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「茜の鏡面・前編」




1.



一面隔てたおそらを見上げて、
口をぱくぱくさせました。
もうそこで息をすることはないけれど。




「これは」
ある男がそこへやってきたのは、取引先の会長に誘われたことがきっかけでした。
おおきながらすの鉢を覗くと、水面を隔て、なかには白い肌のおんなが座っています。
上から眺めていると、それの座っている辺りから伸びる薄く透き通ったひれが、花のように広がっているのが印象的でした。
ところどころに赤いうろこのようなものを持ったそれは、持ち主である会長が話しをする間長い髪を揺らすのみで、動こうともしませんでした。


会長の話はやれどこでこれを手に入れた、山を幾つも買える金額を出しただの言っていましたが、やっとその話が終わるまで、男の意識はそのおんなにくぎ付けでした。
その場を去ろうとした男がふと振り返り鉢を見下ろすと、おんなの黒い瞳は男を凝視していました。
男はしばらく、会長に声を掛けられるまで、その場を離れることを忘れていました。





「地金です」
取引先の会長は、煙管を吹かせながら、そういいました。
かのおんなは地金、つまり金魚の子だと。
地金とは、幼い頃に爪や酢などのなにやらでうろこの色を無くし、その模様を人工的に作り出された、白い胴体を持つ美しい金魚です。
芸術的なその見た目から、それらは高値で取引されるものだと。
かのおんなは、その血を継いでいる、つまり


「金魚と、ひとの」
「美しいでしょう」
ええ…、男はそう答えました。
なにか霞みのかかったようなきもちでしたが、男はそれをどう表していいか、言いよどんでいました。





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2.



一面隔てたおそらの色は、今日も昨日もかわりません。
ただ、水の粒が面を打つときは、
懐かしい色が垣間見えるようで、こころがおどるのでした。




「少し、席を外します」
会長は、そう言って部屋を出ていきました。
男は、あのおおきながらすの鉢の、今度は上ではなく真横に居ました。
なかではあの日と同じよう、おんなが座っています。
男のこころは、静かに、しかし震えあがるよう、脈打っていました。


「…おそらの色は」
男ははっとしました。
何か聞こえたように思いましたが、あたりを見渡してもだれもいません。
鉢に目をやりますと、それはくうを見つめ、鉢の中の岩に座っています。


男はそれをよく観察してみることにしました。
橙を感じない玉のような肌に、首・唇・足に赤い模様が浮かんでいます。
頭から流れる髪は血の透けた表皮のような赤で、目を凝らしてみると、薄い膜が幾重にも張っている風にも見えました。
上から花のように見えていたのは、尾てい骨辺りから上に伸びあがった、こちらはひれのような、それは美しく長く、それの体を形作るものでした。
それはひと時のきまぐれの成したものではなく、彫刻家たちの悩みぬいた幾千年の結晶のような。男はぼんやりと、そんなことを想ったのです。




ふと、鎖骨のあたりから、細かい泡が漏れました。
男が少し赤みを帯びたそこをエラだと認識したのは、そのすぐ後でした。
おんなの顎が上をむき、その黒い瞳のなかに水面の光を朱く反射させています。
以前男が上から覗いたときと、同じまなざしでした。
あの目線は、自分に向いたものではないのだと、
だとしたらなにを貫いているのかと、男はそんなことを想い、その横顔を眺めていました。




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後編へ続く



2020.9 朗読動画になりました
【Youtube】
https://www.youtube.com/channel/UChs8nMtPzviMh7qi3zj2ejg?view_as=public


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