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お父さんと呼べる幸せ


二時間半離れた地に、父がいる。

今日は良く晴れた日だった。
海沿いを走り抜け、未だにモクモクと飽きもせずに煙を上げる工場地帯
を横目にしながら、オンボロ車に渇を入れ目的地を目指す。

私の怖いものベストテンに、父はベスト1位を絶対王者として
長年譲らない
怖いなんて表現はきっと、いや、絶対!物足りない・・・。

そんな、父は8年前から少しずつ、少しずつ新しい父に変化した。
想像も出来ないくらいに変化した。

10年前、私は父を捨てた。

私の人生の邪魔をする人への決別だった。

・・・。

容赦なく私の心を束縛して、自分の思うように・・・育成
したがる父、当時大流行した、たまごっちすら育成が上手くいかないのに・・。
たまごっちなら、リセットは効くが
私は、残念ながらこれ一度の人生の生身を生きている・・((笑))
私は、自分の人生のリタイヤ状態を目前に、父と決別することを選んだ。

父の事を
口に出すこともなくなったある日
父の周りの人から、連絡を受けた・・。

父が何キロも離れた市役所にふらふら歩いて、毎日通っている・・。
野良猫に餌をあげて、自分のご飯を食べたないみたいだと

「父は、昔から猫好きですから・・。今更の話では・・。」
受話器を持つ手に力が入る。

「家の中も、人が住める状態ではないよ??」
「大家さんも困ってるみたいだよ」
「普通じゃないよ?」

ナニヲ・ヤッテンダ・・・!!!!


怒りでもなく悲しみでもなく、とにかく変な感情が
こみあげてきた。

決別した・・したのに・・・。したけど・・。
父には、私しか・・いない。

その時のことはあまり記憶がない、ただただ
おかしな父をどうにかせねば!!の気持ちだった。

父は、認知症と言われた

その時シャボン玉のように・・・ふわふわ父も私も飛んでいた。

父は老人ホームに入ることになり
急に、老いていく父の背中を見送るときは
自分自身を責めた。

それから、世界を脅かす感染症の大流行により
父に会うにも会えなくなった・・・。
たまに、電話で話すと、認知症?と疑いたくなるくらい
しっかり父親っぷりのしっかりとした言葉を投げかけてくれた。
面会は窓越しにしかできない為に、スケッチbookに
黒マジックで、げんき?あいたかったよ!!!
何てことを、どこかの芸人のネタのようにめくりながら会話した。

そんなこんなを過ごし、感染症の呪いもようやく落ち着き
窓越しの芸もなくやっと直接会える!
とは言え、離れ住む父に会いに行くには、私の都合もあり
期間が空いてしまうこともしばしばであった。

そんな矢先父は、施設で夜中に倒れた。
 
脳内出血だった、一命を取り留めたが左半身に麻痺が残った。
運ばれた病院で目にしたのは、私が知る父の姿ではなかった。
幸い話がかろうじてできる。良かった・・。本当に・・。
生きててくれてありがとう。

倒れてから二か月経過、今日の面会で父は、私の顔を見ると
「あらー立派に大きくなった・・。立派だよ・・立派・・。」
か細い声で言った。
「立派になったでしょう」
父にはっきり伝わるように、ゆっくり聞こえやすい声で
そして、大げさなくらいの笑顔で答えた。
父は遠い昔の記憶はあるが、さっき何をしたかなど思い出せない症状がある。きっと子供の頃の私の記憶が強いから、出た言葉である。
 
短い10分の面会時間
菜の花が咲いていた、外は天気が良いだの、
思いつくだけの事を話しかける。

しかし父は
鼻から管を入れての栄養補給で苦しそう
(認知があるから、管を取ってしまうらしく、手も拘束されている)
気を抜けば、涙が出そうになる・・。
父は、何かを考えてる様子で、天井をボッーと見つめている。

父は、
認知症であっても、苦しいのも、不安なのも、痛いのも、寂しいのも
全部わかるんだ・・。
私は、目の前の父に何も出来ない・・。無力すぎる
ただ、私の心を伝えるしかできない・・・・
「お父さん!お父さんには私がいるから、お父さん大丈夫心配ないから」
痩せた体をさすりながら伝えた。

父は、やさしくゆっくり頷いた・・。

私と父は、生さぬ仲だ・・・。(血のつながりのない親子)
一度は父の事を二度と父と思わないと決めた
苦労も掛けたし、掛けられた

今私が確実に思うのは、父の残りの人生少しでも、ほんの少しでも良いから
いい人生だったと思ってほしい、そして独りではない事を・・。

父がどんな姿であろうと、私は父に「お父さん」と呼びかけることができることが、幸せだよ。

「お父さん・・・。」



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