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【連載】家族会議『自慢話は品がない?』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。

家族会議4日目#3|自慢話は品がない?

――父と母には、ここ数日で「子供のころ親にして欲しかったこと」を考えてもらっていた。つまり「満たされていない気持ち」を思い出してもらったのだ。

その「満たされていない気持ち」に対し、その頃の自分にかけてあげたい言葉は?というのが今回のお題だ。(あっという間に話はズレていくけど)


わたし:タムマシーンで今、その頃の自分に会いに行って、何か言ってあげられるとしたら、言ってあげたいこと、ある?

:子供のころに何を声かけるか・・・

わたし:例えば昨日言ってた、近所の同級生の子と比べられた話。「そんなのもできないの?」みたいに馬鹿にされてた和義くん(父)に、なんて声をかけてあげたい?

:うん。何を言ってあげたいかっていうと、本当によく頑張ったねって。小さいころはほんとよくがんばったと思うわ。


――傷ついている過去の自分に会いに行く。そして理解を示したり、労わったりして痛みを受け入れていく。

これはインナーチャイルドを癒すためのワークだ。

できれば過去にタイムスリップして、バカにされたその瞬間に、その場にいることを想像して声をかけてあげて欲しいのだが、そう上手くできるわけもない。


わたし:お父さんは自分を褒めてあげたいんだね。褒めてあげるとどう?
和義少年の気持ちになってみると、褒められたらやっぱり嬉しいって感じ?

:嬉しいって感じするね。

わたし:なんか、あんまり褒めてもらってなかったことで、ちょっと自信を持ちづらいのがお父さんかなって思うの。でも父さん、すごかったわけでしょ?勉強とか頑張って一番取っちゃうぐらいに。それでも自信を持つまでには至らないっていうか。

自分で褒めてあげられると、自分に自信が持てるようにるんじゃないかなって思う。そのときの和義くんのことをいっぱい褒めてあげたら、自信つきそうかな?って。

:自分で褒めるしかないね。

わたし:そうそう。自分でいっぱいいっぱい褒めてあげてさ!


――父はこのあと、ちょっと話はずれるんだけど…と話を切り替えた。自慢話を始めたのである。自分で自分を褒めて癒してあげようねと言っている矢先に・・・。

結局、父は他人から賞賛されなければ気が済まないのだ。


:結婚してから老松(母の実家の地名)に行ったときに、日形(父の実家の地名)の豆腐屋さんがどいうわけかいてさ。

それで「今度結婚したんだってばや」ってお義父さんが言ったわけだ。ほんで豆腐屋さんが言ったのが、「和義(父)か、頭いいからな」。

えーなんで豆腐屋さん知ってるの。

って、そのときそれ思ったな。だから本当に頭が良かったんだと思うよ。日形の町じゃなくて離れたところにいる人なんだよ。


――まるで他人事のように話すが、父が言いたいのは「同世代の子供がいるわけでもない、ましてや同じ町に住んでいるわけでもない、ほとんど関わりのない豆腐屋さんにまで知れ渡るほど、俺は頭がよかったんだ」ということだ。

「俺が自分で思ったわけじゃないよ。周りの人が俺の頭のよさを認めているんだから、俺は頭がいいってことでいいでしょう?」と。

自信なさすぎでしょ。とツッコミをいれたくなる。


わたし:意外な人が知ってたってことだよね。

:嬉しかった?

:びっくりしたっていうのが先かな

:びっくりした…でも嬉しかった。のもある?

:あったかもしれないな、びっくりしたのが先だけど。


――こういうとき、素直に嬉しかったと言えないのが父だ。自慢話をしている自覚すらない。


わたし:嬉しかったでいいと思うんだけど。なんか、そんな人にまで知られてたのって、嬉しいって思うのが普通だよ。そういうのを感じにくいんだね。

知らない人にまで知れ渡るぐらいに頑張ったんでしょ?それほど頭いいって、その界隈で有名だったんでしょ?それなのに大したことないって思おうとするのがお父さんなんだよね。

:今見ててもそんな感じ。

わたし:今、話してるときも気持ちが感じられなかったよね。本当の気持ち、何か隠してるんだろうな、って。

:嬉しかったんでしょうね


――父はしぶしぶ、だけど他人事のように嬉しかったと答えた。でもその後は延々と、嬉しかったのではない理由を述べるのだった。

嬉しかったなら自分から話を続けるだろうけどそんなことはしていない。ただただびっくりして「いや、そんなことないですよ」と言ってその話は終わったのだ。と。

嬉しかったのではない理由になっていない…。


:口挟んでいいのかどうかわかんないんだけど。例えばさ、お父さんがうちの実家に来て、「私は成績がよかったんですよ」っていうのは言いづらいでしょ?

わたし:うん、そうだよね。

:それなのに全然関係ない人からからそういうことを言われるって、何かすごい鼻が高い感じになるんじゃないかな?

:おれが?

:そんな気持ちがあるんじゃないかなって。

:そうでしょうね。


――また他人事だ。こういうとき、父は防御態勢に入っている。絶対に気持ちを晒すもんかと、かたくなだ。

父は本当は、「自慢話ではないですよというスタンス」で自慢話をすることで、わたしたちが「それってすごいじゃん!」と気づき、ほめそやしてもらう展開を期待していたのだろう。

ところが、「で?嬉しかったの?」と気持ちを引き出されそうになって、慌てて防御をしはじめたのだ。

でもわたしたちは、父の本音に触れたくて仕方がない


わたし:自分からアピールしないでナチュラルに頭いいことを知ってもらえるみたいな。それって嬉しいよね!しかも結婚した先の義父と義母に。

:そうそう。ちょっと誇らしいとか、そんな気持ちになるんじゃないのかなって。

:だけどお前(母)はその話忘れてるんだろ。俺自身がそれを覚えてるってことは、やっぱり嬉しいんだろうね。


――もう投げやりになっている。が、なるほど。父は、母がそのことを褒めてくれなかったことにいじけていたのだ。


わたし:お母さんが覚えてないのもショックだったってことね。

:そうだね、こっちが嬉しいのに。


――父は幼少期、母親にあまり褒めてもらえなかった。この話のように、外部から自分の優秀さが親の耳に入ったとしても、反応は薄かったと思われる。

子供は親の反応を見て安心するものだ。その反応によって、自信を確かなものにしていく。それをしてもらえなかったのを、今度は妻に求めているのだ。

さらにこの時、祖父母も反応が薄かったらしい。父はそれも、根に持っている。


:お義父さんとお義母さんも、その話を聞いて「そうなの?!」って乗ってくれると話しやすかったけど、何もなかったから。

わたし:そっか、おじいちゃんおばあちゃんも特に反応してくれなかったのね。


――父はとにかく、「誰も俺のことを褒めてくれなかった」「自慢話もさせてくれなかった」と被害者意識だ。せっかく褒めてくれた豆腐屋さんも褒め損である。

母曰く、祖父母は心の中では鼻高々だったはずと言う。それを表さない人たちなのだと。

子供や身内の自慢は品がない。そんな考えがあったからだろう。

だけど、褒めてもらえなかった本人は満たされない。満たされない気持ちは満たされるまで、心に居座り続けるのだ。


- 今日はここまで -


「自慢話は品がない」という教えは、おそらく父の家にもあったはずだ。その結果、自慢と悟られないよう自慢話をして、褒めてもらえるよう仕向けるようになった。

自慢話というのはそれだけ、自慢せずに心にしまっておくことができないものなのだ。

父の場合は自己愛性パーソナリティ障害でもあるから、他人からの賞賛が必要なのである。自分から仕向けてでも褒めてもらわなければ、自分を保てない。

であれば、潔く自慢すればいいのに!と思うのだが、それは品がないらしい。自慢話とばれているのに自慢じゃないと言い張るほうが、よほど品がないと思うのはわたしだけ?

<次回に続く>


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