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いなくなった、ハルとアキ


 薄い青色の天井を見上げて、ナツがぽつりと言った。
 「アキが来ない」
 もうそろそろアキと交代の頃合いなのに、アキが来ない。もうナツは仕事を終える頃のはずだったのだけれど、このままではナツが休むことができない。

 ナツはフユに声をかけた。見渡すと広くどこまでも続く白いふわふわのクッション。フユはふわふわのクッションに埋もれてすやすや眠っている。雪みたいにつややかな白い髪が、白いクッションのなかでキラキラと光を弾く。

 「なぁ、フユ。アキを知らないか?」
 フユは、うぅーん、と伸びをして寝ぼけまなこでこちらを見た。
 「知るわけないよ。だって僕はずうっと眠っていたんだから」
 そんなことで起さないでよ、とでも言いたげにフユは反対向きに寝返りをうって、もう一度寝ようとした。

 ナツは仕方がないからもうアキを探しに行こうかと考える。その時、ふと「そういえば」とフユが言った。
 「このあいだの交代の時、ハルもしばらく来なかったなあ」
 ナツの前はハルの番だった。言われてみれば前回のハル仕事の時、なんだか元気が無くて、交代の前にも何回かナツが仕事を代わってあげた日があった。その上さらに予定よりも早めにナツに交代を頼んできた。

 そこでナツは、はて、と思った。ハルの姿も見当たらない。
 自分の仕事の番が終われば、次の順番が回ってくるまでは好きに過ごしていいことになっている。
 みんな散歩をしたり、歌を歌ったり、旅に出たり、眠ったりして過ごす。てっきりハルはどこかに出かけているのかと思っていたけど、あんなに元気が無かったのだから、普通なら眠って休みたいだろう。

 ナツは一面の白いふわふわのクッションを手でかき分けて、ハルを探した。
 いない。
 すやすやと眠るフユと、ナツしかいない。
 アキもハルもどこへ行ったんだろう。仕方がないから、ナツはもう少しアキを待つことにした。

 アキを待ちながら仕事をしていると、かみさまがやって来た。 
 「かみさま、アキとハルを知らない?」
 ナツはかみさまに聞いた。かみさまは首を横に振り、大きなため息をついた。ため息がぶわぁっと広がっていく。かみさまは少し困っているみたいだった。
 かみさまはお喋りはしない。いつもただみんなを見つめている。
 かみさまは呼吸をする。吐息は風になって、雲が流れる。かみさま時々泣く。涙は雨になっていのちを生み出す。かみさまの鼓動は、せかいの鼓動。
 「どこ行っちゃったのかなぁ」
 ナツの小さな独り言は、ふわっと風に混じって消えた。

 ナツはアキの分まで頑張った。たいようの火を強く強く燃やし続け、時々かき混ぜて大きな風の渦を起こした。せかいを見つめながら、一所懸命に。ナツはいつもよりもずっと長く働いた。
 だけどいくら待ってもアキは来なくて、くたびれてしまったナツはフユを起こした。
 「なぁフユ、起きて。アキが来ないから、少し早いけど次はフユが代わってくれよ」
 フユは目をしぱしぱさせて、「えぇ~」と不満を漏らしながらこちらを見た。
 「なんでアキは来ないの」
 「俺だって分からないよ。でも俺はもう疲れたから、交代してくれよ」
 フユは「仕方ないなぁ」と呟いて、しぶしぶといった感じで体を起こした。体をググっと伸ばして、首をぐるっと回した。
 フユが立ち上がるのと入れ替わるみたいに、ナツはふわふわのクッションに倒れ込んだ。
 ナツは「やっと休める……」と呟いて、そのまま眠りについた。

 フユは気怠げな眼差しで淡々と働いた。せかいをつめたく冷やし、時々指をぱちんと鳴らして雪を降らせた。
 今回の仕事はいつもより大変だった。本来はナツが生み出した熱を調節して和らげるのがアキの仕事。今回はそのアキが居なかったから、せかいを冷やすのにとても骨が折れた。いつもよりたくさんの力が必要で、とても疲れる。

 最初は黙々とこなしていたフユも、次第に疲労の色が見え始めた。あまり表情を変えることのないフユには珍しいことだ。
 かみさまがやって来た。
 「ハルとの交代まで、先は長いね」とフユは言った。ひとり言みたいに、でも弱音を吐くように。そして、疲れた、と吐息交じりに小さく呟いた。かみさまは悲しそうに見ていた。
 
 フユも頑張って働いた。だけど、また困ったことが起きた。
 「またハルが来ない」
 もうそろそろハルと交代の時期なのに、ハルの姿がない。ふわふわのクッションに埋もれて眠っている様子もない。
 前回の交代の時もハルは遅れてやってきた。今回もまた遅れるのだろうか。だけどフユはアキがいない分の仕事のせいで、とても疲れていた。
 「頼むから、早く来ておくれよ。ハル」

 フユは嫌な予感がしていた。
 夢うつつに交わしたナツとのやり取り。アキがいなくなったと言っていた。結局アキがこないままフユが仕事を代わったけど、それからもずっとアキの姿を見ていない。
 ハルももう来ないのではないか。ここからいなくなってしまったのではないか。アキとハル、二人とももうここへもどこって来ないとしたら。

 フユははっとした。ナツはどうなのだろう。ナツも居なくならないだろうか。その考えが浮かんだ瞬間、背中を冷たい水が伝うような、ひやりとした錯覚を覚えた。
 フユはナツを探した。
 ふわふわのクッションをかき分けるように歩いて回る。真っ白いクッションの隙間に、鮮やかな赤い髪が見えた。ナツだ。
 フユ小走りでその赤い髪の元に近寄り、少し屈んで覗き込んだ。ナツがすやすやと寝息をたてて眠っている。フユは安堵した。
 とにかく、とフユは身を起こす。
 とにかく、今は自分の仕事をこなそう。ハルはまた遅れているだけかもしれないし。そう自分に言い聞かせて、フユは仕事に戻った。

 フユのわずかな期待はかなわなかった。
 本当ならもうとっくにハルと交代して、フユはゆっくりと眠っているはずの時期だ。それどころか程なくナツが交代の準備を始めるくらいの時期なのだ。
 もう、ハルはいない。
 フユはそのことを受け入れ始めていた。もちろん認めたくはないし、諦めたくない。だけど目の前には現実がある。
 かみさまがフユの隣にやって来た。フユはかみさまにむかって、悲しい瞳で呟いた。
 「何かが変わるのってとても怖いね。ようく見ておかないと、いつの間にか手遅れになっているかもしれないんだから」
 フユは立ち上がって、ナツを呼びに向かった。

 「ナツ、ハルもいなくなったよ」
 フユは寝ぼけまなこのナツにむかって力なく告げる。それを聞いて、ナツはぱちっと一気に目を覚ました。そしてぐるりとあたりを見渡した。
 「アキもハルも、いなくなったのか」
 夏の声には絶望したような、不安な色がにじんでいた。
 「僕とナツ、二人でどうにか仕事をまわすしかないよ」
 フユは言った。自分自身にも言い聞かせるように。
 「そんなの、無理だ。できない」
 「できなくても、そうするしかないよ。だって二人がいないんだから」
 ナツはせかいを見渡した。フユの力でしっかりと冷やされている。ナツには見慣れないせかいだった。海は高く波打ち、空は白んで、木々は葉を落として寒そうにしている。
 いつもならハルが調整してくれるから、雪が解けて川は柔らかに流れ、多くの植物が芽吹いている。
 だけどハルがいないから、ナツがせかいをその状態にしなくちゃいけない。そんなこと今までやったことがない。ナツには途方のないことのように思えた。
 ナツはフユの方を振り返った。フユは見ただけで分かるほどにすっかり疲れ切っていた。元から透き通るような白い肌だったが、むしろ青白く見える。今にも倒れ込みそうだ。
 「わかったよ、フユ。もう休みな」
 フユは聞こえるか聞こえないかというくらい、か細い声で「ありがとう」と呟いて、そのままふらふらと歩いて行った。
 いつも何事も淡々とこなすフユが、あれほどつらそうなのは初めてだ。
 ナツはぐっと伸びをして、気合を入れて仕事にとりかかった。

 ナツは必死に働いて、そのままフユと交代した。アキもハルもずっといない。元々アキが働いていた時間の半分まできたら、ナツはフユと交代した。そしてまたフユはハルが働いていた時間の半分まで頑張ったら、ナツと交代する。
 ナツもフユもいつもクタクタになって、休みの間はほとんどを眠って過ごすようになった。
 何度目かのフユとの交代の後で、ナツは眠りにつくまでのまどろみの中、不意に昔のことを思い出していた。ハルもアキも居た頃のこと。

 誰か一人が働いている間、他のみんなは自由に好きなことをして過ごしていた。だけど時間はたっぷりあったから、時々みんなで一緒に過ごすこともあった。歌を歌ったり、追いかけっこをしたり。
 ひとつずつ言葉を繋いで、物語をつくったりもした。とりとめのない、きまぐれな、楽しい物語。
 繋いでいくごとにどんどんヘンテコな方に話が転がって、それがおかしくてみんなでケタケタ笑った。ふわふわ流れる雲みたいに、あっという間に形を変えてどこかへ流れていくものだから、どれもその時だけの物語。
 だけどナツには一つだけお気に入りの物語があった。うろ覚えだけれど、楽しくて幸せな物語。ええと、始まりはどんなだったっけ。と、考えているうちに瞼は重くなり、ナツは眠りの中に落ちていった。

 ぐったりして眠るナツと、疲れた目をして黙々と仕事をこなすフユを見て、かみさまは泣いた。アキとハルがいなくなってから、かみさまは泣くことが増えた。せかいには溢れるほどの雨が降った。
 ナツとフユだけで分担するようになってから、少しずつ世界は変わっていった。たくさんの生き物がいなくなり、たくさんの植物が枯れた。せかいに悲しいことが起こるたび、かみさまはたくさん泣いた。
 そうして何度目かの交代を繰り返していたある時。ナツはくたびれた体を引きずってフユを起こしに向かった。
 「フユ。おーい、フユ」
 ふわふわのクッションをかき分けて、いつもフユが休んでいる場所のあたりを探す。だけどなかなか見つからない。右へ左へ探し回ってみたけれど、どこにも見当たらない。
 もしかして、と、ある可能性が頭をよぎった。その瞬間、常に熱いはずのナツの身体に、寒気が走った。
 「フユ! ねえ、フユ! どこにいるのフユ!」
 ナツは力いっぱいの大声でフユを呼んだ。もしも遠くで眠っていても気づくように。だけどどれだけ呼んでも返事もなければ姿も見えない。とうとうナツは疲れ果てて、その場に座り込んでしまった。
 かみさまはその様子を悲しそうな眼差しでずっと見ていた。

 ナツはひとりで働いた。そんなこと無茶だって分かるけど、そうするしかなかった。せかいは毎日燃えるように熱くて、瞳が焼けてしまいそうなほど眩しかった。調節して、バランスをとってくれていたハルもアキもいない。ナツの熱を冷やしてくれるフユもいなくなった。
 かみさまはずぅっとそばにいてくれた。かみさまだけが、ずっといてくれた。
 ナツは世界を燃やし続け、だけどそれもそう長くは続かなかった。フユと二人で働いていた頃から、疲労は積もりに積もっていた。一人きりになってからも、ナツは必死に頑張った。それこそ自分自身を燃やし尽くすくらい。そしたら、本当に燃え尽きてしまった。ナツは世界を燃やしながら、かみさまのそばでぱたんと倒れた。
 かみさまは倒れたナツの頭をそっと撫でた。ナツの身体は、ふわりと風になって消えた。
 せかいはナツの熱で強く燃え続けている。かみさまはこれまでで一番たくさん泣いた。ずっとずっと泣いた。雨になった涙はナツの熱を少しだけ冷ましたけど、熱され続けたせかいはただ燃え続けた。
 かみさまの涙もいつしか枯れて、せかいは全部燃えてしまった。

 かみさまがふぅーっと息を吐くと、せかいはぱらぱらと崩れてやがて消えた。


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