こまいぬ~クリスタルボウル奏者~

神社仏閣で、自然の中で、クリスタルボウルを演奏します

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最近の記事

「僕は妹のお世話係じゃない!」

今日はLokoさんでのセッション。 行きの電車内には夏休みの旅行だろうか、家族連れの姿もあって賑やかだ。 おばあちゃんとお母さん、そして兄妹の一家の近くの席に私は座った。 お兄ちゃんは小学校低学年くらい。妹とはしゃいだり、喧嘩したり。 やがて降車駅が近づいたようで、おばあちゃんが二人に向かって 「さ、そのおもちゃはリュックにしまって。もうすぐ降りるよ」 と声をかけた。 お兄ちゃんは従ったようだが、妹はまだ遊んでる様子。(私の後方の席なので見えない) おばあちゃんが業を煮や

    • 「流行は大切だけど。なぜ自分で流行を作らない?」

      全然分野は違うんだけど、とても参考になる。感動する。 人の生き方としてほんま尊敬します。 #ネイル #ネイリスト #個性

      • ゆび姫タロットカード

        従妹のネイリスト「ゆび姫」が作成中だったタロットカードが完成し、送られてきました! めっちゃ凝ってます。 こんなん作るの、時間かかっただろうな~~ 根気も要っただろうな~~~ すごいな。 今回は大アルカナ22枚だけ作ったそうです。 上段左から・・・ ・「愚者」:うんうん、彼女の解釈では、愚者はこうなのね( ´艸`) ・ケースの表紙は「恋人」:なるほど、なるほど ・上段右端はカードの裏。「ゆび姫」の文字が入っています。 「姫」が合体しとるけん。ようこぎゃんと考えついたね!!

        • フィルムカメラの復権

          父の遺したペンタックスのカメラが郷里の家にあり、もう20年以上前にそれで写真を撮っていた時期があった。 その後、時代はデジタルカメラ全盛となり、私もフィルムカメラは触ることがなくなった。 ところがこの度、ペンタックスが21年ぶりに新しいフィルムカメラを発売するという。 2年ほど前から「フィルムカメラプロジェクト」なるものを立ち上げていたのは知っていた。 今回、予約受注が発表されると同時に注文が殺到し、僅か1日で予約停止となる盛況ぶり。 (生産はタイで行うらしい) 私は父の

        「僕は妹のお世話係じゃない!」

          内観・・・自分の内面を見つめることの難しさと、面白さ

          Lokoさんでのセッション。 最近、心がざわついたことを報告する。 ◆電車が遅れると腹が立ちまませんか?◆ つい先日、二日連続で通勤の電車のダイヤが大幅に乱れた。 私は電車が遅れること自体にはさほど腹は立たない。 「チェっ」と舌打ちくらいはするが。 ただ、特定のシチュエーションになるとものすごく腹が立つ。 それは「新快速電車に乗っているのに、あとから来た普通電車に追い抜かれること」。 自分なりに解釈すると、私は 「新快速電車は普通電車より優先されるべきだ」 と信じ、そ

          内観・・・自分の内面を見つめることの難しさと、面白さ

          神鍋アグリガーデン

          聖地セッションが終わり、お昼ご飯を食べようと近くの蕎麦屋さんへ行くと、 「本日貸し切り」 の看板・・・😵 気を取り直して、事前にサーチしていたこちらのお店へ。 運よく空いており、パスタランチを注文しました。 写真はありませんが、野菜サラダとスープがセルフサービスです(食べ放題?)。 このお野菜が新鮮でとても美味しかった! スープも優しいお味で満足。 そして前菜3種盛! 地元野菜や山菜が嬉しいですね。 パスタはたくさんの種類の中からチョイスできます。 私は「黒いトマ

          テーマは「感じる」こと

          Lokoさんの聖地セッションin巨樹の谷&八反の滝。 詳細はたまひろさんが美しい写真と共に記事にしておられるので、そちらにお譲りして、ここでは私がテーマとした「感じる」ことについて書いてみます。 これまで色んな神社や絶景の地に訪れてきましたが、多くのスピの方々が語っておられるような、神様や精霊を感じた経験はなく、「私にはそういう能力はない」ものと思っていました。 もちろん個人差や生まれつきのものもあるでしょうが、社会で効率を第一に毎日働いているうちに、「感じる」能力を失っ

          「こまいぬ、遅し」

          図書館から借りてきて読んでいる本。 本田不二雄著『ミステリーな仏像』 胎内仏や、頭髪が伸び続ける仏像など、著者が実際に調べたミステリーあふれる仏像が紹介されている。 その中で私の心を打ったのが、「振り返る仏像たち」の一つとして取り上げられた京都・永観堂の「みかえり阿弥陀」像にまつわるエピソードだ。 ◆歩き出す仏様◆ 永保(えいほう)2年は西暦1082年というから平安時代のこと。 僧・永観は阿弥陀像のまわりを念仏を唱えながらぐるぐる回る「行道」を行っていたという。 (所は

          右は清いせせらぎの流れ、左は深い森の緑の音を感じました

          右は清いせせらぎの流れ、左は深い森の緑の音を感じました

          先日、「うさと」というブランドの服の読者(?)モデルをさせていただきました♪ とても着心地が良くて、年齢・性別を問わない服です。 https://www.instagram.com/reel/C2tKlE1PrTc/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==

          先日、「うさと」というブランドの服の読者(?)モデルをさせていただきました♪ とても着心地が良くて、年齢・性別を問わない服です。 https://www.instagram.com/reel/C2tKlE1PrTc/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==

          「日本全国 獅子狛犬ものがたり」

          上杉千郷著 戎光祥出版 を読んでいます。 (備忘録として) 狛犬はもともと、左(参拝者から向かって右)が「獅子」、右が「狛犬」だったそうです。 原型は、 獅子は口を閉じていて、たてがみは巻き毛。 狛犬は口を開けていて、直毛で、角がある。 時代が下がるにつれて色々なバリエーションが生じたそうです。 著者の分類では、狛犬には以下の型があります。 ・威嚇型(旧官国幣社型) ・唐獅子型(関東型) ・短足型(関西型) ・巻き毛型(標準型) ・かまえ型(出雲型) ・逆さ獅子型(金沢

          「日本全国 獅子狛犬ものがたり」

          Saori(Loko)さんの「愛が生まれるとき」を読んで(完)

          エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読まれて書かれたマガジンを拝読しての感想シリーズ最終回です。 フロムの文章が引用されています。 「ふたりの人間が自分たちの存在の中心と中心とで意志を通じあうとき、すなわち、それぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき・・・」 抽象的で観念的ですが、とっても分かりやすい具体例が目の前に。 そう、Saoriさんと、たまひろさんです。 お二人はエネルギーの循環を通じて魂のレベルでつながって、お互いをフォローしあっておられるの

          Saori(Loko)さんの「愛が生まれるとき」を読んで(完)

          Saori(Loko)さんの「尊重とは、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと」を読む

          感想シリーズの第4回目です。 エーリッヒ・フロム著『愛するということ』からの引用。 (要約)愛の基本的要素は・・・配慮、責任、尊重、知である 何となく分かります。 次のように言い換えると、もっと響いてきました! 愛とは、配慮することである 愛とは、責任を持つことである 愛とは、尊重することである 愛とは、知ることである 三番目の「尊重」、Saoriさんは特にここに紙幅を割いておられます。 人を「愛する」というと、その人を自分のものにしたいと願ったり、自分の思うとおりにコ

          Saori(Loko)さんの「尊重とは、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと」を読む

          Saoriさんの「愛は能動的な行動」を読む

          引き続き読後感を記していきます。 「愛は与えること」というテーゼの誤解の例として ・与えるとは何かをあきらめること、犠牲にすること ・見返りがある時には喜んで与える ・与えるとは犠牲を払うことだから美徳 が挙げられています。 そうですね、私もそういう地点を通り過ぎてきましたね。 自分を犠牲にしているその自分に酔う、という自覚もあります。 でも、心から相手のことを思いやって「与える」ときは、上に挙げたもの以上に、魂の喜びを感じます。 それは「自分に酔う」感覚とは違います。

          Saoriさんの「愛は能動的な行動」を読む

          Saori(Loko)さんの「成熟した愛とは」を読む

          第2弾です。 エーリッヒフロム著『愛するということ』を読まれての記事。 冒頭に 「成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったまま、二人が一人になり、しかも二人であり続けるというパラドクスが起こる」 との文章が引用されています。 う~ん、分かるような気もします。 「自他一体感の自覚」という愛の定義を当てはめると、二人は一人(という感覚)ですから。 でもきっとこの太字の部分が重要なんですよね。「自分の全体性と個性を保ったまま」 そこらへんがまだ私が実感してないところなのでしょうね

          Saori(Loko)さんの「成熟した愛とは」を読む