【自信について】
根拠のない自信って、何だか大切だな。
ふとそう思った。
というより、
「私って大した事あるなぁ。」
この言葉が浮かんで来たので記事を書いてみている。
🍀 「おお! 私はなかなかやりおるな。」
という感じ。
それは実績や根拠が必要なものではなく、
いかに小さく喜んで行けるか?
という事なのかもしれない。
つまり、
幸せやよろこびって量や物では測れない。
「いかに気づけるか?」
🍀 別に人に言わなくてもいい。
自分で意識的にそう自覚すれば、
その世界がより開かれる。
え、自信過剰に見えますか?
そもそも人ができる範囲って、
得意不得意もあるから、限られてる。
だからこそ、自信て大切。
僕が出会ったマスターと呼ばれている人も、
スターウォーズのヨーダみたいな、話している時も・話していない時も、所作すべてが美しかった。多くの人に囲まれていても、静けさの中に居ているような存在でした。
でも。
そういう人でもできる事・できない事はあるんだな、とも思った。とても敬愛しているけれど。
🍀 だから、いきなりかもしれないけれど。
自己卑下からスタートしなくていい、と思う。
仏教では、
「無我」という革命的な発想がある。
無我の解釈は諸説あるけれど、
「自分が無い」というより、
そういう地点から、
深い智慧や慈悲が生まれる。
というのは、とても面白いと思っています。
🍀 固定化された私が居ないのなら、
じゃあ人生どうでもいいでしょ?と考えるのは、ちょっと待って欲しいなと思う。
矛盾した言い方になるかもだけど、
個に徹すれば(意固地にならずに)
逆に底が抜けて、世界とつながると思う。
🍀 師匠の言葉で私が好きなのは、
「みんな、天才的な才能が最低1つはあるんよ。」
という言葉。
本当にそう思います。
才能をどうやって見つけるか?
のお話はここではしないけれど、
「ジブリで起きている事は世界でも起きてる。」
という言葉があるように、
自分の目の前・周りに起きている事を、
いかに丁寧に見ていけるか?
そこに喜びを見出せるか?
が日々の糧に・エネルギーとなる気がする。
そういう所から自信は生まれて来るというか、
身に宿る気がしました。
#つれづれ #気づき #仏教 #無我 #自信 #喜び #しあわせ #ジブリ
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