Saori(Loko)さんの「尊重とは、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと」を読む

感想シリーズの第4回目です。

エーリッヒ・フロム著『愛するということ』からの引用。
(要約)愛の基本的要素は・・・配慮、責任、尊重、知である

何となく分かります。
次のように言い換えると、もっと響いてきました!
愛とは、配慮することである
愛とは、責任を持つことである
愛とは、尊重することである
愛とは、知ることである

三番目の「尊重」、Saoriさんは特にここに紙幅を割いておられます。
人を「愛する」というと、その人を自分のものにしたいと願ったり、自分の思うとおりにコントロールしたいと思ってしまいがち。だから特に力を入れられたのかもしれません。
フロムの言葉を引用されています。
「誰かを愛するとき、私はその人と一体感を味わうが、あくまでありのままのその人と一体化するのであって、その人を、私の自由になるようなものにするわけではない」

ある人の言葉で、「愛とは放つこと」というのがありました。
相手を縛ってしまうのは、愛ではなく、執着。
自分の子供への処し方を考えるとさらによく分かります。

「しつけ」と称して自分の思い通りにしようと度が過ぎると、子供を縛ってしまうことに。
成長に応じてわが子が(独立した)唯一無二の存在であると尊重して、手放すことが肝要。そしてそれが愛なのです。

先ほどの引用文で私が太字にした部分があります。「ありのままのその人」

それは今その人の現象として現れている状態をさすのではないと思うのです。
例えば、飲んべえだったり、浪費家だったり、無気力だったり、神経質すぎたり・・・。そういうありのままではなくて、その人の実在=ほんとうの姿を観て、拝む。
それは言い換えれば「尊重」ということになりはしますまいか。

また、「知」に関しては次の言葉を引用されています。
「知識は、経験を通して智慧になる」
さらに
「愛の一側面としての知は、表面的なものではなく、核心にまで届くものである」

(「愛の反対語は無関心」という言葉がありましたね。関心をもって「知」ることが、愛の第一歩ということでしょうか)

Saoriさんが「何度も身をもって感じてきました」と語られるその経験は想像に余りますが、「配慮、責任、尊重、知」のそれぞれが不可分なものだ、と心に沁みて感じられるほどの実践をされてきたのでしょう。
それこそ、「愛」なくしてはできないことに違いありません。
(つづく・・・次が最終回です)