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【となりの家のはなし②】家族の風景〜父のこと〜

自分を構成する要素において、家族の存在がかかせないので、そのお話を。
私、父・母・私の3人家族で育ちました。

父の実家は貧しく、中学の時から牛乳配達で生活費を稼ぎ、その後音楽関係の仕事につきます。しかし私が生まれた事と、時代の流れと共に仕事が減ってきたタイミングが重なり、まったく別の業種に就職し、のちに独立して自営業を立ちあげることになります。

音楽の仕事続けててくれたら、今自慢できたのにと父に言うと、お前が生まれてきたせいやと、いちいちイラッとする返しをしてきます。

私からすれば、全然畑違いの業種に飛び込み、大金持ちとまではいかないまでも家族を養えるまでに育てたのだから、胸を張っていいと思うんです。でも父にとっては学歴と貧しい育ちに拭いきれないコンプレックスもあり、いまだに周囲に自分の学歴などは明かさず、スナックや飲み屋などでは嘘までつくぐらい隠したいらしい。

そんな感じで、外では素の自分を出せない分、家では素を出しまくる、いわゆる「内弁慶、外地蔵」の典型でした。他人には優しいけど家族にはキツイ、ごきげんを損なわによう振る舞う、「父の恐怖政治」が敷かれてました。

私が「それって〇〇やんな」というと父は必ず逆のことを言います。
「そんなん誰が決めた」「常識なんか知らんヤツが勝手に決めたヤツや」って、ヤツが多すぎる(笑)
その場をおさめないとヒートアップするので、「そうやな、お父さんのいう通りやな」というと、「さっきまでの意見はどこに行った」「お前は自分を貫かれへんのか」と。
もう、こうなってくるとただの輩(ヤカラ)です。

ただ、私が大学行くときも、バンドを組むときも、不思議と「女のくせに」とは言わない人でした。でも賢い女性、口の立つ女性は嫌いでした。〇島陽子さんとか、蓮〇さんとか・・・。
あ~でも、バンドの練習に行くとき、犬の散歩があるからダメだって行かせてもらえない時があったな~、今となっては懐かしい。

そんなこんなで、私は母からずっとグチを聞かさて育つことになります。
というわけで、母のお話はまた明日。

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