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#56 6年間におよぶアイデンティティクライシスから抜け出した記録。①トンネルの始まりは長男の出産から。

今月で次男の育休が終わりました。私は長男が産まれた後くらいから、産後クライシス、産後うつとも違う、アイデンティティクライシス(自己喪失)期に突入していました。今から6年前のことです。

アイデンティティクライシスの状態とは何か?はこちらの記事に記しています。

そして、6年かかってやっと、やっと本来の自分を取り戻し、今までのような他人軸ではない自分軸に沿った人生を歩み始めています。

トンネルをようやく抜け出したからこそ、過去を振り返りやはりあれはトンネルだったと気づくことができました。

長かった😭

自分の振り返り記録と、もし似たような悩みを持っている人の励みになれば幸いです。

▶お母さんなんて誰でもなれると思っていた。

当時30歳。女性に生まれて、結婚したらお母さんになるのは簡単なことだと思っていました。

世間は当たり前のように子供を産んで、子育てしている。

世の中には子供がたくさんいるし、私もお母さんになれる。産めば育て方もわかっていくだろうと私にはそう見えていたのです。

私の思考の癖は
「みんなができることは私もできる」

逆に「みんなができることができない自分が許せない。」

になり、誰にも強制されていはいないのに自分を追い込みがちです。

得意、不得意は人により違う
・多数ができても自分は苦手なことだってある


とわかるようになったのは最近のことです。

▶︎出産をゴールとしていた自分。

みんなできてるから、私もできる。
そんな浅はかな考えは、結婚1年目で砕かれました。

「卵管閉塞により自然妊娠は無理でしょう。」と医師から言われた時です。

女性として“失格”の烙印を押されたようで、思わずその言葉を聞いた瞬間、ショックで涙が溢れました。

それからは、子供を授かり、無事に産むことを目標に不妊治療クリニックへ通い、通い始めてから一年ちょっとで無事長男を出産することができました。

無事とは言っても、失神しそうになるほどの陣痛の痛み!に、これまた「こんなに大変だとは聞いていない。」とマタニティ雑誌を恨みたい気分でした。

産んだら忘れる?いやいや2人目の臨月時も出産の恐怖で毎日怯えていましたよ😱

なかなか妊娠ができなかったのもあり、ひとまずゴールは無事に子供を産むことでしたが、結婚はゴールでなくスタートと言うように、出産も産んだらそこから子育てのスタートです。

そんなこともイメージできず、みんなやってるから私もできるだろうと楽観的思考でいました。

そこから、アイデンティティクライシスの入り口になるとは知らず。

▶︎産後のパラダイムシフト

産前はスーツを来て、電車に乗って働いて帰宅。

大人同士の会話、1日の時間の使い方の決定権は自分。

妊婦で動き辛いことを除けば、基本何処へでも行ける。

そんな生活から一変、新生児との1か月は苦行とも言える日々でした。

出産で満身創痍の中、小さな小さなこの命を絶やさないように、まさに身を粉にして過ごしました。

経験したことがない睡眠不足と、泣き止まない我が子と、小さな命を預かっている責任感。

24時間不眠不休とまではいかないまでも、まとまった睡眠は4時間くらい。

その他の時間は赤ちゃん次第の心安らぐことなどない日々。

気づくと2週間も家の中から出ず、初めて一人で外出したのは徒歩3分のコンビニ。

その時は、まるでシェルターから出たような気分で、コンビニに並ぶ商品も見るだけで新鮮だったことを今でも覚えています。

パラダイムシフトとは今までの価値観や概念が180℃変わること。

自分中心だった産前から、まさに我が子を守り、育てることが第一優先事項に。

雑誌たまひよで表現されているような、キラキラした世界など存在せず、特に産後1か月は“生”と向きあう、まさにマズローの5段階欲求の生理的欲求を満たす日々でした。

▶︎赤ちゃんといると自分が壊れていくような感覚だった。

いや、正直なことを言うと私は子供と遊ぶのが得意ではない。
会話のできない2歳未満くらいが特に。

子供と公園に行って一緒に遊ぶのも楽しくないし、児童館で「何ヶ月ですかー?」とかうわべだけの会話を愛想よくしながら過ごしても、帰路は虚しさだけが残る。

本当は要領よく自分のしたいことをして過ごしいたいけど、ベビーカーでは狭くていけない店があったり、抱っこ紐で赤ちゃんを抱えながら、重い荷物を持っての移動は大変。

・お母さんだから仕方ない

・これが普通の育休中の過ごし方だから

・母親が面倒をみなければ誰がみるのか

と、自分を納得するさせながら過ごしていくと、いつしか「私って何?誰?」という疑問が湧いてきました。

小さなことでも自分を満たしたり、1日がんばったねと労ったりすることができればよかったのですが、私の思考の癖である「みんなができることはできて当たり前」が出てきて、自分を労うことができなかった。

さらに、パートナーにもこの疲弊した心境を吐露できたらよかったのですが、その当時はパートナーも仕事で精神的ストレスを多く抱えており、とても話せる状態ではありませんでした。

こうして、自分の核がなくなり、ぽっかりと穴が空いたような状態になっていったのはこの頃からです。

めっちゃ暗いトーンの文章になりました笑

最後にはこのトンネルを抜けるまでをお話ししますので、次回の記事も読んでくださいね😉

最後まで読んで頂ければ、なぜ私が“心躍る”ことだけを選択して生きていくと決めたが理解してもらえると思います❣️

ここまでお読み頂きましてありがとうございました✨✨

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