見出し画像

Saori(Loko)さんの「愛が生まれるとき」を読んで(完)

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読まれて書かれたマガジンを拝読しての感想シリーズ最終回です。

フロムの文章が引用されています。
「ふたりの人間が自分たちの存在の中心と中心とで意志を通じあうとき、すなわち、それぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき・・・」
抽象的で観念的ですが、とっても分かりやすい具体例が目の前に。
そう、Saoriさんと、たまひろさんです。

お二人はエネルギーの循環を通じて魂のレベルでつながって、お互いをフォローしあっておられるのが傍から見ていてもよく分かります。

どちらかが欠けても成り立たない、お二人がいらしてこそのサロン:Loko。
Saoriさんはさらに、Lokoのクライアントさんともつながり、循環する、と書いておられます。
Saoriさんとたまひろさんのエネルギーの輪に、私たちも同心円でつながる・・・そんなイメージが浮かびます。

だからなのか、Lokoのサロンで瞑想するときは、エネルギーの感じ方が尋常ではありません。
サロンで「愛」という言葉を発するときは、何の衒(てら)いもありません。そこに溢れているものだから。

フロムの文章には「根本的」とか「本質」という言葉がよく出てきます。
それだけ読んでいても「?」なのですが、Lokoでのセッションで内観を経験すると、「自分自身と繋がる」ことが体感できるので、その言葉がすんなり入ってきます。

5編のマガジンを拝読して、内観を振り返り、より深くその意味が身体にしみ込んだ気がしています。

それから、全編を通じて浮かんできたことですが、「愛する」ことの底には、「祈り」があると思いました。
「内なる自分」「与える」「尊重する」・・・
しんと静まり返った心の根底にある、祈りの感情。
それを見つめるところから、愛が生まれてくる、そんなシーンが浮かびました。

拙い感想ですが、読んでいただいて有難うございました。
(完)

追伸
冒頭の蓮の写真ですが、去年、淡路島で撮りました。
葉っぱの上に伸びて咲く蓮も見ごたえがありますが、葉っぱの陰に隠れるように、守られるように咲いているのも可愛らしいと思いません?
Lokoさんの記事によく蓮の写真が使われているので、オマージュとして・・・