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#新しい教育
3,行く学校・習う先生を選べたらいいと思いませんか?
「コロナ休校」をきっかけに、社会全体は大きく変わっていきますが、社会の縮図である学校もまた、社会の情勢やこれからの日本、世界のあり方とともに変わっていく必要があります。
これは何も、コロナウイルスによる騒動があったからと言うことではなく、実はもうずっと前から社会でも教育でも考えていった方がよかったものが、「コロナ騒動」によって”見えやすくわかりやすい状態になった”のだと思っています。
↑こちら
「現」教育基本法が捨て去ってしまったもの
今回のコロナウイルスが社会に与えた影響の大きさは改めて語らずともいいが、ここで浮き彫りになった事を「このあと」に活かすことは絶対に必要だと思う。たとえば2011年の震災の時、あの時にもいくつも浮き彫りになった事が、そのままうやむやになって来ていた今、またコロナ騒動でより強烈に社会の暗部や膿があぶり出されてきた感が否めない。
その中でも私自身はずっと「教育」に携わり、関わって来た中で今回ほど「見直
2,「みんなが一律に同じ事を学ぶ必要はあるのか?」
こちらの記事は「ニッポンの教育よ、コロナ休校が見せてくれた可能性をここで活かさずいつ活かす!?」の記事からリンクしています。
私の小学校4年生の時の通知表。
評価欄に「動作がのろい」のひと言が書かれてあります。
今の時代に通知表に書いたらまず問題になる「のろい」という言葉。その言葉は、当時の私をそれこそ「呪い」にかけました。
「私はダメなヤツなんだ。私は人に比べてのろいから、人と同じにできな