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【連載】家族会議『寝たきりで余生をすごしたい』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。
家族会議7日目#7|寝たきりで余生をすごしたい
――父の健康問題についての話し合いがヒートアップしている。
父は運動するとなったら、いきなりハードメニューをやる。そして1週間程度で、どこかを痛めて辞める。それを今まで、何度も繰り返してきた。
そうこうしているうちに、身体はどんどん衰えていくだろう。母はそれが不安なのだ。だから何かと口を出したり、誘ったりする。でも実際のところ、本人にやる気がない以上無理なこと。
わたしは、好きなものを食べ好きなことだけをして生きていくのもいいと思っている。それと引き換えに健康を害すことや、長生きできないかもしれないことを受け入れられるなら。父の意思を尊重したいと思う。
それを話すと父は「長生きしたい」と言う。
結局のところ父は、努力はしたくないけど、あれもこれも欲しいということだ。
母:
私も確かに、お父さんに何かを勧めても、あんまり気が進んでないっていうのは感じてた。
だけど私としては。料理は自分がやるとして。計算しながらやるって言うのは、健康で長生きしてほしいからやってんだけど。
料理は私ができるけど、運動とか外に出ていくっていうのは、お父さんがやんないとできないことだし。っていうのがあって、誘うようにしたりとか、やってほしいってことも言ってた。
――父は持病のため食事制限がある。そのため日々の食事管理がなかなかに大変だ。調味料も食材もすべて計って計算し、さらにバランスも考えて作っている。
父のために努力している母は、小言のひとつも言いたくなるだろう。
母:
でも嫌がってるのを私も感じてたから。私が長生きしてほしいからって、お父さんはやりたくなくて生きるところまででいいのに、私が納得できないから押し付けてるっていうことにもなんのかな。
けど、やっぱどうしても長生きして欲しいと思っちゃうから。だからお父さんが、あんまり気が進まないような感じとか、見るとイライラしたりして。
わたし:
お互い苦しいよね。嫌がってるから誘うのも嫌だけど、でも健康のことを思ったらな、とかって無理に誘う。なんか気持ちを薄々感じて、無理に誘いに乗っていく。っていう。
それもお互い苦しいことだよねって思う。
母:
ただお父さんが、こうするとこうなるよ。とか、この状態だったらこうなるよ。とかっていうのをよく知らないのかなって。知らなくてそうだったら、何かもうちょっとな、とか思ったりして焦ってる。
わたし:
焦り。そうだね焦りだね。お母さんよくあるのは。
母:
でお父さんが代替案とか、何か違うことを見つけて自分の好きなことをしたいっていうのは、本当にその方がいいと思うんだけど、それっていつなの?とか。なんかすごい焦っちゃうね。
とにかく休めば休むほど筋肉がなくなっていくんだっていうことを言われてるからっていう感じで。今まで。
父:
お気持ちはいただいときます。月2回だっけ?あれ
――「あれ」とは吹き矢体験のことである。母が町の講座で見つけて、父を誘った。それに行かなくなったことから、今回の話をしている。
母:
吹き矢は1回。
父:
月1回か。歩くのは、毎日歩いてるから。吹き矢で言う深呼吸。あれは毎日やってますから。吹き矢のあれは十分に達してると思います。
――屁理屈。いや、理屈は通ってる。通ってるけど、それが事実だったらの話だ。実際、この1か月後にはやってないんだから。
父:
あと、今の延長線上で聞きたいのは、長生きって言うけど、何歳ぐらいまでが長生きなんでしょうかね。
母:
わかんない。わかんないけど。
わたし:
それ目標立てたら、それ目指して頑張れるの?
父:
目標があれば、例えば80までって言われたらさ、80までは何するかかにするかってさ
わたし:
じゃあれかな。おばあちゃん(父の母親)の年齢目指して。
母:
そうだそうだ。
父:
おばあちゃんの…先に亡くなるぞ。笑
わたし:
100歳。
父:
100歳か、90にしない?笑
――父の敬愛する母親は、104歳まで生きた。父親は72歳。時代背景を考えると、ふたりとも長生きだったなと思う。
母:
ちょっと横道にそれるんだけど、お父さん72歳で亡くなったんでしょ?お母さんとお父さんって年が10個ぐらい離れてるわよね?
そうするとさ、おばあちゃんが寝たきりのお父さんを10年見たって言ってたけど、それって何歳から何歳まで?って考えると、私の今の歳よりずっと下だなって思ったの。
おばあちゃんがおじいちゃんを見たのは、ずっとまだ若いときで、今私67だけど、おばあちゃんが67のとき、おじいちゃんはもう亡くなってるわけなんだよね。おばあちゃんは60歳にもなってなかったと思うの。
だからお父さん、これから私に面倒見てもらいたいみたいなことを前言ってたけど、無理だと思うんです。普通に言って。
わたし:
年齢がね。
母:
年齢的にはもう。もう老々になってるからさ、本当無理だと思うよ。悲しいことに。
父:
であれば、わかったと。じゃ俺が生きたいくらい勝手に生きればいいでしょ!って。面倒見ないんでしょ。
――父は声を荒らげた。面倒を「見ない」と言っているのではなく、「見れない」と言っているのだけど。
母:
見ない・・・
父:
したら、俺が80から90の間に設定するのかなと思ってんだけど(イライラ)。その設定で目標に頑張れば、もうそれでいいじゃない!
わたし:
面倒見ないっていうのは、そういうお世話ができないって言ってるだけだよね。
母:
うん。
わたし:
喋ったりとかさ、調子どう?って聞いたりはできる。
母:
うん、そうだね。
わたし:
お母さんができないって言ってるのは、抱きかかえたり、お風呂に入れたり。体力的には普通に無理
父:
無理だと思うわ。だっておじいちゃんのときも
わたし:
無理じゃん?
父:
おじいちゃんのときもお袋の動き見てたらね、なんかおじいちゃんも怒ってたけどさ、それ聞いたことあるんだけど無理だと思うわ。
わたし:
どういう意味?
父:
抱きかかえるとかさ。そういうのは、お母さんがちょっとしんどいと思う。
わたし:
うんうん、だからそれができないって言ってるわけよ。
父:
だから今でもできないと思うよ。それは重々承知してる。
わたし:
だから「健康で長生きしてもらいたい」って言ってるってことだよ。
父:
だから健康で長生き、いつまでもできるわけじゃないから80から90までの間に、設定して頑張りますと。
わたし:
なんかイライラしてるよね。
父:
だれが?
わたし:
お父さん今。イライラしてたと思う。
父:
かはは。笑
わたし:
何か意地になってる感じなのはなんで?
父:
えー(とぼける)
わたし:
やっぱ寂しい、悲しい感じなわけ?面倒見ないって言われてることに対して。
父:
面倒見ないって。どう言ったらいいのかね。それはその場になんないとわかんねんじゃね?宣言するようなことでもないと思うけど。
わたし:
お母さんがね。面倒見ないよって、今宣言しなくてもいいじゃんって言う気持ちね。確かにそれもそうだよねとは思う。ちょっと寂しいよね。今から「面倒見れないからね」って宣言されるのって。それは何かわかるよね?わかる?
母:
わかるよ。うん。
わたし:
なんかお母さんの気持ちだけで言ってるというか。
お母さんとしては、発破かけたい感じみたいなんだよね。こういうの。
父:
うん。
わたし:
面倒見るからっていう言葉に気持ちが甘えて、何かいろいろやらなくなっちゃうんじゃないか。みたいな不安があるからなんだけど。でも言葉としては、ちょっときついよね。
父:
これ、もっとやっぱり話し合わなきゃ駄目だと思うよ。コミュニケーション取らないと。
――コミュニケーションをとらなかった張本人が、偉そうに言うことではない。
母:
うん。なんだろう。今までのお父さんとの話し合いの中で、面倒見てもらう気満々っていう感じを受けてたから。
わたし:
そこに反応してる感じね。だから、よりはっきりした言葉になっちゃうってことだよね。
母:
あと、おばあちゃんがおじいちゃんを10年見たことを、何か尊敬してる。ということをずいぶん前に言われたこととか。
父:
いやだから。コミュニケーションだってば!
――コミュニケーションだってば!と話を終わらせようとする父。いやだから、今話せばいいじゃん。
コミュニケーション取ると言えば、丸め込めると思っている。
わたし:
そうだね。なんか今の夫婦関係、今の問題を話すと険悪になっちゃうんだなって思ったけど。でも健康問題って待ったなしだから、気になったから言った。ふったのわたしじゃんって感じだけどね。
――父の発言を聞いていると、<晩年、床に臥せって面倒を見てもらっていた親父>のことがうらやましかったんじゃないかと思う。きっと、母親が父親の世話をしているぶん、幼い自分は構ってもらえなかったのだろう。
「病気になれば構ってもらえる。」
その思いが、いつしか目標になっていたのだと思う。妻に、自分の母親にしてもらいたかったことを、してもらおうという魂胆だ。もちろん、本人は無自覚なんだけど。
- 今日はここまで -
母は何度も、父に「健康で長生きしてほしい」と言っている。そのために食事管理もするし、せっせと外に連れ出そうとする。父は愛されていると思うのに…。
家族の愛は父には伝わらない。わたしたちが提供する愛は、取るに足らないと踏みつけられてしまう。そうかと思えば、愛がない、愛をくれないと不平不満をためている。
<健康議論はまだまだ続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
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