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初心

「初心忘れるべからず」
という言の葉がありますが、
これは元々、能の大成者 世阿弥の言葉のようです。

現代では、
最初の頃の感動や意気込みが大事だという意味で
使われていること多い中、
本来の「初心」は少し違うと
どこかで耳にしたことがあります。

世阿弥は三つの初心を主張していて、
いずれも「芸の出来」を表しているみたいです。

つまり、
最初の頃の芸の未熟さを覚えていることが
後々の上達に繋がるということなのです。

本日の移動中に
PC内のデータを整理したら
研修医時代の記録が発掘されました。
恐る恐る開いてみたら、
目も当たられないくらいの
こっ恥ずかしさが満載で
「うわー」という気持ちになります。

ただ、
前述の世阿弥の言葉を借りるとするならば、
「初心」を確実に記載していて
その点では良かったと思います。

以下、
心肺停止に初めて直面したときの記録です。

はじめての心肺停止

当直開始早々、心肺停止の患者が来院した。
結論から言えば、自分に出来たのは胸骨圧迫と
レントゲン写真を持ってくることだけだった。

頭も全くはたらかない。
体も全然動かない。
動き方が分からない。
ただただ、呆然と
立ち尽くすしか出来なかった。

あまりにも速い展開で
私はあっという間に
取り残されてしまった。

役に立てなかったことが、
将来の役になるんだと今は信じるしかない。
[初期研修医 一年目の頃の記録]


そのときの指導医の言葉

医師免許を持っているのに、
目の前の患者さんに何も出来なかったことの
歯がゆさ・無力感を鮮明に思い出しました。

役立たずは前面に出ない方が
患者さんのためになります。

でも、
役立たずのままでは
世の中のためにはなりません。

そして今では、
蘇生の前線に立つことも、
指導するような立場にもなりました。
まだまだ発展途上ですが。

きっと、
その当時と今との間に
何かがあったのだと思います。

その日の指導医の先生が
こう言ってくれました。
今でもその言葉は私の支えとなり、
そして
後輩たちに継承する言葉になっています。


ちゃんと記録していて良かった〜(笑)


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最初は何も出来ない。
でも、
自分に出来ることを(積極的に)する
ということを
機会があるごとに心がけていたら
いつの間にか、みんなから
頼られる存在になっていた。

そうだね、階段を一つひとつ
昇っていく感じに似ています。
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 ・
 ・
 ・

ずどーーーーーーん。
数年という時を超えて今に届きました。
PCを閉じて、
今まで育ててくれた
上級医の先生、
看護師さん、
パラメディカルの方、
そして診てきた患者さん、
思い出せる限り
思い出してみました。

ここまで繋いだのは自分自身の努力ですが、
多くの人の支え無しでは
到達できなかったと思います。

また明日から、
次に向けて気を引き締めて進もう
と思える良い機会になりました。

とても良い言葉だと思い、
facebookに還元することにしました。

初心を忘れてしまった指導者の落とし穴

初心を忘れてしまうからこそ
「何でこんなことも知らないんだ」
「そんなことも出来ないのか」
「我々が新人の頃は」
「もう良い、よこせ!」
ってなるのだと思います。

世阿弥の考え方を借りるなら
最初の頃の芸の未熟さを覚えていなければ
後々の上達が阻害されてしまうのでしょう。

記憶ほど頼りないものはありません。
どんどん変容していきます。
だからこそ記録に頼る方法を取れば
少しは記憶の是正が出来るかもしれません。


結語

あ、オチはと言いますと、
本来の目的だったPCのデータ整理は
案の定、進みませんでした
というものです。笑

うん、明日します〜
「明日やろう」はバカヤロウ
ちーん

(2014年9月19日 記載の文章を少し手直ししたものを記事にしました。)

まとめ
● 記憶は当てにならない。記録が大切
● 初期の未熟さを覚えていることが上達のコツ
● 歯痒い気持ちや立場がいつか報われる。