【連載】家族会議『母親に執着する原因を探る』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議9日目#4|母親に執着する原因を探る
――この日は父の子供時代について、いろいろと語ってもらっている。父はとくに、母親への執着が強い。それが今の、自己愛性パーソナリティ障害に繋がっていると思われる。
亡くなった人を含めれば9人兄弟で、父はその末っ子だった。長男は親ほど歳が離れていて、親は父にとって、祖父母と言っていいくらいの年齢である。
そんな状況だったから、母親からの愛を十分に享受できなかったのでは?と想像するのがわたしたち家族だ。
父:
あと忘れないっていうのはね、ご飯炊き。お父さんもご飯炊きやったんだわ。それでね、茶碗洗いなんかもやったわけよ。で時々食べたものを持ってくでしょ、洗い場に。
わたし:
うん。
父:
そのときに、「食べたやつ水にうるかしとけ」と「浸けておけ」と。なんで?って聞いたら、「米、ご飯はね、茶碗にこびりついて取れなくなるから、水に浸けておくとすぐ洗えるから」と。なるほどなと。
やっぱり自分の手間を省くためにはそうしないとさ、日々忙しいからね。ちょっとしたことこっちがやってあげないと駄目なんだなと察して、それ以降は浸けるようにして
わたし:
うんうん。
父:
それがおばあちゃんからのあれ(教え)だわ。だからお父さんは、いい方向にそれとったな。やだなじゃなくて、なるほどなと。
――母が母親から言われた小言を煙たがったのに対し、「俺は小言とは思わずポジティブに受け取ったよ!」という父。
父にとってのポジティブとは、自分が褒めてもらえることである。
「母の役に立つ」ことは「褒めてもらう材料」として、いいこと聞いた!となるのだ。
それだけ父は、母から褒めてもらうこと、いや賞賛を浴びせられることを渇望していた。子供時代から認知が歪んだまま、その間違いに気づくことなく大人になったのが父だ。
わたし:
なんかいい方向なだけじゃなくて、めちゃめちゃ強く刻まれてるっていうのが・・・やっぱそこが、おばあちゃんと関係があるのかなって思った。
ちょっとした生活の知恵を教えてもらっただけでさ…。むしろこういうことって、(母方の)おばあちゃんなんていっぱい言いそうじゃん。
そういう生活の知恵の一つだと思うんだけど、お父さんはその中でも、「こうすればおばあちゃんが楽になれるんだ」っていうので強烈に刻まれたのかなって。お父さんはいつも、そういうの探してたのかなって。
母:
いいことを教えられて、役に立つ良いことをやれたみたいな感じで
わたし:
嬉しかったりして。
父:
だから、おばあちゃんとの関係性は濃いな、かなり。そういうの、親父にはほとんどないもんな。
――関係性が濃いことは悪いことじゃないけど、そこに歪みが起きていることに気づかないのが問題だ。
わたし:
そうだね。お父さんに甘えたい人ってあんまりないもんね。
赤ちゃんのときから始まってるもんね。お母さんと密接さって。最初はずっと抱っこしてもらってさ、おっぱいもらってさ、本当かかりきりでやってくれるわけだよね。お父さんもそうやってもらったんでしょ。たぶん。
父:
抜けきれないのか。
わたし:
責めてるわけじゃないよ。
誰かに預けられたわけじゃないよね?お父さんがちっちゃいときは、おばあちゃんが普通に面倒見てくれたわけだよね?きっとね?
だから何だろう。そこで満たされたりないと、いつまでも満たされないから求め続けちゃう。っていうのがあるってことだけど、でも、全く何もしてくれなかったわけではないでしょ?満たされなかったものがあるとしたら何なんだろうな?って。
たとえば末っ子って甘えん坊になりやすいって言うじゃん?そういうことでそうなったのかな。
もしくはおばあちゃんが忙しくて、おっぱい期間が過ぎたらもう兄弟もいるしってことで「誰か見といて」って感じで早い段階で親に放っておかれて、そういうことで寂しさを感じてたとか…。
母:
なんか家族がいっぱいいるのはいいんだけど、誰も中心じゃなくて、なんだろ、いろいろそのときの都合で関わって来たみたいな感じかな。
わたし:
うんうん。お母さんに一番そばにいてほしいのは当然なんだけど。でも兄弟多いし、もう大きい兄弟もいっぱいいたわけじゃん?お父さんが生まれたときって。だからきっと、母親以外に兄弟も面倒見てくれたんだよね?
父:
長女はね、水害。北上川が氾濫して水害あったわけだ。そのときには船で、反対側の山の方に避難するんだけど、「和義背負ってったの俺だかんね」って言ってた。
母:
それが3歳ぐらいか。昭和23年22年ころに大きな台風があったよね。お父さん生まれたの21年でしょ
父:
22、23年連続で来た。
わたし:
お父さんは3歳じゃね。歩幅も小さいしね。(長女の)おばちゃんが一番上だし、女性としてお母さん代わりみたいな気持ちで居てくれたのかね?
ただもちろん、みんな私がやんなきゃっていう人はいないわけだからね。お母さん以外には。
母:
そうだと思う。
わたし:
だからちょっと、見きれないっていうか、自分のことでいっぱいになってるとおろそかになっちゃったりとか、することもあったかもしれないよね。なんかその辺なのかな?
――父自身の印象としても、長女のお姉さんが自分の面倒を見てくれていた印象はあるようだ。男兄弟とは遊んだ記憶も、面倒見てもらった記憶もないらしい。
長兄は親のように指図してくるし、次男は早くに亡くなっている。歳の近い3男とはライバルのような関係で(あ、父が一方的にだと思うけど)、男兄弟に心を開く姿を見たことがない。
父:
男兄弟っていうか兄貴の印象残ってんのが長男。日形中学校の先生やってたときに、宿直っていうのがあってさ、夕飯うちで作ったのを持ってくんだよ。中学校に。で持ってってトントンってたたくとさ、先生まだ残ってんだ。何人か。すっと女の先生が出てきて、「どちらさんですか」なんて言われてさ。「弁当持ってきたんです」「光義先生弁当もってきたよ!」って言われて、はずかしいなって。
わたし:
そうなんだ。笑
恥ずかしいの光義おじいちゃんのほうなんじゃない?と思うけど、お父さんが恥ずかしかったんだね。
何かそう考えると…。末っ子って、女性の兄弟にはお母さんがわりになって面倒見てもらったり、年の離れた兄貴たちにもかわいがってもらったりみたいな、それで甘えん坊になりがちだって言うけど、お父さんはみんなのために動いてたんだね。小さいときから。
もっとね、一番末っ子だし、みんな大人だし、もっと何か、やってもらうだけでも良かったかもしれないけど。小さいときからみんなのために動いてきたのがお父さんなんだね。
父:
ていうか、みんなそんな感じかなと思うんだけど。
――「みんなそんな感じ」・・・わたしもそう思う。父の卑屈がどこから来てるのか探ろうとしてるだけで。むしろ小さいときから家族のために働いて偉いねって褒めてあげてるだけで。
こういうとき、父はわたしの好意を受け取らない。そっけなく振り払う。こういうのも、自己愛性パーソナリティ障害ゆえのことだろう。
母:
行ったときに何か代わりに駄菓子でももらえるの?
父:
もらったことある。兄貴が出てきて渡して終わりと思ったんだけど、女の先生が出てきてさ女の先生からお菓子もらったり。
わたし:
いいじゃん
父:
何となく恥ずかしい。笑
わたし:
そうなんだ。子供じゃないよって感じの恥ずかしさ?ちょっと子供扱いしないでよみたいな?
父:
そんなことない。おかしもらうのものすごく嬉しい。
母:
注目されるのが恥ずかしかったとか?みんな見るじゃん、大きな声出されたら
父:
そうだな
わたし:
みんなに注目されるのがか。そっかそっか、恥ずかしがり屋さんってことね。
父:
そうですよ。
わたし:
それは褒めてもらえてない不満とかあったわけ?
父:
それの対象としてお菓子なんかもらったから、まあチャラじゃないですか。
わたし:
そこは割に合ってたんだ。その仕事は。
――そもそもだけど、兄弟が面倒見てくれたかどうかって話のときに、「弁当を届けに行って恥ずかしかった話」なんて持ち出すからややこしい。なんか意味があるのかと思ってしまう。
どちらかと言えば、深掘りされるのを無意識に避けようとした、ってところだろう。
- 今日はここまで -
父は話の流れや繋がりを無視するところがある。深ぼっていけばどこかにつながりがあったりするが、聞いているがわは唐突だと感じることが多いのだ。
それに面食らってしまって、ついつい「どういう意味?」と聞いてしまい、話しが脱線するのが家族会議の常だった。
今、父には心療内科に通ってもらっている。そこでの医師との会話は録音していて、家族が聞いていいことになっている。
先生は、父のわけのわからない会話をものの見事にスルーするのだ。本筋からズレた話をいちいち拾わない。
何度父が関係のない話題をふっても、何度でも本論に戻していく。
それはわたしには、できないことだったなぁと思う。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
この記事が参加している募集
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!