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地方でのコミュニティの限界点

「地方は面白い人がいなさそう」
こんなこと思う人、きっと少なくないでしょう。

私もかつてはそう思っていました。
「田舎には田舎の楽しみがある」くらいに考えるのが楽だと思っていました。

3年間地方に住んだ結果、私の周囲は面白い人がたくさんいました。


面白い人は仲間が集まる

私が山形暮らしを始めたのは、山形県大石田町。
(町の紹介は、前回の記事をご覧ください。)

人口7,000人の小さな町です。
高齢化が進んだ地域は、地域内に「面白い人」の期待は住んですぐはできませんでした。

「求める場所は地域のソトだ」と、「面白い人と繋がろう!!」と、移住後すぐに様々な交流会に参加しました。

開催された場所は、20代男性がリノベーションして立ち上げたオシャレなカフェ。
参加すると、クリエーターや小さな趣味を持った人、何かを前に進めたい公務員までたくさん集まっていました。

そこでは、「仕事がない」とか「人が少ない」とかの話はほぼなく、今ある環境を楽しくする議論が活発に繰り広げられていました。

「地方で何かやりたい!」と思っている人は、同じような人を求めています。
それは、人数的な絶対数で言えば、都会に比べれば少ないかもしれませんが、私1人が知り合ってしっかりと話すことができる許容人数は軽く超えていました。


「同じ顔ぶれ」というもどかしさ

そのような集まりも何度か行っていると気づくことがあります。

「同じような人が来ているな」

それは、深く付き合うには良い状況、新たな発見を求めるのなら、少し退屈な状況です。

都会でも地方でも一定数の面白い人は存在しています。
ただし、数が少ない為、同じ人と出くわすこと、結構あるんです。


地方でのコミュニティの限界点

ここからは、あくまで私の見解です。

「地方を面白くする」的な目線で言えば、成長の余地があるものもたくさんあります。
それは、「これまでの構成要素」だけでは無いコミュニティが必要だと思います。

なぜなら、「これまでの構成要素」でいくら「新しいこと」と言っても、これまでも何度も同じメンバー、同じ状況で考え尽くしたことを大きく変えることはできないから。
所謂、内輪の集まりでは、続ければ続けるほど、新しいコトやヒトが入りにくい環境となります。

「いつもの集まり」だとしても、小さくても「これまでの構成要素以外」が必要です。
人だけではなく、場所を変えたり、お酒を飲むのであればお酒のおつまみを変えるだけでも、変わるはずです。

結論、地方でのコミュニティづくりにおいては、可能性を高める為にまだまだ行われていない手段がまだまだあるのかなと思いました。

そして、上に書いた「人口7,000人の町では、面白い人はいなさそう」そんな移住初期の印象は、ことごとく崩されます。

そんなお話は、また次回に書こうと思います。

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