赤ちゃんは見ている 

生きづらさを感じた時、自分て一体何なのか?アイデンティティの確立につまずいたとき、行きつくところは「愛着なのか」と、母子関係に想いを馳せます。

タイトルにもつけた、
「赤ん坊はお母さんを見つめるとき、2つのものを見ている。お母さんの瞳と、お母さんの瞳が自分を見つめていることを」
というのは、イギリスの児童精神科医ウィニコットの言葉です。

「赤ん坊は2つのことを見ている。お母さんを見つめるとき、2つのものを見ている。お母さんの瞳と、お母さんの瞳が自分を見つめていることを」

Winnicott,D.W

なるほど。「どうせ誰も私を見てない」という疎外感や孤独感は、ここで学んでしまっているのかもしれない。

あなたにもありませんか。
例えば転んだとき。
自立のためと称して
「自分で立ちなさい」「泣かないのっ」
と言われたこと。

禁止令

自分が傷ついた事を知らせることも、泣いて助けを求めることも、自分は人から助けてもらえる存在であることも、禁止されてしまったんだ。

私はだいぶ大人になってから知りました、「自分のどこが変なのか」ばかりを探していたことを。
辛いのに大丈夫?と声をかけられても、「大丈夫です」と答えていた。
人に「手伝ってもらえますか?」なんて言ったこともない。
自分の方が大変なのに人の仕事を「手伝いましょうか」と言ってしまっていた。

こういう対応しかできそうもない、だって禁止されてきたのだから。

間主観的コミュニケーション

養育者が自分に関心を向けているかどうか、敏感に察知する「相手の心の感知力」を『間主観性』といいます。
乳児生後5,6週間という早期から発達するといわれます。

すごい!

お母さんと情緒の通わなさ、お母さんの(育児の悩み)葛藤、はじめから「感知」していたのですね。

生きずらいままなのか

やりたいことできていない、オープンな対人関係になれないなら、「禁止令」がまだかかっているのかもしれないですね。人と感情が通いあうコミュニケーションがあることを習っていないだけかもしれません。それに、本当のことは親の生育歴まで見ないことにはわからないことです。

メンタルヘルス教育

ならば、今から自分で心を育てていくのが得策!
「自分は今どういう状況に置かれていて」
「どんな気持ちがするのか」
「それに対処する方法はあるのか」
「自分でできるのか、人の力が必要か」

レストランで注文するときとおんなじ。
メニューを見て、食べたいものを決める。
注文すると提供される。

注文が通らないと、いつまでも空腹は満たされないですよね。


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食べたいもの迷わない(自分の感情)
そんな注文の通りやすいレストランだと思ってぜひ
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