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小説|欠くとき、書くこと

 もう会えなくなった人がいます。その人から私が教わったのは書くこと。便宜上であっても「その人」と呼ぶのが心苦しいほど、その人は私には欠くことのできない親しい存在でした。その人は私にこう語ったものです。

 書くことは癒えること。大事なものを欠いたとき、あるいは大切なものを欠くのを恐れるとき、人は書く。欠いたこと、欠く恐れを、書いて埋める。書くことは、まず自分、次に他人を、癒やすものであってほしい。

 しかし自分を癒やすため、他人を傷つける文もある。他人を深く傷つけて自分の傷を浅く見たい者もいる。覚えておいてほしい。思いやりを欠く文を書くことは、泥沼を掻くことだ。書くほどに深く沈む。

 こうして私が筆を執ったのは、たしかに、その人を欠いたからです。私も祈ります。私の心が癒えることを。その人の心も癒えることを。願わくば、私が泥沼を掻いておらず、この文を読んだ、あなたの心まで癒えることを。






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ショートショート No.291

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