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【連載】家族会議『子供の褒め方がわからない編』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議3日目#8|子供の褒め方がわからない

――幼少期に母親に褒めてもらえなかった父は、自分の行いを「すごいことだと自覚しない」ことで、満たされなさを感じないようにしてきた。

幼少期は、そうやって感情を麻痺させることが、自分の心を守る唯一の方法だったのだ。

そして、そのまま大人になった父は自己愛性パーソナリティ障害になった。幼少期に満たされなかったことの弊害は、自分の子供にまでおよぶこととなる。


わたし:褒めてもらえないからすごいってことも実感しにくいし、人に言ってもらわないと自信につながっていかない。だから子供たちに対しても、何がすごくて何を褒めてあげるべきかっていうのがわからなかったんじゃない?
まったく褒めてもらえなかったとは思ってないけど、そんなに褒められた印象が無いんだよね。

:それ言われたときには、あれ?褒めてるぞ?って

わたし:そう。お父さんけっこう褒めてたつもりだって言うんだけど、こっちの印象としては、そんなに褒められた印象はない。

:わたしも同じだよ。子供たちに対してわたしも…。


――確かに、父に褒めてもらったこともあった。だけど印象としては薄い。おそらくだけど、そこに気持ちが感じられなかったからだと思う。自分のことのように喜ぶような、そんな父の姿は浮かんではこない。

一方の母も、褒めてはくれたと思う。だけどどこか困惑するような、そんな表情が思い出される。

母はわたしたちを、“平均的な子”に育てようとしたらしい。だから、出来ない部分はなんとか平均に収まるよう尻を叩く。逆に出来過ぎる部分も、平均以内に収まるようにするのだ。「出る杭は打たれる」というが、それをするのが母だった。


わたし:まぁ、自分も押さえてきたから、すごいことを普通の感覚として捉えられないんだろうね。大したことないって。
あと、子供のころに褒めてもらってなければ、子供がすごいことをしても、どんな風に一緒に喜んであげればいいかわからないよね。

:そうねぇ

わたし:どんな風にしてもらったら自分がうれしかったか。それを体験してないと、子供がどうしたらうれしいか、やっぱわかんないよね。そういうところも多少子育てに影響してるかなって思う。
だからもっと「自分で自分を褒めてあげたい」よね。有森さんみたいに。頑張ったんだから。

でね、本来であれば、おばあちゃんが生きていれば今から褒めてもらうってこともできるけど、もういないから、お父さんは自分で自分を褒めてあげるしかない。
…でもお姉ちゃんの場合は今ならできるんだよね。お父さんもお母さんもいるんだから。
お姉ちゃんの、小さいころのしてもらいたかった気持ちを受け止めてあげることが、お父さんとお母さんは今ならまだできる。

:できるようになって。

わたし:そうそう、もちろん今すぐにはできないだろうから。

:できるようになってないから、せっかく生きてるのにできてないから…。

わたし:うん。今なら自分で自分を満たして満足して、お姉ちゃんのしてほしい気持ちを受け止めてあげられる。生きてるんだから。だからそうなっていくっていうのも、ひとつの目標かなって思うよ。


――うつになった姉は、自分でなんとか立ち直ってきた。今はカウンセラーをしている。それでもやはり、幼少期の気持ちをわかって欲しいのだ。


「親戚で一番幸せな家族になろうよ」という言葉をきっかけに始まった家族会議。だけどそれは、父のやる気を起こすための言葉である。

本来の目的は、姉の気持ちをわかるようになること。
そうしないと、父も母も、姉を傷つけ続けてしまうから。


― 今日はここまで ―


少し前に、NHK『こころの時代』でアイヌの儀式復活のドキュメンタリーを見た。「神々が鎮座するところ」を意味するアイヌ語「カムイエロキ(聖地)」を見つけ出し、そこで行われていた儀式を復活させた。儀式が行われるのは実に30数年ぶりという。

こうした伝統は、大切に受け継がれるべきものであろう。なぜならそこに、アイデンティティがあるからだ。

でも受け継がれるべきではないものもある。それは、「愛なき価値観」だと思う。


親のあり方は、子供の価値観形成に直結する。

愛を持って接してもらえなかった子供は、愛を知らないまま育つし、愛を知らないまま育った大人は、我が子にも愛ある接し方ができない。そうやって愛が排除された繋がりが、連綿と続いていくのである。


情報が簡単に手に入る時代であっても、親から受け継いだ価値観の呪縛から逃れられない人は多い。わたしにはそれが“洗脳”にすら見える。

わたしの父も母も、そうした洗脳のなかにいて、洗脳に気づかないままわたしたち姉妹を育ててきた。姉がうつになったことは、わが家の不幸中の幸いだ。そうでなければわたしたちも、結婚して子供を産んで、愛を知らない子を世に送り出していたと思う。

<次回に続く>


これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!


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