいの愛情

泣いている子どもと一緒にいるのしんどい時ありますか?

娘が泣くと、夫は「もう泣くな」と言います。
一生懸命泣き止ませようといろいろ頑張ってしまう。
自分の大切な存在が泣いている姿を見るのがつらいのか、その悲しみをなんとかして取りのぞいてあげたくなるのか。
私の父もそうでした。
幼い私が泣くと「泣きなさんな」とよく言っていました。

私はそう言われて余計泣いていた覚えがあります。
だんだん、ヒックヒックとしゃくりあげだし、息苦しくなり、もう泣くことの止め方が自分でわからなくなってしまっていました。

しまいには兄たちにひょいっと抱きかかえられて真っ暗な押し入れに入れられてしまっていました。その真っ暗な空間が怖くて怖くて。兄たちにしてみれば、泣き声がうるさくて耐えられなかったのでしょう。

あの時、父に、自分がどうして泣いているのか、泣くに至った気持ちに寄り添ってもらいたかったのだろうと思います。一方で、泣き止んでほしかった父の気持ちも愛情が生んでいるものだったんだなと、大人になってから想像できるようになりました。

私の娘は小さいことでは簡単に泣くのに、本当に泣きたくなるほどつらい時はグッと我慢してしまうところがあります。ビービーよく泣いている姿を見ていたので、我慢している時があることに気づくまでに時間がかかりました。

グッと肩や拳に力が入り、泣きそうになる自分に耐えている時、鼻もツーンと痛くなってきているかもしれない時、

「泣きたい時は泣いていいんだよ」と娘に言うと
「泣いちゃダメだから」と簡単に受入れず。

特に娘が不登校だった時にこんなやりとりをよくしていました。

どうしてだろうかな、とよく思っていました。


今回の記事で、連載「我が子は今日も自由に生きています。」10話目を迎えられました。のんびりペースですが、がんばって続けていきたいと思います。今日も読んでくださりありがとうございました(*^_^*)


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子どもが不登校になったら。私たち家族の記録。苦しかった日々から見つけた場所は、何かにとらわれることもなく自分そのままでいられる、自分の好き…

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