見出し画像

わたしの好きな色彩と質感のアートについて

わたしは、淡い色のものよりも、エッジの効いた濃い色が好きだ。

「極色彩」

がいい。

なので、

日本画家では

≪伊藤若冲≫

なんかはまさにドストライクだ。

たまに、わたしが淡い色のものを言葉で表現するとき、

人に「驚かれる」ことがある。

どうも、人との色彩の認識が違うようだ。

色覚特性(かつての色盲・色弱)とは違う。

その証拠に、絵画の修復を行うときの「補彩、補色」には何の問題も

無かったからだ。

むしろ、その原画を見て、即席でほぼ近い色を作り出せていた。

なんか、例えば、ちょっと遠いけど赤く見えなくもない色を

「赤」

と断定して言ってしまうからだと思う。

クリーム色を「黄色」と言ってしまうような感じ。

といえば、ちょっとは解ってもらえるだろうか。


「極彩色」なら

写真家の

≪蜷川実花≫

も好きじゃないかなと思われる方もいると思うが、

彼女の色は確かに鮮やかなのだが、なんか

「あざとさ」

「わざとらしさ」

を感じて見飽きてしまう。

「ああ、またあの色の世界ね」

ってなる。

本当は最初は好きだった。

「写真でこういう色出せたらいいな」

ぐらい思っていた。

噂だけれど、自然に撮った写真をなんらかの極秘だが、

フィルム自体に「蜷川色」になるように特殊技術で加工を施している

という話を聞いたことがある。

今は、デジタル加工処理してるのかなあ。

「被写体が極彩色」なのが大前提だが、その辺にそんなに転がって

いないような気がする。


それより、同年代に彗星のごとく写真界に登場した

「HIROMIX]

の登場は大きかった。

カメラっ娘に衝撃が走った。

「コンパクトカメラで撮った写真でグランプリ獲得!」

だったからだ。

色もポップでおしゃれで可愛い。

なによりも彼女を取り巻くフォトジェニックな人、もの達。

HIROMIXが写す被写体は全て輝いて見えた。

そこに、セルフポートレイトである。

彼女のいろんな側面を撮って切り取った写真はみんな魅力的だ。

美人ではないけれど、個性が「爆発」していた。

今見ても、遜色のない彼女の写真たち。

「極彩色」ではないけれど、彼女が作り出す「色味」が好きだ。


鮮やかな彩色と言えば

「宗教絵画」や「イコン」

も外せない。

ちょっとここからは「極色彩」から離れるが、


≪ヤン・ファン・エイク≫

の描く宗教画

が最も好きだ。

色に特徴がちゃんとあって、ブレていないのがいい。

あと

≪ルーカス・クラナッハ≫

つるりとした肌質がいい。

もう、ただわたしの好きな画家の話になってきたが、

≪エルグレコ≫

も外せない。


絵画技法だと板に描く

「テンペラ」

が好きだ。

*ざっくり説明すると、

テンペラ技法とは、イタリアの古典技法で、混ぜるという意味の「temperare」が語源になっている。

卵黄1個に対し、酢小さじ1杯、水小さじ3杯をマヨネーズを作る要領で撹拌し乳化剤を作る。その乳化剤に顔料を混ぜて描く技法だ。


一度この技法で絵を描いてみたいと思っている。

金に飽かせてもいいになら、金箔、銀箔を是非とも使いたい。

なんか、「板」に描くっていうのが楽しそうだ。

技法講座の本も購入済みなので、「いつでもこい!」だ(笑)

わたしの描く絵は主に図太い線なのだけれど、↓


実は、細い線で繊細な絵を描くのも好きだ。

描き込み過ぎるくらい描き込むぐらいの絵。

例えば漫画家の伊藤潤二

とか、理想である。

ので、その線を活かすことのできる、

「エッチング」という版画にも挑戦したい。

とにかくなんでもやりたいわたしはとても「欲張り」なのだ。


結局アートは

「観る」のも好きだけど、

「自分で表現する」のも好きなんだよね。


昔から本を読めば書きたくなったし、

絵を観れば描きたくなったし、

音楽を聴けば奏でたくなった。

なんかそういった行為を表した心理学用語を見つけた

のだけど、忘れてしまった。無念。

なんにでも触発されてしまう。

癖みたいなものなのか?




いただいたお金は、海外で、性が<女>というだけで虐げられながら生きている「女の子」達を支援している国際NGO、「公益財団法人 プラン・インターナショナル・ジャパン」の寄付金に充てさせていただきます。 https://www.plan-international.jp/