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良いコーチの条件

コーチング?

コーチングというものが流行ってきています。

私が初めてこの言葉を聞いたのは3年程前でやり始めたのは昨年から。

私自身が誰かのコーチングを受けたり、させていただいたりというものはありますが、結局は私たち自身のやる気の問題ということになります。

どのようにやる気になるか、というものが問題であってそのヒントさえつかめればほぼ達成したのと同じようになります。

効果の条件

ここで注意点があってどのようにやる気にさせるか、あるいはさせてくれるか、という姿勢で臨んでしまうとその効果は殆どありません

やる気になってコーチングをする、あるいは受ける時に一緒にやれる相手かどうか、そして、そこから何を得ようとしているか、その目的次第で提供価値が変わっていくものだと思っています。

モノであれば分かりやすいのですが、残念ながら無形のサービス商品になりますので、どうしても合う合わないがあります。

そんな曖昧な商品の中、絶対にやってはいけないルールがあります。

コーチ関係はNG

それが分かったつもりになるというもの。

それは受ける側、する側双方に言えることで、どちらかが分かったつもりになると、その行動はかなりの確率でしなくなります。

例えば、ダイエットコーチングをつけた時に、どちらかが断食が良いと分かっていたとします。

腸内環境も整えられるし、体内の循環もきれいになる、などのメリットを分かっているとします。

その状態で対人コミュニケーションに入ると、ほとんどがそこに着地点をもっていこうとします

意識的、無意識的に関わらず、断食というカテゴリーにいくと嬉しくなりますし、逆に運動というカテゴリ―に入ると「違うんだけどな」という風になります。

私たちは意識的に正解をもっており、その正解があるからきちんと生きていくことができるのです。

正解がないと不安で生きていけない程、教育をしっかりと受けていますので、意識的には「人生は人それぞれ、正解なんてない」と思っていても、無意識的には「正解がないことが正解」と思っていることになり、相手にとっての正解が見つかった瞬間に「正解はないんだけど」という正解を押し付ける感じになってしまいます。

程度はありますが、そんな感じです。

正しい、正しくない、で捉えるより、分かったつもりか、実践できているか、で捉えていく方がコーチングとしては、「正しい」のかもしれませんねw。


P.S.

ちなみにコーチングと友人関係を混ぜるとおかしなことになると思っています。

コーチの立場での発言と友人としての立場の発言で一貫性が取れていない場合が多々出てきます・・・。


虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。