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宗教化するワクチン論争(5)粗雑な専門家のリテラシー

 新型コロナワクチンにはデマや誤情報が出回っていて,一般人がそれに惑わされて接種を控えている。これは社会的大問題なので,デマを一掃しなければならない。これが,世界中の政府と政府を支援するマスコミや専門家の一致した見解のようですが,彼らは何を基準に,ある情報を「デマ」と判断するのでしょうか。もし,それが間違っていたら,彼らこそ,「デマ」を流していることにならないのでしょうか。

 ここでは,感染症医で最近大阪大学教授に就任した忽那賢志氏が「文藝春秋」2021年10月号に掲載した「読んではいけない「反ワクチン本」」から,専門家としての忽那氏がどのような理路で「反ワクチン本」を批判しているのかを見ていきましょう。なお,忽那氏は,新型コロナウイルスに最前線で対応してきた感染症専門医として有名で,厚生労働省のホームページでもコロナワクチンについて解説しており,ワクチン推奨の医師として非常に大きな影響力を持っています。ただし,その略歴から,科学者というよりも,感染症医という専門家というべき立場にある人です。

 この原稿の中で,忽那氏は,ワクチンは細胞の中に入り込むのか,ワクチンは不妊を引き起こすのか,ADE(抗体依存性感染増強)を引き起こすのか,などの問題に答えていますが,その理路は大きく分けて2つしかありません。ひとつは「理論的にありえない」ということと,もうひとつは「これまで報告されていないからあり得ない」の2つです。

 論理プロセスで言うと前者は演繹的思考(理論から結論を導く)であり,後者は帰納的思考(データから結論を導く)です。私は,ウイルスについても,免疫についても,専門ではないので,主張の真偽は判定することはできませんが,長年,大学において科学的な思考プロセスに従って研究してきたので,忽那氏の主張が科学的な理路に基づいて「反ワクチン本」の主張を論破しているのか否かはわかるつもりです。この点について見ていきましょう。

 まず,演繹的思考についてですが,「理論的にありえない」ということはいかなる場合でも簡単に言うことはできないというのが,科学の常識です。なぜなら,理論は人間が考えたものですから必ず限界があり,例外的な事象を排除することができないからです。むしろ,この限界に挑戦することが科学の進歩を支えているのです。

 たとえば,忽那氏は,mRNAが細胞の核に入り込めるのかという点について,「それらは普段,「核」の内部には入ってこられない仕組みになっている。よって,ワクチンを使ってmRNAを体内に注入しても,遺伝子がある細胞の核内に入り込むことは不可能です」(p.149)と説明しています。しかし、完全にそうなのでしょうか。まず「普段」という不必要な用語が挿入されているのが気になりますね。

 この点については,実際に,RNAをDNAに変換する逆転写酵素に関する研究があるわけで,簡単に断言できる問題ではなく,専門家であれば何らかの留保をつけるべきではないでしょうか。さらに,mRNAが体内に注入された結果,体内で合成されたスパイクタンパクの残留も大きな問題のはずですが,これについては「スパイクタンパクも接種後ニ週間で体内から消失すると言われています」(p.150)と記述しているだけで,その理路も明確にしないどころか,伝聞の根拠も示していません。

 人体のような自然現象について,人間が完全な演繹的な説明を行うことは不可能ですが,その不完全性を補うものが,これまでの証拠による帰納的な説明です。忽那氏もそのようにデータを使っていますが,mRNAやスパイクタンパクは身体に残らないことの理由としてあげているのは,「実際,これまでのワクチン接種では,重篤な副反応は投与後の数週間以内でしか確認されていません」(p.150)ということでしかありません。

 しかし,これは極めて重大な問題を含んでいます。日本の厚生労働省の副反応部会でもアメリカやEUの有害事象でも非常に多くの長期にわたる重篤な副作用が発生している可能性を示唆しています。しかし,それらをすべて,因果関係が証明されていないという理由だけで,「数週間以内でしか確認されていません」と言い切って良いのでしょうか?長期の副作用で苦しんでいる多くの人々を思うと,このような単純極まりない主張は倫理的に許容できないものです。

 さらに問題なのは,ADEについての説明です。忽那氏は,ADEが起こらないとは理論的(演繹的)に説明できないので,帰納的な説明しかしていませんが,それは以下のようなものです。「ADEは確かに,mRNAワクチンの懸念材料ではありましたが,現時点ではワクチン接種によるADEの報告は上がってきていません。これだけ接種が進んでいながら一例も報告がないということは,新型コロナワクチンでのADEは起こらない,または起こるとしても極めてまれなことだろうと言えます」(p.152)。しかし,この説明は,科学的な説明としては,論理的に支離滅裂です。

 まず,ADEの調査をしたうえで報告が上がってきていないのであれば,報告が上がってこないということを証拠にすることはできますが,ADEが発生したかどうかの調査がなされているかどうかの記述は一切ありません。私もかなり情報を収集していますが,そのような大規模なADEについての調査は行われていないと思います。もしあれば教えてください。それなくして,ADEの報告はないから,ADEは起こらないなんて,絶対に言うことはできないはずです。

 むしろ,ワクチン接種後にコロナに感染して死亡する例が後を絶たない現状は,ADEの発生が強く疑われるのではないでしょうか?ADEに関しては,その発生の可能性が疑われる論文がいくつも発表されていて,忽那氏もそれを知らないはずはないと思うのですが。

 もし,科学的思考の訓練を受けていない方なら,大阪大学教授の肩書のある忽那医師の説明を信じてしまうかもしれません。しかし,上記で説明したことだけからも,科学的には極めて粗雑で誘導的な理路で論文が書かれており,このような論文こそ「読んではいけない」のではないでしょうか。

 ただし,忽那氏は感染症医であって,ウイルス学者ではありません。では,ウイルス学者の科学リテラシーはどの程度でしょうか。次回は,ウイルス学の世界的権威である宮坂昌之氏の著作を検討したいと思います。


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