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乃木坂46に学ぶ、芸能職のコンセプトデザイン

僕が大好きな乃木坂46には「AKB48の公式ライバル」というコンセプトがあります。

これはコンセプトであり、それをそのまま言語化したコンセプトワードでもあります。このコンセプトワードを見た時、どのような印象を受けたでしょうか。

もちろんそれは人によって異なるものです。しかし、少なくとも悪い印象は抱かないでしょう。僕も初めてこのコンセプトワードを見た時にはただ単純に「へぇ~」という、なんともいえない無難さを覚えました。

しかし、日常的に企業や芸能人の公式webサイト等に掲載されている様々なコンセプトワードを見たり乃木坂46の考察をしたりするうちに、芸能界において「AKB48の公式ライバル」以上に秀逸なコンセプトワードは他にないと思えるほどその質の高さを実感しました。

今回は「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードをもとにして、芸能職のコンセプトデザインに必要な要素を見出してみたいと思います。

なお、僕がこの記事で用いる「コンセプトデザイン」という言葉は一般的な用語ではないと思います。この記事においては「自身にどのような謳い文句をつけるかという命題に対する最適解の作り方」という意味合いが最も馴染む語釈となっています。

また、コンセプトワードという単語も一般的ではないと思います。「キャッチフレーズ」や「キャッチコピー」と言った方がピンとくるかもしれません。

しかし、この記事では「コンセプトをもとにして生まれた言葉」という意味合いを強調する意図で、敢えて「コンセプトワード」という単語を用いてアウトプットを進めていきます。

この記事を通して、僕が実感した乃木坂46の「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードが如何に秀逸か伝われば嬉しいです。


コンセプトワードの有無の是非を問う

「コンセプトデザイン」についての記事だと前述しましたが、まずはそもそもコンセプトワードの必要性について考えてみたいと思います。

芸能職においてコンセプトワードは必要でしょうか、それとも不要でしょうか。

コンセプトを纏う人によっては、コンセプトは必要でもそれをわざわざ言語化して公開する必要がないと考える人はいるでしょうが、僕は必要だと思っています。

コンセプトがあり、それが言語化されたコンセプトワードを見ることで、視聴者は当人やそのグループを理解しやすくなったり、当人は視聴者が抱くイメージをコントロールしやすくなったりします。

顕著な例を挙げると「〇〇系YouTuber」というようなコンセプトワードが非常に分かりやすいでしょう。「〇〇」の部分に入る単語によって、当人やそのグループの活動概要や人格を想像しやすくなっています。それによって視聴者は、彼らが発信するコンテンツに取っ付き易くなります。その結果、動画視聴数やチャンネル登録者数を獲得しやすくなるでしょう。

ただただYouTuberを名乗る人と「〇〇系YouTuber」を自称する人、どちらの動画を観ようと思うか想像すれば共感いただけると思います。

またコンセプトワードは当人にとっても活動の根幹や指針になります。そのコンセプトワードが発想の土台となり、企画や活動内容を考案しやすくなります。そしてそれらが遂行されれば世の中に対するセルフブランディングをさらに強める効果も期待できるでしょう。

また、芸能界に限らず、一般企業においても自社や自社商品を表すコンセプトワードがあれば、顧客の商材理解や顧客への提案営業を手助けするものになります。

これらの効果を考慮し、僕は芸能職においてコンセプトワードは保有しておくべきものだと思っています。この前提をもとに以降の章を著していきます。


コンセプトワードは呪いである

コンセプトワードは当人にとって活動の根幹や指針になると前述しました。しかし視点を変えれば、それはある種の呪いになっていることにも気づきます。

確かにコンセプトが言語化されれば、取り留めがない思考に根幹や指針が加わり、活動範囲や目的やペルソナが具体的になります。その結果、企画や活動内容を考案しやすくなるメリットが得られます。しかしそれは縛りが同時に生じるデメリットでもあります。

例えば、AKB48には「会いに行けるアイドル」というコンセプトワードがあります。AKB48はこれに則り、AKB48の代名詞とも言える握手会を企画したり、ファンがメンバーに会いに来れる拠点である専用劇場を保有したりしています。

さて、もしAKB48が握手会を開催しなくなったり専用劇場を閉鎖したりして、ファンがメンバーに会いに行けなくなったらどうでしょうか。多大な違和感が生じてしまうことは想像に難くありません。コンセプトワードと実情に矛盾が生じてしまい、AKB48のブランドに途轍もない悪影響を及ぼすことになるため、それらは絶対に回避すべき禁忌です。

このように、AKB48はコンセプトワードによって「ファンがメンバーに会いに来れる企画だから実行できる」という指針を定義すると同時に「ファンがメンバーに会いに来れる企画ではないから実行できない」という対偶に位置する呪縛を負っていると言えるでしょう。

そしてその呪縛は、たとえどんなに負担になっていたとしても「握手会をやめる」や「専用劇場を閉鎖する」という選択肢・発想を潜在的に廃止していると考えられます。

不幸にもAKB48の「会いに行けるアイドル」というコンセプトワードは、コロナ禍と相まって途轍もない苦しみを生み出してしまいました。まず、政令によって握手会の開催が不可となりました。

なおかつ「ファンがメンバーに会いに来れる企画ではないから実行できない」という呪縛に囚われているがために、握手会を開催できないことに伴って握手券が付随していないCDを発売するわけにもいきません。その結果、コロナ禍の真っ只中にあった2020年のシングルCDは3月に発売した「失恋、ありがとう」の1枚のみでした。

おまけに緊急事態宣言によって専用劇場公演も中止せざるを得ませんでした。それでいてどんなに金銭的負担が発生し続けていても専用劇場を手放すわけにはいかないため、公演が出来ないにも関わらずその維持費が発生し続けてしまうという厳しい状況に陥っていました。

CDと劇場公演による収入を失うだけでなく劇場維持費という支出が発生し続けてしまっていました。AKB48は専用劇場の他に事務所を構えているため、その賃料も固定費となっています。主な収入が無くなった状態でもそれらの支出が全て発生していたのであれば、AKB48の経営は大きなダメージを被ったことでしょう。

もちろん、たとえこのような状況を考慮した上でもそれを呪縛や厄介なものと捉えるかどうかは当人達次第です。コロナ禍において握手券が付随しないCDを発売せず、専用劇場を手放さなかったのは「会いに行けるアイドル」という矜持を貫いていると表現することも出来るでしょう。

しかし、AKB48の経営が多大なダメージを負ったことを想像すれば「会いに行けるアイドル」というコンセプトワードの呪縛は非常に厄介だと考えざるを得ません。恐らく、このコンセプトワードはこれからも続くコロナ禍においてAKB48を何らかの形で苦しめ続けると思います。

このような顕著な事例を考慮すれば、コンセプトワードは有った方が良い、しかしそれは可能な限り呪縛を生じさせないものが良いということが見い出せます。この観点から乃木坂46のコンセプトワードを見てみましょう。

「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードからは、一見するとAKB48に対抗するような活動内容を想像出来ます。しかしほんの少し考えてみると「何を以って対抗とみなすのか」や「AKB48に対してどんなことをするか」ということが一切定義されておらず、活動方針や内容を制限するような意味合いがありません。

確かに乃木坂46は「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードに基づき、得てしてAKB48との差別化に大きく舵を切りました。AKB48とは違うということを価値化する方針を採ったのです。しかしその指針は、コンセプトワードによって消去法的に明示されたり制限されたりしているわけではありません。

また、AKB48のコロナ禍における状況に対して乃木坂46はコンセプトワードの呪縛に囚われておらず、専用劇場を保有していないが故にその維持費が発生しませんでした。

しかも、必ずしも握手会を開催する必要もありません。握手会はあくまで慣習的に続いているだけであり、開催の義務はないためAKB48のように新曲と握手券がセットでなくとも良いのです。その結果、コロナ禍真っ只中においても「世界中の隣人よ」や「Route 246」を配信限定シングルとしてリリースしました。

一回目の緊急事態宣言が実施されていた時期においては芸能界でさえも意気消沈していましたね。そんな状況下であれば何かしらの活動をしていることを示すだけでも、周りが静かにしている分、相対的に乃木坂46の注目度が上がっていたでしょう。

これらのような事例から分かるように「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードは呪縛を生じさせるものではありません。要するに、乃木坂46はAKB48と同じことをやっても良いし、やらなくても良いのです。

例えば、乃木坂46はAKB48と同様に握手会を開催します。AKB48はいわゆる総選挙を開催しますが、乃木坂46は開催しません。AKB48はグループや個人の活動に関わらず水着姿を披露しますが、乃木坂46はグループの活動において水着姿になることはありません。

しかし、これらの活動内容はコンセプトワードの呪縛に囚われていません。理論上は握手会を開催しなくても良いし、総選挙を開催しても良いし、水着姿を披露しても良いのです。

また、乃木坂46は舞台公演へ進出していき、以前までAKB48と重複していませんでした。これについてはむしろAKB48の方から重複してきたとも言えそうです。

ここまでは分かりやすいようにAKB48を比較対象に挙げてきました。しかし、さらによく考えてみると乃木坂46のコンセプトワードは「AKB48」という単語を含んでおきながら、その活動や指針はAKB48から完全に独立できることに気づきます。

たとえAKB48と重複する活動であってもコンセプトワードに馴染んだ「公式ライバルだから」という自然な文脈が出来上がりますし、逆にAKB48と重複しない活動であっても同様の文脈が成立します。

つまるところ、コンセプトワードの自由度が異常なほど高く、理論上乃木坂46は何をしても良いのです。

となると、そもそもAKB48と対比して活動内容を企画する必要がありません。もはや乃木坂46にとってAKB48は、特に侮蔑の意味はなく、言葉通り単純に眼中にないのです。

コンセプトワードに「AKB48」という単語を含んでおきながら、AKB48に全く縛られていません。そして活動の制限も生じていません。これほど汎用的で自由度が高いコンセプトワード、他にあるでしょうか。

もちろん、乃木坂46には「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードによって苦しんだ歴史があります。

乃木坂46が結成された当時、AKB48は日本一のアイドルグループと称されていました。「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードを背負っているが故に、芸能人や舞台人としての経験値がほとんどないにも関わらず、結成当初から日本一のアイドルグループと肩を並べる存在だと過大な期待をされることになったのです。

しかし、今や乃木坂46は「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワード自体を超越して自由に活動していると思います。

「ライバル」という単語からは、比較対象と肩を並べたり追い越したりする存在というものが想起されます。果たして乃木坂46はAKB48を越えたのかどうかは分かりませんが、自由に活動している現在の様子を見れば呪縛は祓われたと言って良いでしょう。


呪縛を抑え込む方法

コンセプトワードは有った方が良い、しかしそれは可能な限り呪縛を生じさせないものが良いと前述しました。それでは、コンセプトワードを設けてもなお呪縛を生じさせないためにはどうすれば良いのでしょうか。

コンセプトワードは有った方が良い、この意見は変わりません。しかし、たいていの場合にはコンセプトワードが有ることによって何かしらの制限は少なからず生じてしまうでしょう。

であれば、その制限が極限まで弱く小さいものになるように工夫する必要があります。具体的には、どこまでも抽象的な意味をもつ単語をコンセプトワードに用いるのです。

コンセプトワードは具体的であればあるほど行動指針として明確であり、企画立案等はしやすくなります。それに伴い、呪縛は強まって活動の制限や縛りが生じます。

つまり、コンセプトワードに用いる単語の意味の具体度が高ければ高いほど活動を制限するものになり、反対に抽象度が高ければ高いほど活動の制限は広く自由度が高いものになります。

例えば、もし乃木坂46が「AKB48と同じ企画はやらない」というような具体度が高いコンセプトワードをもっていたとしたら、その活動はAKB48によって完全に制限されてしまっていたでしょう。そしてAKB48が精力的に活動し新たな分野に進出すればするほど、それに反比例して乃木坂46の活動範囲は縮小し続けてしまう構図が出来上がっているのです。

このような仮定が実現しなかったのは、乃木坂46のコンセプトワードが抽象度の高い単語で構成され、その自由度を担保していたがゆえです。

確かに自由度が高いと多種多様な企画が出来る反面、選択肢が無数にあってよほど緻密に企画を考案していかないと取り留めのなさを払拭出来ないデメリットがあります。しかし、活動が制限されるよりはよっぽど望ましい状態ではないでしょうか。

さて、上記の内容を踏まえて乃木坂46のコンセプトワードを見てみましょう。

前章では「ライバル」という単語からは比較対象と肩を並べたり追い越したりする存在というものが想起されると述べました。恐らくこの想起は多くの人に共感・理解いただけると思います。

しかし「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードはどこまでも定性的であり、全く定量的ではありません。何を以ってAKB48を越えるのかということを見出せず、「結局のところAKB48の公式ライバルってなにするの?」というような疑問が生じるほどに抽象度がとても高いのです。

だからこそ「乃木坂46はAKB48を越えた」という風潮があったり、たとえAKB48が「乃木坂に、越されました」なんてテレビ番組に出演したりしても、僕はそれらを鵜呑みには出来ないのです。

どこまでも抽象的な単語で構成されたコンセプトワードを見た時、人はどんな反応をするでしょうか。恐らく、コンセプトワードがあまりに広義すぎて理解や思考が追いつかず、その結果「へぇ~」という無難さを覚えると思います。

芸能職においてはこれが最適だと思います。

要するに、芸能職のコンセプトワードは「あるようでない」と言えるほどに抽象的なのがちょうど良いのだと思います。それこそが視聴者に取っ付き易さを与えた上で活動に制限が生じない絶妙な度合いです。

この最たる例として、大人気ゲーム実況ユニットである「兄者弟者」さんを挙げます。恐れ多いくらいに最強で無敵の事例です。

兄者弟者」さんは「PLAY WITH US」というモットーを掲げており、これが彼らのコンセプトワードと捉えて良いでしょう。この言葉を見てどんな印象を抱いたでしょうか。

非常に汎用的で無難な言葉だと思いませんか?

ゲーム実況動画を視聴するという行為には、視聴者は実況者と共にゲームをするという要素が含まれています。ゲーム実況という日本語が「LET'S PLAY」と英訳されるのはこの表れでしょう。

兄者弟者」さんに限らず、ほとんど全てのゲーム実況動画やゲーム実況者に「PLAY WITH US」というコンセプトワードは当てはまるものです。つまりこれはゲーム実況者にとっての原点であり、それを言語化しコンセプトワードに掲げたのです。

分かりますか?

これはもはや何も定義していないに等しいのです。抽象度が高い・低いという次元の話ではなくなっています。定義がないが故に抽象度が全く無い、ゼロなのです。かといって具体度が高いわけでもなく、具体度もまたゼロなのです。まるでアイドルグループが「女の子が歌い踊ること」をコンセプトワードに掲げているようなものです。

よって、行動の制限は生じません。完全に自由なのです。

無理やりに強いて言えば、ゲーム実況をやめることは出来ないという呪縛が生じています。しかしゲーム実況は彼らにとって最も基本的かつ原点の活動であり、それを呪縛と見るのはあまりに不自然でしょう。

ゲーム実況という活動の原点を言語化し、それをいち早くコンセプトワードとして大々的に掲げ独占してしまったのです。いやはや、原点を掌握してしまうとは本当に見事で恐るべきブランディングです。

原点を独占されてしまったが故に、僕を含めた他のゲーム実況者が「兄者弟者」さんを模倣しているような立ち位置が自ずと出来上がります。もはやひれ伏すしかありません。

おまけに有名声優に声がそっくりとか、顔を公開していないが故に結局は謎の存在だとか、視聴者を魅了するには充分な要素を多々もっています。これらを踏まえると彼らの成功は必然だったと思えます。


冷静になれ

コンセプトワードを考案するのは楽しくワクワクするものでしょう。

最初のうちはとにかく次から次へと格好がつく言葉を用いてアイディアを出し続けることになると思います。それを続けていくうちに自分の思いや思考が具体的になって文章が生まれるでしょう。その後に単語の取捨選択を経て、短くて字面が良く洗練されたコンセプトワードが出来上がると思います。

ここで冷静になる必要があります。

洗練されたコンセプトワードを作り出したとき、恐らく補足説明をしたい衝動に駆られると思います。自分がコンセプトワードに込めた思いや、なぜこの単語を用いたのか等、まるで自分の作品を熱く説明したくなるような意欲が湧いてくるでしょう。

その気持ちは痛いほどによく分かります。自分が作り出したものには愛着が湧くものですし、それを多くの人に知ってほしいと思うのは当然です。それが芸能の要素をもつものであれば尚更だと思います。

その結果、公式webサイトのプロフィールやバイオグラフィーでコンセプトワードを説明しようという発想が生まれるでしょう。

しかし芸能職において、それは程々にしなくてはなりません。

自分が作り上げたコンセプトワードを説明するのは、コンセプトワードを具体化する行為に他なりません。抽象度の向上・維持を意識してコンセプトワードを作ったにも関わらず、それを具体化してしまえば、結局は活動に制限が生じてしまいます。

せっかく抽象度が高くて最適なコンセプトワードが出来上がっても、それまでの苦労が水の泡になるだけでなく呪縛まで生み出してしまうのです。

誰かに語り聞かせたくなる気持ちはよく分かりますが、このような危険性を考慮し、コンセプトワードの真意は自らの心の中だけに留めておくのが良いでしょう。

これらの内容を踏まえて乃木坂46の公式webサイトを見てみましょう。

乃木坂46の公式webサイトには「乃木坂46とは?」というページがあり、乃木坂46のコンセプトワードを説明しそうな雰囲気を感じますね。そのページには下記文章が掲載されています。

AKB48公式ライバルとして結成したアイドルグループです。

グループ名の「乃木坂」は、最終オーディション会場の「SME乃木坂ビル」に由来します。

「46」の由来に関しては、「AKB48より人数が少なくても負けないという意気込み(秋元康氏)」から。読み方は”ノギザカフォーティーシックス”。

また、メンバーは全国規模のオーディションにより、
38,934人の応募の中から選ばれました。

https://www.nogizaka46.com/about/

読んで分かる通り、「AKB48公式ライバル」というコンセプトワードについての説明はありません。「AKB48より多くCDを売る」とか「AKB48よりLIVEの動員客数を多く獲得する」とか、ライバルという言葉から連想されるAKB48への勝利条件がどんなものなのか全く読み取れません。

その結果、閲覧した人がこのコンセプトワードに込められた意味を想像する流れが自然に出来上がります。このような想像の余地が残されているからこそ、面白さがそこに宿るのです。

このような事例を見ると、抽象度が高いコンセプトワードを用意したのであれば、それにどんな意味を見出すのかということは視聴者の役割と認識すべきだと言えるでしょう。なおかつ、やはり真意を公開するべきではないということも分かります。

元来、人は謎があるから知識欲に駆られてその答えを求め物事に興味を抱く生き物です。視聴者に興味をもってほしいと思うのであれば、視聴者に謎を適度に与えて、答えを想像する隙間を残しておきましょう。


まとめ

僕が見出したコンセプトデザインにおけるアイディアをまとめると以下です。

1.そもそも、無いよりは有った方が良い
2.活動に制限が生じる品質にしない
3.可能な限り抽象的な単語を用いる
4.活動の原点となっている要素を言語化する
 ※恐らく最も難易度が高い
5.詳細を説明しない

これらのアイディアを鑑みた時、やはり「AKB48の公式ライバル」というコンセプトワードはほとんどのアイディアを満たしていると思います。整理して考えてみると、非常に抽象的で汎用的で画期的なコンセプトワードであることが分かります。

コンセプトワードを考案する時に意識しなければいけないのは、芸能職においてコンセプトワードは一度公開したら変更・修正が容易ではないということです。それは非常に格好の悪い行為でしょう。

だからこそ、慎重に考案・決定する必要があります。それでいて芸能職というものは常に新しい企画や変化を求められます。であれば後からいくらでも多様化できるように、少しでも高い自由度を確保しておくに越したことはありません。

なお、自分という存在のみで人を魅了できるという自信があるならば、コンセプトワードはむしろ設けない方が良いです。有名な俳優やタレントは共通してコンセプトワードをもっていません。それ故に自由度が高く、多様な活動が可能となっています。

しかし一般人が「自由になにかパフォーマンスしてみろ」と言われて、視聴者が満足するものをすぐに提供できるようになるとは思えません。であればコンセプトワードを考案し、取っ付き易さと思考の土台を設けることがその対策になるでしょう。

乃木坂46のメンバーもかつては同じような状況でした。彼女達はどこにでもいる普通の女の子だったのです。そんな女の子達がある時から芸能人として活動するからには、コンセプトワードによって実力を底上げしようとするのは自然の成り行きだったのではないかと思います。

秋元康さんは出演したラジオで「AKB48の公式ライバルを作る」という企画はなんとなく生まれたものだと述べていました。その言葉を鵜呑みにすれば、戦略や僕が見出したようなアイディアは意識していなかったということになります。

後から観察してみるとこれだけ秀逸な品質になっているものをなんとなく生み出してしまうとは、やはり秋元康さんは天才なのかもしれません。

天才には全く及ばない一般人の僕ですが、この記事にアウトプットしたアイディアで、これから芸能にまつわる活動を始めようとしている誰かに貢献できれば嬉しいです。

以上、「乃木坂46に学ぶ、芸能職のコンセプトデザイン」でした!!

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